なんでも捨てればいいというものではない。うちの古本屋では、人様の家から、処分を頼まれたダンボール箱の中の本以外のものでも、きちんと確認して売れるものと売れないものを仕分けする。
 書簡など、売り物にならないものは多いが、人の手紙まで金目のものとして見定めるすごさはある。その箱の私物は、かつてはわたしのペンの仲間であり、親父の古い友人でもあった方だ。三年前に亡くなられた。それで、整理に出てきた箱なのだが、県庁時代の写真がいっぱい出てきた。見たら、知事は竹内俊吉で、一緒に映っているのが、横綱であったり、皇族であったり、有名人が並んでいる。それはそれで、生写真なので、捨てられないで、店に来る知り合いにあげたりした。値段がつかないものもあるが、記録写真なので、ゴミにはできない。
 ハガキなんかもいっぱい出てきた。秋田雨雀、菊田一夫からのもの、戦前のハガキで珍しい。書いてある内容にも興味はある。青森の画家の常田健からのハガキもいっぱい出てきた。それらもなんとか生かさないといけない。
 本に挟まっているものも、捨てないでとっておく。うちの女子にも言ってある。古い栞なんかも、一枚二枚では売り物にはならないが、三十枚くらい戦前の栞が揃って、額装すれば値段がつく。
 いろんなものが本には挟まっている。薬の効能書もある。大阪までの切符も出てきた。半世紀前は二千円でゆけた。
 と、その中にビラが一枚挟まっていた。見たら、昭和20年7月に米軍が東北の地方都市に空から撒いた空襲の予告文であった。そのことは知っていたが、現物を見たのは初めてだ。いっぱいバラ撒いたのに、殆ど現存しないのは、当時は、そのビラを隠し持っていただけでも憲兵にしょっぴかれた。ビラはすべて焼却するか、届出なければならなかった。

 ビラは、ハガキ二枚を繋げて横にした大きさで、表面には東北の都市の名前が並び、B29の写真が載っていた。爆弾を落としているところだ。裏面には警告文。それもいろんな本で読んだのと同じ内容で、日本国民は悪くはない、悪いのは軍部で、早く戦争を終らせて、平和な国を再建させたい。そのために、軍事拠点を中心に爆撃する。表の都市から五都市を選んで、近く爆撃する。爆弾はどこに落ちるか判らない。よって、その予定の都市から一刻も早く避難するように。という内容だ。
 その文面にはすでに嘘がある。軍事拠点と書きながら、民間人の住む住宅地を総なめに絨毯爆撃する。教会も病院も学校もすべてが焼き払われる。東北版と思われるビラには青森市も出ていた。恐らく、そのビラが撒かれたのは、青森空襲があった7月28日以前なのだ。仙台の地名も出ていたが、仙台の空襲は7月10日なので、その前に東北の爆撃予定都市にバラ撒いたものだろう。
 前年の昭和19年にマリアナ諸島を陥落させた米軍は、北海道までの日本全土の爆撃可能の航続飛行範囲を得られた。サイパン、テニヤンから爆撃機が東北一帯を襲うのは終戦間近になってからだ。

 いつだったか、NHKの特番を見ていたら、青森空襲のことが取り上げられていた。当時被災した市民の証言を元に千人近い犠牲者を出した真相が判ってきた。青森空襲を語り継ぐ会というのがあって、歴代の会長はわたしの知り合いで同人仲間でもあったが、毎年、証言記録集をこつこつと集めては出版したり、アメリカから、当時の貴重な青森爆撃の記録フィルムを貸し出してもらったりしていた。
 その番組にもすでに亡くなった仲間が出ていて、証言していたが、市の中心部に入るいまもある古川の弧線橋のところに憲兵が立っていて、空襲で逃げ惑う市民を追い返したという。街は火の海だ。焼夷弾が降ってくる。何故、逃げてはいけないのか。それは、逃げることは負けを意味するからだ。そして、普段から訓練している消火活動を市民がこぞってしなければならない義務があったからだ。ところが、仙台から、米軍は新しい焼夷弾を使い始めた。バケツで火に水をかければ、逆に燃え拡がるというものであった。そのことをすでに半月前に経験していた仙台の警察署から、青森市の警察に連絡が入り、水をかけては逆効果だから、消火活動をしないで逃げろという文面であったのを、無視した形になり、それが被害を甚大にさせた。全くの無知としか言いようがない。さらに、市内から疎開したものには配給も止めると脅かしたために、一旦、郊外に疎開していた市民がまた当日までに戻ってきて、その空襲に遭った。全くもって、愚かな官憲による人災でもあった。精神論だけで、勝てると信じていた一部の狂信者によって、千名近い死者を出したのだ。それから半月余りで終戦を迎える。多くの市民は何のために死んだのか。
 65年経って、テレビでそういう特番を見たとき、きっと戦争を知らない若い人たちも憤慨したに違いない。戦争というのは無差別に人を殺すことだ。いかに殺傷能力を高めるかという研究もそれぞれの国で行われていた。

 これからの戦争は爆撃ということはしないだろう。ミサイル戦で、互いの国の原発を狙うだけでいい。福島の原発事故が、日本全国の原発で起こるようなものだ。破壊力は津波どころではないだろう。一番効率よく、短時間でひとつの国を使い物にならないようにする方法だ。放射能汚染により、われわれには逃げ場がなくなる。核を使わずして、核戦争と同じダメージを与えることができる。いや、それよりも酷い状況が何十年も続くのだ。

 ビラは、ビニールの袋に入れて千円の値段をつけて出したら、すぐに売れた。当時の人たちが、後に持っていても罪になると言われた敵国のビラ一枚が千円で売れると聞いたら、きっとおったまげただろう。千円あれば戦前は、小さな家が建ったくらいだ。

 古本屋にはいろいろといろんなものが仕入で入る。軍隊手帖や記章、兵隊さんが使った水筒なども売ったことがある。戦争の記憶はいまは書籍だけでなく、道具としても、われわれはそれを買ってそれを売る。そんなものをと思うが、記憶はモノとして残さないといけない。いつまでも忌まわしいものとして、人の手から手へと伝わってゆくことで、戦争の残酷さをいまに残すことができる。
 戦争どころか、昭和も遠くなりにけり。古本屋の棚に並ぶ、戦時中の『主婦之友』。表紙に戦闘機と防空頭巾を被った婦人が銃後の守りと立っているイラスト。広告も「貯蓄は国を守る」と、戦費のない日本の実情を窺わせる。家庭菜園の作り方という雑誌にも、食糧難で、国民が腹を空かせているのが、どんな小さな空き地にも芋を植えたりしたことで偲ばれる。代用食もいろいろとあった。
 平和な国で、戦争の臭いは、古本屋か骨董品店にしか嗅ぐことができない。それがまた商材になるのだから、やはり平和っていい。