いつもどこかに夏を意識している。思い出も夏に強い印象で焼き付ける。八月が一番好きだというのも、北国の人間だからだろう。どんなに暑くてもいいし、嬉しくなる。いまはあまりやらないが、マリンスポーツが好きで、ゴム製のヨットも前にはやっていてそれで我慢していた。シーカヤックも安いのを買って遊んでいた。スキューバもやり、若いときはウエットスーツを従弟が神田のスポーツ品店に勤めていたのでオーダーした。それを持って伊豆や千葉の海で潜る。水中カメラも持っていた。夏は何日海で泳げるか、意地になっている。去年は八回泳げたから、今年は十回はしたいと。こんがりと日焼けするのが毎年の楽しみで、みんなには皮膚ガンになると脅かされている。
 逆に冬のスポーツはとんと興味がない。スキーもスケートも行きたいとは思わない。あんな寒いところにわざわざ出かける気がしれない。

 その冬に海外旅行が安くなる。それで真冬に南の国に行きたがるのは、渡り鳥と同じだ。二度、夏を味わえる。寒いときに寒いところに行った旅行はあまり思い出に残らない。強烈な色合いで残るのはやはり赤道に近い国々でだ。
 雪深い青森から逃げるように南国に行くのは最高の贅沢だ。熱帯への憧れは、ゲーテなどが温暖なイタリアへ憧れて旅行した気持ちそのままだ。フランス国内でもアルルなどの地中海に近いコートダジュール人気は文人や画家でも創作に表れるくらい。元々、ホモサピエンスの先祖はアフリカから世界に散らばっていったのだから、その回帰現象だろうか。遺伝子が回遊するように熱帯に戻りたがる。

 冬のほうが好きだという人もいる。うちの店の女子は冬が大好きで、夏は苦手とする。寒いと生き生きしてくる人、暑いと減退してくる人、様々だ。
 
 旅は特に夏に集中するわけではない。ねぶた祭りとお盆があるから、その時期はどこも混んでいて出られない。どちらかというと夏の終わりに出る旅が多い。若いときでは伊豆の修善寺から下田まで夜通し歩いたこととか、南房総を潜るためにあちこちに寄ったこと、息子たちと道南をぐるとサイクリングしたことなどすべて夏の終わりだ。
 いまはその時分になると、大人の休日倶楽部の安いフリー切符が売り出されるから、それで乗り放題で東日本を自由気ままに走るのだが、この年になると、旅の感度が鈍り、どうも思い出になんとかされることは少なくなった。

 青森の夏は短い。一瞬の夏を爆発させるような夏祭りが各地で開かれる。たった二週間だけの燃え上がる季節を迎えるために残りの季節があるような、そんな感じだ。いい思い出がひとときでもあれば、それがために冬の苦役には耐えられるのだ。耐えられないわたしのようなものが、南に逃げる。最近は思い出作りというよりも冥土の土産にという言い方をするようになってきた。この世の見納めとか、なんとなくじじ臭い。
 半年の雪の下のしいたげられた生活から爆発するような夏は、雪国の人間でなれば判らない。11月から雪が降り、遅いときは4月まで降る。本当に半年は雪の顔ばかり見て暮すのだ。うんざりとしてくる。夏は短い。30度を越えるのが7月末からお盆過ぎまで。例年なら何日もない。去年は異常であった。その短い夏に何回泳げるか。まるで冬の仇を夏にとるように、わたしは意地でも泳いでやる。

 二月は一年で一番雪深く寒い。そういうときに八月のことを思うのは、対極にいての憧れだ。去年の青森で一番暑かった日、36度だったか、わたしは古本屋の屋上で上半身裸になり、買ったばかりのビーチチェアに寝そべって、日焼け読書と洒落た。それが、コンクリートの照り返しもあって、30分ともたない。体感温度は50度以上という感じで、ふらふらになって降りてきた。だけど、そういう日のほうが嬉しい。どんなに暑くても、厳冬の氷点下の豪雪よりはずっとましなのだ。寒いときに暑いときを思う。それで温かくなればいい。逆に真夏の猛暑のときには、真冬の氷点下のときを思い出せば少しは涼しくなるというものだ。

 アメリカやヨーロッパに行ったのは航空券が安い冬ばかりなので、あまりいい思い出がない。どこに行っても、寒く雪が降っていた。暗いイメージしかないので、思い出の印画紙には鮮明に浮き出てこないのだ。やはり強烈な印象がずっと残り続けるのは真夏だ。それも海で遊んだことが一番強烈に残っている。
 スキューバをしていたとき、ウエットスーツにフィンやスノーケルの入った重いスポーツバッグを肩に、伊豆や大島、南房総を潜るために歩いた一人旅が、いまでも一番いい思い出となっている。
 何年か前に、同じところを訪れたが、あのときの記憶が飛んでいるところがあった。風景が変わっていた。40年以上経つと、観光地も様変わり。千倉の入江の小さな村では、村の子供たちが、腰ぐらいの深さの磯で、大きな鮑を獲っていた。いまは、海を覗いても、ウニすら見えない。海自体が完全な磯ヤケを起して、沙漠のようになっている。山の景色も変わったのは、植林のせいだろうか。以前は海岸はなだらかな草原であったように思うところも、雑木林になっていたりした。海岸線は侵食されないようにテトラポットが敷かれ、護岸工事もされて、砂浜が全国的に消えている。それらが風景を変えている。
 小さな雑貨店しかなかったような部落にも、コンビニができたりする。駅前の蕎麦屋もモダンなビルにしてレストランになって、近くに大きなスーパーができていた。
 再訪するというのも考えものだ。いい思い出はそのままにしておきたい。がっかりとして帰ってくるだけだ。
 水中カメラは、九州一周の旅行のときに、持ち金を使い果たし、鹿児島市の天文館の質屋さんに入れて、当時の金で三千円もくれたので帰ってこれた。
 先日、ネットでたまたま見つけた防水のデジカメとムービーカメラになる安物を見つけて購入した。海の中が撮影できるという。若いときに手放して、それをまた手にしたわたしは、少年のときと同じ気持ちになって、今年の夏はどこの海に行こうかと、この年になっても考えるのだった。