若いとき、中学、高校、大学生のあたりはそんなに本は読んでいなかった。大学の教科書でも最初だけが線引きをしていて、後は開いたのかというものだった。全く勉強もしていないで、一体、あれほど自由な時間があって何をしていたのか。いまから思えば、実に勿体ない時間の使い方をしていた。
 もし、若いときに戻れるなら、いま以上に本が読める。自堕落ではなく、密度の濃い青春時代をやり直せるとは思う。人とのつきあいも、サークル活動も、旅も、勉強もだ。友達もなく、不登校で部屋に閉じこもっていたのはどうしようもない。そのツケが社会に出てからきて、慌てて勉強しても遅かった。無知からくる失敗は若いときはいいが、社会人になってからは取り返しがつかない。

 中学のときは、夏休みなどの課題図書が与えられるか、自由に一冊の本を読んで、その読書感想文か、みんなの前で発表させられた。何を読んだのか。マンガばかり読んでいて、将来はマンガ家になろうと、友達とケント紙に枠を描いて、せっせとマンガを描いていた。絵はうまかった。出せば入選していたから、常に図工と美術だけは通信簿が5であった。それで、話すことが空想科学劇場と、当時、テレビでやっていたアメリカのSFドラマに夢中になり、喋ることがみんなマンガでと、親はわたしの将来を案じていた。
 読書は国語の宿題として読んだ。娯楽ではなく、あくまで仕方のない宿題として、いやいや読んでいた。テレビとマンガ漬けの子供時代で、活字を読む習慣がなかった。それではいけないと、父親が読書好きであったので、本屋に頼んで、少年少女文学全集を買って、わたしの部屋の本棚に並べてくれた。小学館のやつで、やはり環境作りは大事なのだ。部屋にあると、なんということなく手にとって、いつのまにか読んでいる。それが面白いと、次々に読んで、殆ど読破していた。『幸福の王子』と『フランダースの犬』では泣いて読んでいた。『小公子』では、自分もいつか迎えに来るのではないかと、親に、本当の子供かと聞いた。
 親は、戦記ものの揃いも買ってくれた。それも面白い。乗馬のオリンピックメダリストの西中尉であったか、アメリカの呼びかけで助けようとしたが自決した話とか、マレーの虎と恐れられた大将だとか、ゼロ戦の撃墜王とか、軍国少年のようにわくわくして読んだ。
 そういう児童書は、みんな読んだら親父が、分校に寄贈しようと、どこから聞いてきたものか、あの頃あった田代平という八甲田山腹の開拓の牧場にあった小さな小学校にダンボール箱に詰めて、わたしが小学六年のときに手紙をつけて送ってやった。そうしたら、分校の児童たちからお礼の手紙がどっさりと来た。それにびっくりしたが、心温まる内容ではあったと思う。そうした手紙はどうしたのだろうか。みんな引越しのときに処分したのか、手元には何もない。
 中学にあがると、部活のバスケットボールで忙しく、朝トレから夜は8時まで練習で、読書どころか復習予習の時間もなく、帰って晩飯を喰ったら、いつもそのまま寝てしまう。三年間はバスケで通した。コロッケの歌にあるように、これじゃ年から年中バスケバスケと歌っていた。
 中学の国語の先生がいい先生であった。長谷川太という詩人であり、若くして亡くなり、それが『風の歌』という遺稿集も出たくらい、惜しまれた方だった。わたしはその先生の薫陶を受けた。音楽もやり、授業中にアコーデオンを手に、みんなに「妻をうる歌」とか、「惜別の歌」どを合唱させた。中学生の坊主頭に妻はどうか。また、武者小路実篤が泣きながら自作の小説を朗読したレコードを聴かせてくれた。年老いた作家が声を詰まらせて泣いているのは、ちょっと悲しい気持ちにさせた。あれは『友情』であったか、『愛と死』であったか。記憶は怪しい。
 その先生に、わたしの詩と俳句が黒板に選ばれて書かれたときから、わたしは書くということに向った。14歳が誉められれば、この年になるまで書くのだからすごい。
 夏休みで読んだのが漱石の『こころ』であった。いまでも中学生の読書ベストテンには入る。ぼちぼちと本は読んでいた。名作ばかりだが、芥川の『トロッコ』や『河童』にも不思議な世界としての憧れを抱いた。それが宮沢賢治にも繋がってゆく。
 姉は高校生のときにはまったのがシャーロック・ホームズだ。児童書だったか、そのシリーズもだいぶ読んだ。親父の書斎にも本はあったが、親父の読む本は推理小説や剣豪もの、大人の艶本ばかりで、わたしらの読めるものはなかった。ただ、その中から親のいないときに、わたしは本棚からそっとアダルト小説を抜いては部分読みしていた。挿絵のいやらしいところだけ抜粋して読んだから内容は判らない。それは大人の男になる勉強でもあった。
 高校生でも本はあまり読まない。受験勉強一辺倒で、参考書にかじりついていた。親父は空いた棚に今度は、中央公論の青い箱の『日本の文学』と赤い箱の『世界の文学』を揃えてくれた。それもところどころ拾い読みをしたぐらいで、全巻読んだにのは30歳を過ぎたときだ。資本論も30過ぎて読んだ。遅いマルキシストではあった。10代で狂わないやつはおかしい。30過ぎてまだ狂っているのはもっとおかしいと悪口を言われたが、読書全般晩生であり、ずっと遅れて走ってきた読者であった。友人たちに追い越せ追いつけと読み始めたのが30過ぎだから、みんなが当然読んできた名作も読んでいないで、恥ずかしい思いもしたし、いまさらと、隠れてそっと漱石や鴎外を読んでいた。
 だから、引きこもりの大学生のころも時間を無駄にしただけで、たいした本も読んでいない。一番いい青春時代に一番つまらない過ごし方をして、その頃読んでいたら、いまも忘れずに心に残った感動も、この年ではあまりなく、残念至極。読書は若いときにすべしというのは、捉え方の違いだろう。なににつけても新鮮であったマッサラな紙はなんでも吸収してくれたろう。
 いまでは、本を読んでも片端から忘れて、入ってゆかない。長編なんかは体力もない。根気もいることだ。面倒だから新書などの簡単な本に手が伸びる。これから何になろうというものでもないから、いまは楽しみで読んでいるのと、いまの年でなければ読めないこともある。感動だけはどうも薄れているのがいまいちつまらない。どうも惰性で読んでいるふしもある。無意識に読むのもボケ読書か。