昨日で一週間。月曜日に入院して月曜日がまた来る。
 健保協会から来た限度額適用認定証を1階の入院受付に持ってゆく。それは息子が昨日持ってきたものだ。月曜だから再来と新患で待合所は混んでいた。受付の女の子が、わたしに挨拶した。Aの娘です、と。名札を見て、「み○ティ」と声に出しそうになる。マスクをしているから解らなかった。大きな目がそれだった。ここにいたのか。うちの親戚の子だ。お父さんはいつも古本屋に遊びに来るが、そんなことは一度も言わなかった。ここで働いていたのか。「子供さん、大きくなったろう」「ええ、五歳です」と、何年か前にうちの店に車で来たときに赤ん坊を連れた彼女を久しぶりでみた。いいお母さんになっている。
 息子たちが小さいときに、その親戚の家で持っている隣のアパートで一家で暮らしていた。だから、その娘とうちの息子たちは一緒にいつも遊んだ。わたしも彼女が小さいときに、車で山に連れて行ったことがある。

 食堂で朝の読書。どこから来たのか、30くらいの女とその姉というのが話していた。最近聞かない本当の田舎の津軽弁だ。わたしの周囲にはいない。聞き惚れていた。さかんにどこどこのセールで冬物が安かったとか。じいさんが一人テレビを見ていた。美術の番組でよかったのに、経済の特番に切り替えて、若い人の雇用のミスマッチをどうするかという討論番組を見ている。そうかと思うと、このフロアでわたしと似ていて、気楽なおやじがいた。いつも話しかけてくる。娘ばかりの父親だが、娘のことは口ではぼろくそ。スマホのことをいろいろとこっちが本を読んでいるのに話しかけてくる。ウイルコムとドコモと二台持っているという。バッテリーが熱をもって困るとか。画面のアイコンの削除の仕方だとか。
「ここは平和だよな。別世界だ」
 そう言って、笑ってゆく。

 朝飯・赤魚の塩焼き、ほうれん草のおひたし、蕪の漬け物、卵焼き、牛乳。
 昼飯・メインが鶏肉で残した。ブロッコリーだけ食べる。キャベツの湯がいたものにドレッシング、こんにゃくと茸、にんじんのきんぴら、オレンジ。
 晩飯・鮭の甘酢あんかけもどき、胡瓜の朝鮮漬けもどき、キュウイ。もどきと言ったのは、あんかけは一度も出てこなかったからだ。コンスターチはよくないのか。汁かけばかりだった。うまくそれらしく作っていて感心する。

 竹山道雄は思想的にどうのと言う人もいるが、わたしは好きだ。『樅の木と薔薇』に書かれた空襲のシーン。人々は逃げまどいながら、生きる確率をちゃんと計算して逃げている。この病院もいつか命は取られるが、生き延びるための防空壕なのだ。そういう運命について書いている随筆とも小説ともとれる作品だ。『幻影』はナチものだが、聖書のイザヤ書を連合軍の爆撃のさなかに空に向かって祈るドイツの市民が、ヒトラーの死を願い、街の破壊を希む。それは創作だろう。『国籍』は前に読んだが、読みなおして考えさせた。若いときといまのわたしは変わっていない。
 竹山のエッセイを読んでいた31歳のとき、札幌に仕事で住んでいた。ニュースで竹山道雄の死を知る。まさに読んでいるときであった。

 午前中に病室の引っ越しがあった。いままでの四人部屋から六人部屋に。海の見える病室から、今度は八甲田山が見える南側の大部屋だ。手伝おうとすると、看護婦さんがみんなやってくれる。ベッドに荷物を載せてくださいという。それで貴重品などの入ったサイドボードと二つはキャスターがついているから、廊下をがらがらとみんなで押して、引っ越しは10分くらいですぐに終わる。わたしはその間、外履きのスニーカーとコーヒーと本を持ったままうろうろ。邪魔になるので、また食堂に戻る。
 方丈記を思い出した。長明さんは大八車で京から郊外の日野山にプレハブを分解して運び、自分でまた組み立てた。車のついたフレハブの日本最初の家だった。われわれのいるベッドとサイドボード、椅子だけの空間も方丈の一坪。引っ越しは車がついていて、あっという間だ。実に便利で簡単。現代の方丈記につい笑ってしまう。

