今年は還暦。男60の本厄だから、いろいろと気をつけろとあちこちから言われる。いままでが毎年厄年のようなものであった。せめて、本厄の年だけは、安泰に過ごしたい。
 わたしは、厄払いなどしたことがない。あまり信じないからだが、身内は、何かしたほうがいいと言う。もし、このわたし自身が厄そのもので、それを祓いに行ったら、急に苦しみ出して死んだらどうするのかと、そんな冗談で交わす。
 厄除けには長いもので身につけているもの、ウロコ模様のものとある。それについて誰に訊いても、説明がなされない。どうして長いものなのか。ネットで調べても、かくかくしかじかとベストアンサーも出ていない。きっと、迷信というものは、誰も知らないで伝えられているものなのだ。なんでも平安時代から厄除けという行事が行われていたとか。千年以上経つと、その理由も判らなくなる。
 男性なら、ベルトやネクタイ、ウロコ模様の財布などだというが、いまは蛇革など売っているのか。それよりも生きた蛇のほうが入手しやすい。蛇はペットブームでショップで売られているから、買えるだろう。蛇も寒がりだから、毛糸の長い服を着せて、首に襟巻きのような巻いて歩くと、なんとなく、生きた襟巻きは格好いい。
 ただ、そいつは餌代がかかる。生きた動物しか食べないとなると、それも探すのが大変ではないか。ハムスターを買ってきて、餌で与えている人もいるらしいが、それは贅沢で残酷。
 
 どうも、長くてウロコ模様というと、はっきりは言わないが、それは蛇に違いない。蛇は神の使いか。神社に白い蛇、たまたま棲みついているから、神様の化身になった。豚が棲みついても、誰も神だとは思わない。狐など何か陰険で何を考えているか判らない動物が神の使いとなれる。もぐらとかモモンガはいまだにご指名になったことはない。
 蛇や龍を祀っている神社はあちこちにある。ご神体は、そのような形をした枯れ木だ。豚の形をした木がないから、彼は神になれなかった。

 わたしのように普段はネクタイをしない仕事の人なら、長いものでも身につけないから駄目だ。何か長いものはないか。パンツのゴム紐ならどうだ。将来とも役に立つもので、いつも肌身離さず持ち歩くものといったら、首吊り用のロープなんかいいかもしれない。
 どうも、茶化してしまうが、そういう迷信は信じない。調べたら、厄除けというのは世界中にあるらしいが、すべて違う。その土地によってもみな違う。世界共通のものなどないのだ。
 日本でも迷信は地域によって違うので、鬼が災いをもたらすと、節分には鬼は外なのだが、青森は弘前の鬼沢では、鬼沢神社があって、鬼は祀られている神と同じなのだ。そこでは鬼は外とは言わない。
 国内でもみな違うから、隣国でもやらないものを信じても、意味がない。先の長いものといっても、誰もその意味を答えられないし、なんだか判らないが昔から言われていることに過ぎないのだ。
 漢字や日本語だけの文字から来る駄洒落のような迷信もある。四は死、九は苦と、そんんなものが不吉なら、韓国やフランスでは通用しないし、狭い日本だけの言葉遊びの中の迷信だということが判る。13が不吉だとはキリスト教以外の国では無意味というのと同じだ。
 考えてみたら、厄年というのはその年周りの全員に同じ災いが来るとでもいうのか。その年が百五十万人いたら、全員が厄のために酷い目に遭うというのが滑稽だ。なんとなく神社の営業ではないのかと思う。宗教はすべて危険を煽ってなんぼの世界だ。
 こんなことを書けば、また攻撃の的にされかねないからやめる。

 よく言われるのが、四十一の男の大厄は、昔なら丁度ご隠居さんになる年で、子供らが社会に出て、親の仕事を継いで、金も溜まってようやく自由になれるというときに気をつけなさいということもあるようだ。女を作るのもそういう年に多いとか。思い当たるお父さんも多いはずだ。
 満六十の本厄も、現代なら、定年退職の年で、どっさりと退職金をもらい、年金生活に入るときに、熟年離婚もあるし、リタイヤした途端、病気で倒れるお父さんも多いから気をつけるようにということかもしれない。実際、新聞の死亡広告を見ていたら、これから老後という六十過ぎた年齢でバタバタと死んでいる。仕事が生甲斐で、それがなくなれば、気が抜けるのか。わたしの周りを見ても、糖尿病、心臓病、癌で、六十過ぎた仲間が戦列を離れてゆく。
 何か、人生の節目にそういう危機を暗示するような行事というのは悪いことではない。それによって、身を引き締めて、十分注意したらいいことだ。

 今年はどんな年になるのだろう。去年までが厄といわれるものすべて来てしまった。後は我が家の年寄り二人という厄が残っている。本当は、いままでの生き方を見たら、このわたしが厄そのもので、ぎっしりと厄が詰まったもののようだ。厄を落とすと、自分がなくなるようで怖い。いいこともあったが、悪いこともどっと来る。本人はそんなことに慣れてしまい、どうってこともないが、聞いた人たちは、茶碗など落として割るらしい。かなり動揺しているのが可笑しい。息子もそんな激しい生き方にだんだんと慣れてきていて、厄の免疫ができてきている。それでなくてはこれからは生き抜いてゆけない。

 今年は、役という厄を落とす。いろんな会の役員をしている。それをきっぱりと辞めて、自分の時間を作る。仕事も非常勤にするから、一日律儀にびっしりと働かなくていい。会社の役も降りる。
 役を降りて、約の生き方をする。アバウトということで、それはいまも同じだが、ますますどうでもいい生活をする。
 少し運動もしたい。やろうと思っても忙しくて時間がなかった。これからは、春から自転車で走り回る。ランニングもする。かなり前に行った県営運動場の会員証もすでに期限は切れているか。前は、そこに仕事の帰りに寄って、温水プールで一時間泳いで、トレーニングルームで体を鍛えた。いまは完全に運動不足。体力も落ちてきている。旅に出るために足腰は鍛えておかないといけない。

 後でようやく知ったのだが、長いものとは、恵比寿・大黒の化身が竜神だとされているからというが、竜なんかいないから代わりに蛇か。どうもそういう話はしっくりと入らない。