どこの方言もそうだが、次第に若い人たちは使わなくなる。テレビや映画はわたしら子供のときからよく見たから、そのせいではなく、若い人たちの行動半径が広くなったからだと思う。生活圏も広い。昔はその土地から出たことのない人も多かったが、いまは、大学進学や就職で東京や仙台に出る。そこで知り合った他県の女性と交際して、結婚する。
 うちの二代前の親戚は、従兄妹同士で結婚したり、同じ部落内の遠縁と結婚したりした。いまでも郡部に行くと、同じ姓が密集する土地がある。木村ばかりだとか、高坂ばかりだとか、近親結婚で納豆のようになっていた。わたしが前に住んだ温泉街でも、みんな保育園から一緒の仲良しで、高校になればようやく離れるが、その友達同士で結婚するから、実家は互いに近かったりする。狭い範囲だけの人間関係ならそうなる。
 うちの三人の息子たちも、相手の嫁さんは青森県内だ。地産地消でいい。わたしは長崎からもらったので、里帰りは一年に一回だが、大変な出費であった。一年間こつこつと貯めた金がその一週間の旅費と土産で消えてしまう。いまは、そういう他県から、あるいは外国からと、国際結婚も珍しくはなくなった。
 母親が九州から来ると、最初のうちだけは九州弁を使っているが、そのうち、津軽弁が混ざってきて、変な言葉使いになる。どこかおかしいのは、アクセントが変なのだ。
 うちの息子たちは、そういう親に育てられたので、年寄りも同居していたが、そういう時期はあまりなかったので、純粋な津軽弁を知らないで育った。わたしも、商売をしていたので、家でもあまり津軽弁を使わないできた。地元では、自分のことを「おら」とか「わー」と言うが、わたしは若いときから使ったことがない。仕事用の言い方がそのままで、わたしと言ってきた。「ぼく」と言ったこともあまりない。何か恥ずかしい気はいまでもする。ところが、うちの親でも親父のほうはやはり長く商売をしてきたので、わたしで、「オレ」とは言うが、「おら」と言うのは聴いたことがない。ばあさんも店に出ていたときは、すまして「わたし」であったが、いまでは家から出ないので、「おら」になってしまった。  
 友達関係でも、いろいろと混ざっている。生粋の津軽人というのがあまりいない。親のどちからかが、新潟や富山、北海道であったり、生まれたところも茨城や東京と、結婚して青森に来て何十年という人は多い。それで、会話をするとすぐに判る。津軽弁は割りと抑揚のない平坦な言い方なのが、イントネーションがおかしく聴こえる。
 息子の嫁さんたちは、ちゃんと親から津軽弁を聞いて育った。それが普通なのだが、うちの息子たちは、夫婦でおかしいと言い合っている。「そんなの聴いたことがない」と、息子たちが言い張る。悔しがって、わたしが東京に行くと、「お義父さん、かでで喰うって言いますよね」と、わたしに助け舟を求める。「かでる」とは、添えるとか加えると言う、おかずをご飯の上に載せて食べたりするときに使う。息子はそんな変な言い方と笑ったので、嫁は頭に来る。「えんずい」や「もちょくちぇ」という言葉もあまり使わなくなった。不快な感じやこそばゆいと言った意味に近いが、ちょっとニュアンスが違う。ずはり言い当てる標準語がない場合もある。「からきず」な女という言い方も、情張り、我が侭とも訳せない。
 この前、親戚の葬式で階段を上がるときに、ばあさんに「ちゃんと、たもつがって」と、わたしが言ったら、従兄は笑って、「いまの言葉、若い人なら判らない」と、久しぶりで聴いたように言う。手すりを掴んでと言ったのだ。
 うちの女子は純粋な青森っ子なのだが、いろいろと質問するともう答えられない。「かっぱにする」は「逆さに引っくり返す」。「あっぺ」は「反対だ」。着るものが前後間違えて着たらそう言われる。
 体の部位などは、もうそんな言葉は使う人もいない。「あぐど」は「かかと」、「ぼんのご」は「後頭部」、「おどげ」は「顎」、「よろた」は「太腿」、「なずぎ」は「額」、「へじゃかぶ」は「膝」……と言っても、???だ。しかも、ここでひらかなで書いたが、実際の発音は微妙に違う。文字では書けないような「へ」と「ひ」の間みたいな言い方をしたりする。それに、津軽でも広いので地域によっては全然違ったりする。

 この前、田沢湖高原温泉に入りに行ったら、休憩室の壁に秋田県の観光か何かのポスターが貼ってあり、いろんな食べ物屋さんやグルメが並び、中央に大きく「け」と書かれていた。わたしは笑った。秋田県も津軽弁に近い。秋田の人と津軽の人が話しても違和感がない。「け」と言うのは、「喰え」という方言なのだ。丁寧語もくそもないが、「け」と言われたら、酷い言葉ではなく、優しい言葉に聴こえる。「食べなさい」に近い。

 「けり」や「まぎり」はアイヌ語で、博物館でその現物が展示してあるとそう書いている。「靴」と「小刀」(われわれは鉛筆削りのナイフをそう呼んだ)のことなのだが、すっかりと津軽弁になっている。
 太宰治の津軽弁による昔話には、「長え長え昔噺、知らへがな」とあるが、わたしが言うなら、「知かへらがな」のほうがぴったりとくる。「山の中に橡の木いっぽんあったずおん」の語尾の「ずおん」はいまは殆ど言わないが、言っても、「おん」は聴こえるかどうかぐらいだ。
 息子と二人でラジオ番組か何かで聞いた津軽弁と英語の合体語、「へばナイスデー」というのは、いまや、毎日使っている。津軽弁でいい言葉は、さよならの代わりに、「せば」とか、「へば」と言うのだが、それは「そうしたら」ということことで、その次に続くまたね、とかさよならを省いた親密な挨拶なのだ。Have a nice dayを青森ではへばナイスデーと言うのだ。そのうち、そういう冗談方言もいつしか方言になっているかもしれない。

 ハングル語を聞いていると、なんだか懐かしい気がするのはわたしだけだろうか。語尾に「よー」がよくついて聴こえるのが、津軽弁に似ている感じがする。東京に出て、津軽弁丸出しで話していたら、近くの人が、ひそひそとこっちを向いて話していたのが聴こえた。「韓国の人がいるよ」と、言うのだ。海の向こうは朝鮮半島だから、古代から交流はあったろうし、言葉も繋がっていてもおかしくはない。
 区分され隔離され、自然や政治でも言葉は伝播し変化してゆく。方言が消えてゆくのも時代の流れで、この半世紀だけを見ても大変な変わり様で、情報が隅々まで伝わるように言葉が均一化してくる。われわれが、平安時代の人がいまここにいたら、きっと会話ができないだろうと思うが、千年で日本語自体も変化して、きっと現代人が聞いたら笑うような言葉であったろう。これから千年後にはどんな言葉を話していることか。方言もその中で淘汰されて、史料として残されるか。ところで、そういう各地の方言は、きちんと録音されて新しい媒体に保存されているのだろうか。じじばばはどんどんと死んでゆく。言葉も一緒に死んでゆく。純粋な津軽弁を使える人はもういないのではないか。