TERAYAMAはあの世に生まれて30年が経った。この世にいたときは、わたしとの接点はまるでなかった。どちらかというと、遅れて後を追いかけるように、幼稚園、小学校、中学校、高校と先輩ではあったが、年が違いすぎる。わたしのいま住んでいる町内に子供のときにTERAYAMAは母と暮らしていた。歩いてすぐのところにいた。
 幼稚園の園長先生は、戦前のTERAYAMAのことをよく話してくれた。卒園した元園児などあまたいるのに、よほど印象に残っていたのだろう。しかも戦前に聖マリア幼稚園にいたTERAYAMAのことを、しゅうちゃんと親しげに呼んでいたほど、気にかかる子供であったのか。
 TERAYAMAの話はよく先輩たちから聞かされた。仲のよかったペンキ屋の次男坊は、上京してTERAYAMAの門下に入りたいと、わたしに打ち明けた。彼はわたしより二つ上だが、同じ高校で、やはりTERAYAMAにかぶれた一人であった。彼は、いまはアスパム通りという名がついた八甲通りの協働社の靴屋の裏にあった喫茶店かスナックのような薄暗い店にわたしを連れて行った。そこにTERAYAMAとそのとりまきがよく来ていた。溜り場であったというのだ。彼の臭いだけをいつも嗅いでいた。

 いま、三沢の寺山修司記念館の館長をしているエイメイさんとは。たまに呑む。彼は、いまは北の街という青森のミニコミ誌に『修司さんへの手紙』というさすが詩人のエイメイさんたる連載を毎号書いている。

 寺山さん、今年はあなた、没後30年なんですよね。どんな感じですか。30年間も死につづけている感じって。

 ヒデアキさんをみんなは長年、エイメイさんと呼んでそうなってしまった。彼はTERAYAMAを追いかけて上京し、天井桟敷の役者になり映画にも出た。寺山をして、「おっ、来たか、エイメイ。詩人って顔してるね」と言わしめた。彼はわたしの高校二年先輩だが、本当は三つ上だ。高千穂遥のように、自転車を乗り回すところはわたしと合うところがあった。精悍な容姿からは詩人は程遠い。ところが、サイクルウエアを脱いで、舞台に立つと、彼は狂気に満ちた詩人になる。最初は静かに、それから次第に高揚してくる感情を抑えることができないように、言葉は爆発する。

 わたしの在籍している「遥」という隔月発行の同人誌を主宰しているのが弁護士の金澤さんだが、先生もTERAYAMAとは高校の同級生であった。『修司断章』という思い出を綴った本も出され、青森ペンクラブでご一緒で、事務局長をされていたとき、その講演もされた。
 もう一人、同級生というか、新聞部の編集長をしていた藤巻さんがいる。写真家としては青森では第一人者で、小島一郎の弟子でもあり、TERAYAMAとは親しい。彼が、この前、うちの古本屋に来て、いろんな話をしていった。新聞に書いたコピーをいただいたので、店の中に貼っておいた。カメラマンというとピュリッツアー賞をとってベトナムで死んだ沢田教一も同期で、県立青森高等学校では、藤巻さんと、金澤先生、TERAYAMAとみんな顔を並べていたのだ。

 そういう周辺の人たちから話はよく聴くが、ご本人だけがいない。まだ死んで30年なのだが、すでに伝説になったようだ。
 青森の人にTERAYAMAのことを訊くと、みんな批判的だ。青森の人は太宰とTERAYAMAのことは地元贔屓で好きなのだと思ったら大きな間違いだ。きっと、棟方志功もそうだが、地元の人が一番知らないし理解が少ない。TERAYAMAのように、あんなハレンチで訳が判らないものはないと、ただ、覗き見事件で捕まったことだけは覚えていて、気持ち悪いやつだと思っているのだ。

 前の奥様の九條今日子さんが、青森に来たとき、わたしが隣に座らせられて緊張した。カチカチになってお酒を注いだら、彼女は、それを知って、わたしの肩を揉んでくれた。昔とはいえ、元女優さんの隣で酒を呑んだことはなかった。「麻布にわたしの知り合いのやっているワインバーがあるから、今度、一緒に行きましょう」と、誘ってくれたが、とんでもない。いまでも足が綺麗で、そればかりを見ていた。

 『ゴドーを待ちながら』『レベッカ』のように、主人公のいない小説を読んでいるかのようだ。わたしが青森に来て、そのTERAYAMAの話を聞いたときには、彼はまもなく他界する。彼が歩いた、岸壁の魚市場の線路や、だびよん劇場や、歌舞伎座、かつてどん底という歌声喫茶のあったところだとか、そういう彼の遺跡をただ歩いて、見えない姿を探していた。

 わたしは、どうも彼を好きになれなかった。本もだいぶ読んだが、追っかけということはしない。伝説だけでいいと思っている。百年経っても、意味が判らない地元の人たちと一緒だ。
 どちらかというと、うちの息子のほうがTERAYAMAを理解するかもしれない。ナルシストではないが、息子はボクシングをやり、競馬をやり、馬に惚れている。母親に捨てられて、別に憎んではいないだろうが、どこかで求めてはいる。母というもののテーマは息子もずっと死ぬまでつきまとうものと思う。

 エイメイさんは言う。確かにTERAYAMAの弟子だが、現在64歳のエイメイさんは、47歳で止まったTERAYAMAが師なのだ。生きているわれわれは、どんどんと師の年齢を生きて、なおも長生きする。だけど、師は越えられないでいる。エイメイさんもきっとそう思っていることだろう。