息子のところに泊まる予定が向こうも忙しいらしいので、遠慮した。二日間は未定だが、上野駅に立って、また思いつくまま、乗車券を買う。ー真鶴まで。ふと思いついた地名だった。鯵ヶ沢の金持ちの別荘が真鶴にあって、その方が病気療養のために二年間、看護婦であった祖母のサタが付き添いに頼まれて、暮らした町であった。戦前の話だが、わたしは子供のときから祖母にそのことを聴かせられていた。前から行ってみたいとは思っていた。東海道線だから、何度も通り過ぎるが降りたことがない。
 大船までは旅の感じがしないのはたまに通る線で、首都圏だからで、そこから先が旅という感じがする。茅ヶ崎、平塚…そこの菓子屋の二代目と若いときにパン屋で共に働いた。どうしているか。大磯ー学生時代には電車の広告でOISOとビーチを夏に売り出していた。それをフランス語専攻していたわたしは、ワソと読み、そこから鳥を連想していたことを思い出した。地名からの思い出がぽろぽろと出てくる。

 真鶴には何があるのか下調べもない。そんな海辺の町にふらりと降りる。駅前の観光案内所で地図をもらう。岬の先まで歩いて往復で3時間くらいという。ちょうどいいウォーキングだ。暑くなりTシャツ一枚で歩く。途中の神社を覗いたり、岩の洞穴を覗いたりしてゆっくりと歩く。正午になり、漁港にある食堂で刺身はあまり好まないので、魚のてんぷらを喰う。和食も一週間ぶりか。
 真鶴岬からさらに三ツ石という名勝のある最先端が見えるところまで歩いた。見晴らし台という磯浜が見下ろせる茶店でアイスコーヒーを飲む。テラスのテーブルについたら、そこは日差しがきついのでとおばさんがパラソルの下を勧めるが、わたしは日差しが好きなのだ。
 下りの道を歩いて荒磯に出た。地震がきたら避難というが、海抜が書かれたプレートがあちこちにあり、震源地が近いと間に合わないだろうと想像してみる。
 汗はだらだらだ。ハンカチもタオルも捨てすぎてないので、着替えのTシャツをバックから出して、それをタオル代わりにする。
 佐佐木信綱の歌碑もあるが、石に彫られたやたら大きい先生の名前が最初にあり、そのセンスのなさに笑う。本人が一番恥ずかしいだろう。与謝野晶子の歌碑はまあまあ。
 林の中の遊歩道を歩く。聴いたことのない鳥の鳴き声が山に響く。誰も歩いていない。静かすぎる。オーストラリアに比べたら植生が豊かだとは思う。林を抜けたところに中川一政の美術館があった。こんなところにある。思わぬ拾いものであった。古本屋には親しみのある画家だが、東京生まれの画家は、この地にアトリエを作って20年も住んだ。97歳という長寿の秘訣は考え方にもありそうだ。その画家の言葉が美術館の壁にある。

 あっちへぶつかりこっちへぶつかりして歩いてきた。……今度生まれてきたらもっと賢く要領よく歩けると思うが、あまり真っすぐに無駄なしに歩くのはおもしろくはないだろう。

 まるで、わたしの旅行のようだ。今回のように完璧な旅は確かに凝縮されたように詰まっていて、無駄な動きは全くなかった。それがかえって思い出に残らないということはある。
 
 ぐるりと半島を巡って真鶴駅まで戻ってきた。サタばあさんがどこに住んで、何をしていたのか。暑いときは腰巻で海に飛び込んだ話や、魚がうまかったことなど聴いた。祖母はこの地で終戦を迎えている。どこに青森の金持ちの別荘があったのか、もはや判らないが、この景色は変わることなく、サタばあさんも見てきたのだろう。

