毎年、年末になると保育園に息子と行く。2歳と3歳の孫娘が出る。楽しみにして出かける。ビデオカメラは息子がいいのを持っているので、わたしはスマホでカメラで撮るだけ。その場でラインの息子のページに画像を貼り付ける。
 金曜日の午前中は祖父母らしく、そういう顔ぶれで、翌日の土曜日は両親や家族総出で見に来るようだ。土曜は坐る場所もないくらいで、朝六時から席取りに保育園に親が座布団を手にやってくるとか。それで前日のほうがゆっくりと見られる。
 あいにくの雪で、道路は滑る。仕事は午後からだ。玄関に園長先生と他の先生方がいて、挨拶。どんな顔して演技をするのか。

 わたしの幼稚園のときの記憶はあまりないが、キリスト教の幼稚園だったから、クリスマスには聖劇というのを毎年やる。多分、いまもしているだろう。キリスト生誕のときのことを再現するのだ。わたしは三人の博士のセリフのある役をやった。黄金、没薬、乳香と調べたら漢字が出ていたが、どんな漢字を使うのが知らなかった。おうごん、もつやく、にゅうこうとずっと覚えてはいた。キリストの誕生を祝ってのお祝い物を三人の博士が星に導かれて届けに、ベツレヘムの厩まで行くのだ。星を指差して、「あの星の下にイエス様がお生まれになる」と、どうして名前を知っているのか。天使が教えたのか。
 その生誕劇は毎年同じだから、衣装も変わらないが、この保育園では、毎年の出し物が変わるので、その衣装作りと背景を描くのも大変だろうと思う。保母さんたちが楽しみにして作るのだろうか。どちらかというと、チビちゃんたちは、何も知らないで教えられた通りに動いたり歌ったりしているだけなのだが、親が喜びそうな格好をさせる。
 24くらいの演目がある。短いのは0歳児のまだ歩けない赤ちゃんたちが歩行器に入れられて、頭に何かかぶせられ、つくしんぼという題であった。みんなカーテンが開くと、ただびっくりしてきょろきょろするだけなのだが、それが可愛い。それだけで別に演技はしていないのだが、親たちに受けている。歌が終わりカーテンがまた閉められるまでのたった1分位の出番だが、あっという間に終わるところが限界であったりする。長ければきっと泣き出す子もいる。1分でいい。
 少し上の子になると、上がってしまい、やはり歌と踊りをしながらも、人前に出る怖さから泣き出す子がいる。泣きながら、手はちゃんと演技して、くるくる回って踊っているから、親たちは手を叩いて笑っていた。

 うちの孫の出番だ。初めての劇で、大根とにんじんとごぼうが銭湯に入るという設定。みんな手に一万円と書いたお札を持っている。銭湯の三助たちがいて、入浴料は一万円だという。みんな高い、まけてと言うセリフが受ける。孫はにんじんの役だ。風呂で洗って野菜たちがきれいになるが、ごぼうだけはお風呂が嫌いだと入らないので、黒いという話。銭湯の壁の富士山の絵までうまく描けているので、くすくすと笑いが会場から洩れる。
 下の子は、黒猫のタンゴで、みんな女児たちが猫の格好の衣装をつけて、ニャン踊りをする。それにしても感心するほど、よく衣装をこしらえる。音楽もそれに合ったものがある。
 王様の耳はロバの耳も劇でしたが、そんな内容であったのかと、もう忘れていた。山寺の和尚さんの歌は、どうもロック調だが、これはいいと、メモしておく。そのうちスナックで歌わないと。
 次に出たのが沖縄の踊り。ブーゲンビリアの花を髪につけて、赤い帯を前に垂らして、それらしい歌に合わせて踊る。
 去年はさくらんぼ娘の踊りであった。下の子はバナナの衣装で、パパバナナ、ママバナナ、コバナナであったか、そんな歌を歌っていた。

 東京の孫たちは、お遊戯会も運動会にも行ってやれない。一度、無理してでも行こうと約束したら、飛び上がって母子で喜んでいたが、そのときは悪いことをしたが忙しくて行けなかった。父親も仕事が忙しく、おそらく、運動会はママだけではないのか。そんな寂しいときに、じじが行ってやれればと思う。
 離れて暮らしていれば、そういうことができない。

 夫婦で映画を見にゆくからと、3時間だけ孫のお守りをお願いされた。喜んで無引き受けた。ところが、土曜日はペンクラブの忘年会が入っていた。別の日ではダメなのか。映画は中止にしたという。ペンの忘年会に孫を連れて行ってもいいが、きっとその日の主役で、みんな気が散って、掻き回されて終わるだろう。十二月はどうしても忙しい。

 息子と話していた。わたしらのときは、せいぜいが二年保育であったのが、いまは生まれて何ヶ月も経たないのにもう保育園に入れる。それは、ものごころがつかないうちから親の手を離れて、社会の中に出ることだから、どうなんだろうね、どういうふうに育つのだろうか。家族の中しか知らないで育つよりは、毎日、いろんなことを教えるのだろうから、きっとわたしらのときよりは覚えが早いかもしれない。親子の関係はどうなるだろうか。べったりと毎日一緒にいるよりは、希薄な冷めた関係にならないか。
 両親が共稼ぎというのはいまは普通なのだが、わたしの幼少のときも、両親の顔もあまり見ないくらい離れて暮らしていた。父親なんかは、日曜日だけの人と思っていた。普段はいないが、日曜にはデパートに連れて行って、お子様ランチを食べさせる人であった。われわれ姉妹は祖父母に育てられたから、いまも親に対してはかなりクールだ。本当は、その空間を埋めるのが祖父母であったりするのだろう。どうもその点では、わたしも役不足ではある。もう少し利用してもいいだろう。ばあさんの相手よりはどんないいことか。

 保育園の壁いっぱいにクリスマス。外は雪。さて、じじサンタは何をすればいいのかな。