一度だけ、女に頬をひっぱ叩かれたことがあった。そのときから、わたしは女からのМに目覚めた。普通なら、女に叩かれるなど、男の沽券にかかわると、プライドを傷つけられて、怒って逆襲に出るのだが、そのときは、じーんと、いままでにない感動を覚えて、しばし変な境地に浸っていた。いまでも、そのときの思わぬ一撃を思い出して、にんまりと笑う。我ながら気持ちが悪い。
 あまり人に殴られた経験はない。だからなのかもしれないが、ボクシングを見ていれば、自分もああして、思いっきり殴って殴られてみたいものだとは思う。息子が高校生では県のチャンピオンになり、熊本のインターハイでは二回戦で負けたが、彼はわたしの敵わぬ思いをはらしてくれた。
 若いときから、武道では合気道を習っていたが、あれは戦わないものだ。非戦という平和な武道なのだ。それでも、相手をするときは、かかってゆく。互いに動かないと、型が決まらないし、いつまでもそのまま動かないことになる。相手の出方で動くからだ。それは攻撃ではなく防御でもなく、自然の流れの中で相手の力を利用して倒す。科学的で理に勝っている。それでも道場では、容赦なく投げられ倒される。当然、男女一緒の稽古なので、若い女の子たちに大の男が投げられる。女子大生も来ていた。わたしよりずっと小柄な子と組んで、技が決まると、相手は男だから容赦はしない。いい練習台になる。手加減しなくてもいい。思いっきり投げればいい。わたしも図体だけは大きいが、その彼女らの練習台になった。
 こういうことはスポーツの世界ではいくらでもある。わたしが中学のときには、バスケットボール部であったが、男女一緒の練習であった。わたしはキャプテンをしていたが、新人戦の初戦で負けるという、部の歴史に汚点を残した。それまでは、男女共に県で一位を守り続けていた名門の部であった。わたしのときが最低で、コーチの先生はわたしをキャプテンからおろして、ただ背が高いというだけで、運動神経のない自分がすっかりと自己嫌悪に陥り萎縮してしまう。弱い男子に強い女子で、男子は女子の練習台にさせられる。
 優しい男たちに対照的なのが、強い女の子たちだった。時には怒鳴られ、詰られ、笑われた。それに悔しさはなく、虐げられるほど、快感を感じていた。危ない。自分の中に、実に恐ろしい隠れた顔が芽生えていた。
 女の中の男一匹で育ったこともあり、姉たちにいつも弱い弟は罵倒されたりしていた。小さいときから、きっとそんなアブノーマルな生活環境はあったのだ。
 
 かといって、鞭で叩かれ、ピンヒールで踏まれ、ろうそくを垂らされるというような悪趣味まではゆかない。それで快感を感じるほどでもない。まあ、ピンヒールで踏まれたいとは思う。特に背中や肩の凝った部分などは、いつも踏まれたら気持ちがいいなとは思う。
 どうも、強い女性に憧れる。男みたいな女に惚れやすい。女女した女は嫌いで、若いときにつきあってきたのは、純情可憐なのもいたが、どちらかというと元暴走族のスケをしていたような、本性はきつい女の子であった。格好いいと、うっとりと眺めている。スケバン刑事というマンガと映画もあった。ヨーヨーはちょっと幼稚だが、憧れる。

 その反対に、男には滅法強い。負けたくない。男は外に出れば七人の敵がいる。闘争本能は男に自然と備わっているものかと思うときがあるが、ひ弱な男が増えた。草食系から、最近は何を考え、どこにいるのか判らない昆虫系という男子も増えたとか。
 古本屋になり自営業になると、誰も助けてはくれない。自力で這い上がらないといけない。すっかりと裸になり、古本屋で家族を養い、食ってゆくには、外敵には強くなけければいけない。チンピラみたいなのが店から本を持ち出す。堂々としたものだ。走って追いかけて本を取り返すと、警察に連絡するぞ、二度と来るなと、多少は震えながら怒鳴っていた。万引き少年たちに集団で襲われる。逃げる一人をとっ捕まえては殴る。当時は、いまのように暴力がどうのと騒がなかったから、古本屋のおやじは怒れば怖いと、少年たちの間では話題になっていたようだ。何十人も万引きを捕まえて、抵抗すれば叩く蹴る。怪我はさせなかったが、そういう子は親にも叩かれたことがないようで、懼れて泣くのだ。それぐらいのお灸はすえてやらないと、常習犯になると少年のうちはA.Bだが、社会に出てからはごめんなさいでは済まない。そういう捕まえて殴った子が、後で仲良くなり、修学旅行のお土産を持ってきたり、卒業式のときに花を持ってきたりした。いまではみんないいお父さんにはなっているだろう。

 前に市民オンブズマンに入っていた。不正は許さないという正義感ではなく、のさばらしておくのを叩くのが好きで、きっと、社会悪に対してはかなりのSなのだ。新聞の発言欄への投書もよくする。会にはずっと仕事が忙しくて顔も出していないが、仲間はいまでも報告にきて、行政に立ち向かっている。ただ、商売をしていれば、いろいろと不都合なこともあり、役所相手の仕事もあるので、顔を出せないということもある。いろんな団体で街頭活動をするときも、手伝いたいが、旗色を見せられないのが商売人だ。いろんな方が店を利用する。

ギリシア時代から、『女の平和』にあるように、外では戦士である男たちも、奥さんにはかなり弱い。いつの時代も東西とわず、男は女の尻に敷かれていた。フェミニズムとは、言い方を変えたもので、実のところは頭が上がらないだけのことだ。
 
 わたしの周りを見れば、奥さんに頭が上がらない、娘にも弱いお父さんのなんと多いことか。一度でもいいから亭主関白の男と出会ってみたいと思うほど、みんなだらしがない。久しぶりにと、奥さんの寝室に忍び込んで、蹴飛ばされたり、だいたいが夫婦で別々の部屋に寝ているのが多く、それがあたりまえなのかと思うほどだ。
 仲間と呑みに行っても、自分は浮気はしていないと、「いま、喜多村と呑んでいるから」と、ケータイをわたしに渡し、「いつもお世話になっています。ちょっと夜遅くなりますが、旦那さんを借りてますから、ヒック」と、なんでわたしがアリバイ工作のように使われないといけないんだ。恐妻家というのも実に多い。ペンクラブにも怖い女性たちがいるが、わたしにとっては居心地がいい。みんなは恐れをなして、できるだけ刃向わないようにしているようだが、事務局長とわたしは、言いたい放題。仕返しがまた嬉しい。
 昔はこういうわたしのような男は変態であったが、いまは普通なのだ。この世で生き抜く男たちの姿形を変えてゆく智恵なのだ。男という哀れな動物の話だった。