 入院してから、毎日一編の詩を書いている。詩人連盟に出すために年に二編しか書かない怠惰な詩人であったが、暇だから、毎日書く習慣がついた。平易な言葉でしか書けなくなった。それではいけない。散文を行替えしただけが詩ではないと、言葉をイメージ化することを念頭に、いつも言葉遊びのように考えているところが面白いのだ。いまから15年前は、毎日一編は義務としてノートに書き付けていた。それが何年も続いた。書かなくなって、書けなくなって久しい。

 読んだ本のこと。渡辺一夫が好きだった。翻訳をする人はきっと、日本で出版にならない多くの本を読んでいる。それが翻訳されるかどうかは出版社が決める。売れるかどうかだ。売れそうもないが、読んで面白い奇書はいくらでもあったろう。それを『フランスの百科事典』ということで紹介している。ルネサンスの翻訳家として、その前後のフランスの文献に彼のネタ本がある。『架空文庫』などは抱腹絶倒。本棚に並ぶ全集ものに似せた物入れ、そういうふうに見える引き出しがあってもいい。それにありえない風刺のタイトルが印刷されていたら愉快だろうと、結んでいる。

 糖尿病の病室に眼科の患者が二人入る。二人とも明日は手術だそうで、看護師がその説明にきていて、本を読んでベッドに横たわっていたが、みんな聞いていた。眼科だから、何を食べてもいい。隣のじいさんの家族が大勢で来ていて、部屋で煎餅をぽりぽりとやっている。その音がまたうまそうだ。周囲はカロリー制限されている糖尿病患者たちだぞ。なんとかしろ。「コロッケも作ってきたし、蟹と漬け物いっぱい詰めてきた」と、連れ合いのばあさんが言う。田舎の人なのか、言葉がどこか下北で、きっと運動会か花見にでも来たつもりで、お重にご馳走を詰めて、食堂で宴会をしているのだろう。周囲には強烈な刺激だ。やめてくれー。

 院内放送で、患者図書館のご案内とやっていた。「何? 図書館?」そういえば市民病院にも図書室があり、うちで寄贈したことがある。ここにあってもおかしくない。さっそくいままで行ったことがない3階フロアの探検に出かける。3階は会議室と手術室などがある。そこの廊下に間仕切りだけで、簡易図書室が作られていた。間口四間奥行き一間の八畳間のような狭いところに本棚が十何本かあり、並んでいる本はマンガや雑誌、医学書、推理小説の文庫本などで、それでもまだ読んでいない単行本もあり、次回の入院のときは、今度は本を持ってこなくてもいいなと、蔵書の確認をした。ただ、蔵書は貧弱なので、うちでそのうち寄贈しようか。若い男女二人が本を見ていた。患者というより付き添いだ。借りた本はノートに書いて持ち出す。無人の図書館なのだ。

 糖尿病教室は、今日は栄養指導で栄養士さんの講義。計算方法の目安を教えてくれる。栄養交換表から、カロリー計算と献立。それは帰ってからさっそく実行しようと思う。牛乳や豆乳は毎週3本はばあさんと二人の生活では多かった。それと別で毎朝ヨーグルトも食べている。量は半分でいい。戻ってからスーパーに買い出しにゆくときは、半分でいいのと、フルーツと甘いものは控えよう。

 ベッドの上ばかりでは嫌なので、ずっと食堂を書斎にしていたら、看護婦が迎えに来る。部長先生の回診だ。そうか、月曜日だった。病室にいそいそと戻る。
 女医さんが部長先生にわたしの検査のことで説明していた。サンプリングはアメリカでは必要とのことだが、ホルモンの検査は費用も大変なので、患者さんと相談ということでと、後で請求書が怖い。

 山田美妙はシュークリームが好物であった。死に際に枕元に置いたがすでに口には入らない。本人は喜んでいたという。言文一致を創始者という文人の死に際は数人しか看取らなかった。死んだ後の枕元に黴のはえたシュークリームが手つかずであったとか。

 朝から吹雪いていた。また雪がうっすらと積もる。春はまだ遠く。
 真夜中零時、眠っているわたしの腕から採血。そっと忍び込んでくる看護婦のために布団の端を開けるという想像もした。相手は業務中だ。変なことは考えるな。

 真夜中の血液は立ったまま眠っていると寺山修司は言わなかった。