知り合いの出版社から電話がきた。自分とこで出している本で、まだ在庫がいっぱいあるのだが、その著者から、アマゾンで8千円で自分の本が売られているので、もう一度売ったらどうかというものだ。それを確かめる電話だった。アマゾンではリユース本も売っている。うちでも以前は5万点近く投入していたときがあった。いまはやめてしまったが、それはいい本でもみんなが出品して、だんだんと値崩れして文庫本はとうとう一円本まで下がる。そういう一般的な文庫本などは、同じ本が何十冊となく一円で並ぶことになる。もう、出品する意味がなくなる。最初は売れていたが、次第に忙しいわりに売上が立たず、やめてしまう。
 値段もいい加減で、勝手に上げたり下げたりしている。格安の本もあり、それは古本屋のおやじさんたちが、そこから買って転売したりしている。その逆で、なんでこんなものが売れるだろうと、セドラーたちは考える。内容など関係がない。希少価値の問題だけなのだ。われわれも、アマゾンでは調べることはないが、日本の古本屋のサイトで値段を調べる。出てこない本がある。全国の古本屋で誰も出していない本というのは、きっと珍本だと、思い切った値段をつけて出すことはある。それも貴重ではないかと思われる本の場合だが、そこで待てよとなる。どこの古本屋も出品していないということは、出すのも恥ずかしいくだらない本かもしれない。この世に一冊しかない本と小躍りするが、それは錯覚の場合があるのだ。
 前の方の本は青森という地域限定本で、八戸やむつ市の人は名前も知らない。まして、県境を越えてお隣の岩手や秋田では無名になり、この人は誰となる。それにここ10年で出した本でも、出版社では在庫をまだ抱えている場合がある。絶版ではないのだ。世の中の本の多くは書店から一度下げられたら二度と日の目を見ることはない。6か月か長くて1年で絶版にさせられる。だから、絶版という本は珍しいのではなく、何年も売れ続けている本のほうが珍しい。次々に新刊が出るから、そのサイクルはより短くなり、選手交代をしなければ書店の棚は置くスペースがないのだ。
 アマゾンの出品者は、それで勘違いする。どうして彼の本が8千円なのだと、誰が買うのかと思う。うちにもよく入ってくるが、店頭で売れないで処分までしていた。地方出版で、創作ものはよほどでないと、多くは処分となっている現実を知らなければいけない。短歌、俳句、詩集、小説、エッセイの自費出版に近いものは、地方区で終わった人は、そのときは売れるが、古本屋では作者には悪いがそのままチリ紙交換さんのトラックに載せられる運命にある。それでは可哀想だと、ペンクラブの集まりがあるたびに、そうした仲間うちの本を宴会場にわたしは持ち込んで、一冊でも買ってもらい、その売上をペンクラブの活動財源の一部にしてもらっている。
 
 アマゾンの値段は参考にならないというのは、ときにはとんでもない値段がつくからだが、うちのバイトの子が、それを信じて、平成17年に青森で出したビジネス書で定価1600円くらいのが、わたしなら買わないで断るのに、アマゾンで6000円しているからと、高く買わせられ、それを5000円で出品していた。やはり売れないで後で引き下げたが、売りに来た人に騙されたか嵌められたか。自分の本を高く出品して、古本屋に調べさせ、高く買わせるという手口もあるかもしれない。用心しないと。
 セドラーたちはいまもブックオフでたまに見かけるが、アマゾンサイトで値段を調べて、値段だけでセドリをしているのを脇から、いいのかと覗いている。やはり、本を知らないといけない。本は値段だけではない。それがすべてではない。残る本か、すぐに見向きもされなくなる本か、見極めは難しい。現在売られている新刊の中にも将来は値段が上がる本というのもあるし、すぐにゴミになるのもある。古書価などは、昔は安定していたのが、最近では、こんものがと思う本が上がったり、極端に落ちたりと、変動が激しく、サイクルも短くなってきた。そのうち売れると、悠長に構えてもいられなくなった。
 
 その他の中古本サイトの値段にしても、最高値から最低値までの幅がある。それも信用できるのかとなる。高いところは老舗で、それなりのしっかりとした本を出しているかもしれない。うちのようにただ安いところでは、多少、破れていたり汚れていても、それなりの値段で、読むための人、資料として使う人が買う。値段と相談していただきたいと、美本ではないとメールで状態をお知らせする。それと、昔の値段のまま直さないで出品している店もあるだろう。全部の登録した本の値段を修正するのも大変な作業で、実際、面倒くさい。アマゾンに出品していると、いつまでも同じくらいの状態の同じ本を高値のまま出していても売れない。それで、よその人より一円でも安くと下げる。アマゾンではそれがたやすくできる。そうして、みんなでセリ下げている。とうとう一円本という惨めな最低価格まで下がる。
 本が可哀想で、作家が可哀想だとは思わない。損をしないといい。売れてなんぼで、本に対する思いなどない。ここまで書けば反論が怖いのでこの辺で。

 やがて、このままで行くと行き詰まるという商売のやり方はある。それはみんなが予感していることだ。どんな商売でも、ネット通販でも、無限大に成長することはない。みんなが参入して押しかけたら、当然のように供給過剰で共倒れになる。
 最近感じるのが、ネットの売上が下がったことだ。一時的現象ではなく、ずっと下がったままだ。うちではその分、古書目録と店売りが頑張って支えている。どうしたのだろうか。組合や他県のセリに行ったときでも、情報を入れてみないと。何があったのか。アマゾンも限界はある。セドリも限界がある。ずっと上向いて儲かる商売などない。天井はどの世界にもあり、それを過ぎたら下降線。
 死んだ祖父が口癖のようにいつも言っていた。「満つれば欠くるは世のならい」というのをいつもわたしは肝に銘じておく。