入院二日目。

 朝食・卵焼きとほうれん草のおひたし、牛乳。
 昼飯・しらすの混ぜご飯、りんごなど。
 晩飯・かれいの焼き魚に肉なしのスキヤキ、キュウイフルーツ。

 いつも完食だ。好き嫌いは殆どない。量は足りる。さほど動かないし、寝たり起きたりと汗をかくこともない。同室に一人入る。若い男性。前からいる人もわたしより太い。肥満が糖尿病とは限らないが、わたしもそういう目で見られた。同室の人は食事の量は足りないと言う。喉が乾き、水分は異常に摂る。わたしはそんなに摂らない。入院したときに買った小さなエビアンにはまだ手を付けていない。出されたお茶と、毎日二回は下の売店で買うブラックの無糖コーヒーだけで足りている。一日食事もいれて水分摂取量は2リットルぐらいだろうか。それで、今日の朝8時から48時間の尿をビニール袋に入れるよう言われた。そのためのメジャーカップを売店で買ってきた。大ジョッキでなくて大丈夫かなと看護婦に冗談。おっとっとっとと溢れたらどうしよう。いつも笑わせている。その尿も水分をさほど摂っていないからそんなに溜まらない。

 入院患者にはバーコードがついたリストバンドが腕にはめられる。検査のときには、それをピッと認識させて患者のデータを登録する。看護婦たちは端末の検査機器を持ち歩いて、それがナースステーションにあるコンピュータに送信される。どうも、そのバンドは囚人のスティグマのようでもあるが、間違いが発生するのが一番困るのだ。患者本人であるか、必ず名前を言わせる。もし、データ取り違えがあれば、誤認治療もあるので危険なのだ。

 もう、医師はわたしを糖尿病と断定。ただ、数値はぎりぎりのところで、まだ入口だ。今日はまた一日で7回の採血をする。時間別の血糖値などの変化をみる。
 と、いきなり眼科に行くよう呼び出しがあった。糖尿は、合併症から調べる。三大合併症は、腎臓、眼、神経だから皮膚科も受診しなければならない。糖尿による網膜の異常を調べる。それでジャージ姿にスリッパで1階の眼科に行く。外はまだかなりの雪が降り積もっている。
 眼科など昨年の夏にものもらいで行ったぐらいで、そのときも40年ぶりで行った。殆ど用のないところだ。糖尿で網膜症になる。それを医師が調べているうちに、右眼の網膜剥離を見つけた。これは、手遅れにならないうちに、レーザーで焼いて治療しましょうと、その場ですぐやるらしい。看護婦が承諾書を出してサイン、費用は何分もかからない簡単な治療で18万以上という。ええ? そんなに高いの? 三割負担だから、それよりは少ないが、さらに健康保険限度額適用認定証もあるから安心だが……有無も言わせず、さっそく眼に麻酔薬をつけて、痛みはないというが、レーザーを照射。まだ心の準備もないうちに、あれよあれよとレーザー光線銃を眼の中に撃たれる。そのたびに、ズンズンと後頭部に響くぐらいだが、医師はわたしの眼の奥の敵をやっつけるのに夢中だ。面白そうだ。やらしてくれないかなと、そんな冗談も出る間もない。まさか、こんなことになるとは。あちこち悪いところが見つかるとは思ったが、眼までか。
 わたしの友人がこれで一月入院手術した。眼の中に何か入れてうつ伏せのまま二日も寝られなかったというのを見舞いに行って聞いた。わたしのはまだ軽いうちらしい。放置すれば失明すると脅かされた。
 医師に訊いた。本を読みすぎたり、パソコンのやりすぎで、網膜剥離になるのかと。すると、医師は、せせら笑って、そんなことはない、それなら多くの人たちがなっていないといけないだろう。長年の近視からきていることもある。と、そう言われた。よかった。もしも、読書制限をされたらどうしようかと心配した。治療は数分で終わった。

 病室に戻ると、眼がまだボーとしていて、本を読むどころではない。音楽を聴いていた。そのうち検温だ血圧だ、採血だと看護婦が並ぶ。「忙しくてごめんね」と笑う。ゆっくりと本が読めると思ったのに、この忙しさ。
 一日4冊は読めるだろうと気軽に考えていたのが、3冊より読めない。しかも昔の文学全集だから、3段組の8ポイント活字ぐらいで、旧漢字旧かな遣いで眼が疲れる。現代の単行本にすれば倍くらいはありそうだ。それでも旧かなと旧漢字のほうが雰囲気が出て、わたしには読みやすい。それで慣れたのは古本屋だからだ。

 午後、糖尿病教室。糖尿病とは何かという講義が一時間少し。一度罹ると慢性病で治らない。それでも生活習慣を変えることで、セーフの状態まで持ってゆけると、ここのひとつの目的は教育入院だった。二週間のプログラムである程度は意識改善して退院できるという。問題はそれからの自己管理だ。ここに入ったからには洗脳しないといけない。徹底的に弱い意志と欲望のままの嗜好を鍛え直す。どんなに治療してもまた戻る人がいるから、教育のほうが大事なのだ。
 だけど、まだわたしは自分が糖尿病であると信じていない。それになるとあっちがダメになると言うが、まだ勃つし、使える。まだ女の十人や二十人と、大きな口をたたくが、いざ出動となると、「ふん」とあしらわれて、「ごめんなさい」。

 若い看護婦がわたしの担当で、よくやってくれる。手練手管の老獪よりは若いほうが熱心だと言えば怒られるか。研修医も若い女性で親切だ。たまに来るのがばけべそ。古参の看護婦でアイシャドーがきつい。勝手にあだ名をつけていた。妙な色気があって、親切なのだが、厚化粧はなんとかならんものか。ところで、ばけべそってなんだろう? 
 看護婦は非番もあり次々に担当は変わる。それもまた楽しめるとは、何をしに入院してるのか。気分は、糖尿病治療の最前線、潜入ルポといったところか。