起きたらすることは汗で気持ちの悪い下着をシャワールームで着替えて捨てること。隣の仕切には女の子が入っていてシャワーを浴びている。なんだか想像する。
 六時半だが、どこかで朝飯と、隣がセブンイレブンでよかった。もう開いていた。ピタパンと牛乳で窓辺の椅子に座って第一日目の飯。タバコは店内どこでもダメで、外を歩いて吸っている人もいるが、何か罰金が厳しいとか。だけど、ホテルや施設の玄関には小さな灰皿が必ず設置してあり、喫煙場所とある。そこで吸いながら観光バスを待つ。最初に着いたバスに乗って、予約票のプリントを見せたら、別のツアーで、予約名簿にはない。後からもう一台来るからと運転手氏。
 次の観光バスにはわたしの名前があった。そのバスでゆくのではなかった。市内のホテルを回って、参加者をただ集めるためのバスで、発車場所のツアーオフィスにはそうした二階建のバスが並んでいた。日本人はわたしだけか。どうも東洋人もいるが、われわれが見たら解る。日本語音声ガイドGPSを貸してくれた。そんなのは使ったことがない。展覧会でも借りないが、せっかくの好意だからとヘッドホンをあてると、その場所に来ると説明が入る。なんと便利な。

 第一日目のツアーはオーストラリア大陸の下の海岸線を何百キロか走る。グレートオーシャンロードの日帰りツアーという人気のコースなのだ。いつもなら、そんな観光コースには乗らないわたしだが、年とともに面倒になり、五千円くらいの金で案内してくれるのだから、ただ座ってついて歩けばいいのが楽になる。もし、同じコースをレンタカーを借りて自分で回ることもできないが、やれば時間と金はそんなものではすまない。
 寝不足がここに来て、眠くなる。外の景色もすっと夢の中へ。何か着いたところが川縁の公園であった。トイレ休憩のようだが、運転手は面白いおやじで、バスの収納から折りたたみのテーブルを出すと、10時のティーパーティとなる。紙コップにタンクから出した紅茶をふるまい、テーブルにはクッキーやお菓子が並び、ピーナツやジャムを塗って食べられるようにする。熱い缶に入った紅茶を運転手は振り回して、どうだい、こぼれないだろうと、拍手喝采。そういうパーフォーマンスも披露しなければならない。公園でおのおのがクッキー片手にティーを飲む。なんだかほんのりと幸せな気分にさせられる。

 目的地は遠い。高速ではなく普通国道なのだが、それでも時速百は出ていたろうか。バスはよく揺れた。車酔いのする人には絶対にお勧めはしない。しかも、街路樹にバスが枝こすりしても知らん顔。みんながそうしている。日本なら、枝が道路に張り出すと、切ってしまうのだが、そこは自然と共生する考えなのか、枝を切るくらいなら、車の傷なんかというようなものだろうか。
 バスは名所やビューポイントで何度も止まる。そのたびに60人くらいのツアー客はぞろぞろと降りる。集合時間なんか言わない。勝手に戻ってくるのを待つだけか。渚の綺麗なところはさしづめ渚百選の上位といったところ。
 昼飯は各自が勝手に好きな店で食べられるように、アポロベイという観光地の村に止まる。ぞろぞろと老人たちについていったら、何か高そうなビストロに入る。それより並びのファーストフードぽいところが安かったのだろう。ビストロで名物のフイッシュ&チップスとコーヒーにした。本場イギリスでも食べたが、ここのは量が多い、これでは高カロリーだ。揚げ物禁止で、ずっと食べていなかったのが、ここでたらふく食うが、もうしばらくはいい。
 中年の男女はみんな太っている。それでもメタボと騒がないし、糖尿病と言われないのは、この前の検査で勉強したが、モンゴロイドは人種の中で糖尿病にかかりやすい遺伝子を持っているのだとか。やはり先祖が何を食べてきたかによるのか。肉食人種と菜食人種の違いもあり、オージーもやはり肉なしでは生きてゆけず、体がそうなっている。われわれは脂も肉も覿面なのだ。
 同じバスの後ろの席に二歳くらいの男の子を連れたマレー系の若い夫婦がいたが、奥さんだけがコーンスープを頼み、それを子供にもすすらせていた。旦那さんは何も食べないで我慢している。移民たちの生活も楽ではなさそうだ。
 並びの店で何か記念の土産を買う。薄くて軽く小さなもの。

 次にバスが止まったところは、ポートキャンベル国立公園の中の、今回のメーンである奇岩美だ。12使徒やロックアードゴージという人気ある場所でみんなを降ろした。長い間の波の浸食で陸地から離れた奇岩が様々な形をしている。それをキリストの弟子に見做した。リアス式海岸というより、ジグザグに切り取られたジクソーパズル海岸だ。それを見るためにヘリコプターに乗る客もいた。空から眺めたほうがみんな見える。この前の気球の事故なんかもその類だった。
 浸食はいまでも続いているので、数えたら12はなくて、10より数えられない。かつてあったものが崩れて海に姿を消した。こうして見られるのもいまのうちなのだ。
 よく歩いた。岬の展望台まで歩くのも結構ある。さらに下から眺めようと、階段をずっと降りて砂浜に出る。不思議だと思うのが、この海は南極海なのだ。海の向こうに南極がある。
 いつものように砂浜を探す。鯨の骨が磨耗したものがいっぱいある。ホウェール・ウォッチングもできるところがあるという。
 途中のユーカリの木の上にコアラを見つけた。じっとしているので、何か丸く黒いボールのように見えた。

 オーストラリアは山がない不思議な大陸であった。どんなに高いところでもせいぜいが二百メートル少しと、それは丘であり山とは呼べない。それでいて、洪水がよく起こる湿地帯だとか、砂漠だとか、広い国土で宅地や耕作地にできるところは少ない。放牧も洪水のあるところでは無理だという。なんだか、そうして眺めるオーストラリアの一部ではあるが、荒削りの大自然がそのまま放置されているのも頷ける。開発しようにもできないのだ。
 あちこちの村で、セールの看板のついた別荘などの物件が目立つ。空き家や売り家も実に多いのが、必ずしもこの国は豊かではない一面もあるということを見せていた。
 最後の村はポートキャンベル。入江の懐かしい雰囲気の村だが、そこに観光バスが止まり、ひとつしかない売店に殺到したから、店のおばさん一人てんてこまい。わたしも何かコーヒーでもと思ったが、並んでいてやめた。

 後はひたすら戻るだけ。帰りのバスの中では眠れた。全員をホテルの近くで降ろすので、時間はかかる。みんな降りて、わたしと数人だけが、最後にサザンクロス駅近くで降りた。そういえば、南十字星は見えるだろうか。あいにくの曇りで何も見えない。

 サザンクロス駅の上にあるファーストフード店で晩飯として、この記録をつけていた。階下にはスーパーマーケットもある。値段の勉強で見てゆこうか。スーパーで値段を見たら驚く。円安でオーストラリアドルも一ドル百円近いのだが、それでも板チョコが普通に三百円とは。倍以上の気がした。かつて世界一の物価の東京もいまや地に落ちた。大好きなチーズも高すぎて買う気がしないが、味見のつもりで買ってみる。なんでも高い。手が出ない。円高から円安に一挙に三割は高くなる。さらにここオーストラリアは景気がいいので、物価高に旅行者たちは泣くのだ。
 ホステルに戻り、シャワーを浴びた。四日ぶりにぐっすりと寝る。