 次は電車ですぐの熱海だ。熱海も通り過ぎる温泉街で降りたことがない。何故、立ち寄ることがなかったのか。若いときは、熱海などおやじたちの行くところだと思い、東京の奥座敷のように、観光地としてはどうも魅力も感じなかった。そこが、次第に苦戦して、斜陽化してくる。それではいけないと、地元ではビーチを作り、若者たちを呼び込むために海岸を一新させた。貫一お宮など、いまは若い人たちはほとんど知らない。今月今夜と足駄で蹴飛ばすシーンなど、ひどい、最低、DVだわと、金に目がくらんで当然よ、何を怒っているのよと、そう言うだけのこと。それでは人は呼べない。変わろうとしなければ人は呼べない。どういうふうに頑張っているか、それが見たい。好景気の場所は参考にはならないが、這い上がるところが町づくりと商売には役に立つのだ。
 熱海は、うちの両親の新婚旅行で一泊したところだ。いままで来たことのない街を見るのが旅の目的でもある。

 まずは、駅で降りると、観光案内所に行く。なんとも寂れたビルの中にあり、暇そうなじいさんが寝ていた。客だと判ると起きてきた。一人だというと、まずい顔をして、高いですよと、平均的な値段表を見せた。一人なら大枚二枚はいるか。ビジネスホテルでもいいと言うと、近くに全国チェーンがあるという。温泉旅館は諦めて、そこにした。部屋はひとつだけ空いていた。まあ寝るだけなので、どこでもいい。部屋をとってから温泉街を歩いた。
 七つの湯を巡って歩く。オールコックの愛犬の墓のあるところに来た。はて? 聴いたことのある名前だと思ったら、岩波文庫にもある『大君の都』の著者の英国の日本最初の外交官だった。その愛犬トビーが熱湯に触れて亡くなり、地元の人たちが葬式を出してやったので、英国本国に日本人の思いやりを報告したのがこの本にあるという。
 坂道のある街で、降りるのは楽だが、上るのがきつい。今日もよく歩いた。海岸を歩いたら、恋人たちの聖地というモニュメントがあり、なんとカップルばかりがいちゃついている。おやじは場違いだ。その中で、喧嘩をしていて別れ話でもめているのが一組いて、耳を傾けた。そういう人の不幸は面白い。
 人工のビーチの傍に例のお宮の松の二代目がある。誰も見てゆかない。尾崎紅葉もそのうち忘れ去られるか。古本屋に「きんいろやまたはありますか?」と、若者が買いに来たという笑い話がある。

 帰り道で、おしるこの看板。食べたいが我慢する。ところが綺麗な和菓子屋の前を通り、ついふらふらと寄る。へたな店でおしるこよりは和菓子屋で好きなものをチョイスして、店内で食べたほうが、お茶も無料でテーブルもある。サービスがいい。冷たいお茶もと出してくれる。
 夕時になり、晩飯だとあちこち覗くが、覗くと暖簾を仕舞う。六時前にみんな店じまいだ。それかやめている店や休んでいる店など、すっかりとやる気がない。どこでも断られ、駅前までくると、全国チェーンの居酒屋があり、ここまで来て、どうしてそんな店に入らないといけないのかと、仕方なく入る。ポッピーハイとあれこれと腹の足しになるものを頼んだ。地元の店がどこも閉店するので、そこには次々とお客が入る。どこの地方都市もそれだ。全国チェーンに席巻されるのも無理はない。ビジネスホテルにお客を取られるのも、一人では高いからだ。四人五人部屋ばかりで、団体という売上げの高いことしか頭にはない。そういうかつての考え方と、効率のいい大部屋の造りで、最小人員の旅行がいまは多いのに対処できないのだ。思い切って、部屋を改造して、一人二人の客用の部屋を多く造ったほうがいい。もう団体ばかり相手にしていては個人客は呼び込めない。これが斜陽の原因なのだ。時代に温泉街や観光地がそぐわなくなっている。一番多い客層を断り逃がしているのだ。
 ホテルで酒宴をしようとコンビニでいろいろと買って戻る。地元にはあまり金が降りない。みんな全国チェーンの売上げだ。