初雪を観測した。とはいっても、霙だから、地面に着地した途端消えてしまう淡いものだ。上空はかなりのマイナスの寒気団だが、地上はまだ十度ぐらいある。温かいから積もることはない。
 天気予報では、よく青森市の観測地点で酸ヶ湯という地名が出てくる。
ー青森市の酸ヶ湯で、一メートルの積雪です。
 とか、
ー七メートルを越えました。
 とかやっているが、あれは八甲田山の中腹で、海抜千メートル近くあるところだ。それを青森市内みたいに言うな。
 まるで、知らない人が聞くと、青森って、雪深いところなんですねえ、とか、街路樹が樹氷になっていて、買い物にはスキーで行くとか。と、山岳スキーのニュースとごっちゃになってしまっている。ものすごいど田舎というより、とても人の住めないところにも聞こえる。人聞きの悪い。青森は人口は三十一万人あって、デパートもショッピングセンターもあるんだ。ドンキホーテだってこの前オープンしたんだぞ。
 だけど、豪雪都市には違いない。多い年では積雪一八〇センチという年もある。そんなのは新潟の村ではもっとあるといっても、それは山の中の村の話だ。酸ヶ湯みたいなところではない。一応、平地で人口二十万以上の都市では世界一の積雪だとか。
 八甲田山が屏風になって、シベリアから吹き付ける湿った寒気をそこでキャッチしてしまうから、雪となって市街に降ってくる。八甲田山を削れば、そのまま岩手のほうに寒気は抜けて、雪の少ない街になるのだ。
 十二月はそうでもないが、一月と二月の二ヶ月は覚悟しなければならない。秋仕舞い、冬支度が市民の間で行われる。雪囲いで、庭の樹木を筵で巻いて縄で縛る。雪の重みで倒れないように板で支えたりする。軒下の窓には屋根から落ちてくるつららでガラス窓が割れないように、ベニヤ板で覆ったり、板で保護してやる。昔はどの家でも屋根に角材が置いてあり、雪の滑り止めとしていた。トタン板の屋根が多いので、雪はある程度積もると重みで雪崩れを起こす。その下敷きになって毎年何人かは死ぬのだ。
 わたしもよく屋根に登り雪下ろしをした。トタン屋根はつるつる滑って危険だった。わたしの友人は滑って落ちて複雑骨折で長期の入院をした。
 命綱をつけて、雪べらを手に一メートル以上積もった屋根の雪を落とす。隣の家との間が空いているところはいいが、びっしりと建て込んでいるいるところでは、雪下ろしの度に喧嘩が始まる。ドカ雪が降ったときは、雪の持ってゆき場がない。それで、ともかく玄関に積んで、それをさらに遠くの指定された雪捨て場という空き地や公園まで、大きな橇に雪を積んで捨てにゆくことになる。それは何十往復しても終わらない重労働なのだ。
 金のある家は大工さんたちに頼む。一回十万円くらいとられるが、小型ダンプカーを持ってきて、大工さんたちが何人も屋根に登って雪をダンプの上に落とす。雪は港に捨てにゆく。とび職の冬のアルバイトなのだ。冬に工事が少ないからいい収入にはなるが、それも去年のような暖冬少雪なら悲鳴をあげる。
 去年はよかった。雪下ろしが一度もなかった。玄関周りの雪掻きも一回ぐらいしかなかった。積雪はせいぜい数十センチと随分楽だった。
 二年続きの暖冬だが、今年はどうなることやら。
 うちのように店が借り物であれば、屋根の雪下ろしは大家がやるものだ。おととしは、大雪で一六〇センチを越えた。そのときは、さすがに屋根から雪の塊がせり出してくる雪庇というのが垂れてくる。暖気になるといつどさりと落ちてくるか判らない。店の前の歩道は危険だ。ドアに貼紙をして、頭上注意と呼びかけて、なるべく通らないようにさせる。わたしたちは上を見ながら一目散に玄関に駆け込む。雪の塊といっても何トンもあるものがどっと落ちてきて下敷きになると、怪我では済まないだろう。いつだったか、わたしがドアに入り閉めた振動でどっと落ちてきた。数秒の差で助かった。そのスリルを味わえるのも冬ならではだ。人々は常に生死の境で暮らしているのだ。
 地球温暖化で、次第に青森も雪が少なくなるのかというと、それはタイミングの問題でそうでもない。タイミングというのは、暖気のときに雨が降って、寒気のときに晴れていれば、雪は積もらない理屈で、去年がそうだった。二月でも雨が降り、少し積もった雪が解けてしまう。おととしは、クリスマス前まで暖かく、コートもいらなかったものが、年末までのわずか一週間で一メートルを越す大雪となった。一夜で雪に閉じ込められる街だから油断がならない。
 冬は本業以外に仕事が増える。雪片付けという肉体労働だ。隣近所はみんな閑な人か、綺麗好きな性格なのか、自分の店の前には雪の塊ひとつなく、車も横付けしやすいようにしている。
 が、こっちは面倒くさがりで、仕事が忙しいものだから、雪が降っても知らん顔だ。誰かにだらしがないと言われたら、まあ、八月までには解けるだろうからと鷹揚に構えてみせる。
 少し降ったら、すぐに外に出て近所は雪掻きに余念がない。うちだけが、この辺りではいつまでも雪が残っている。別に客を入れていない倉庫みたいな店だから、それでもいいが、たまに来る知り合いは、
「車が止められないよ。雪片付けぐらいしろよ」と、文句を言いながらもスコップを借りて雪掻きをしてくれるから助かる。客に雪掻きをさせる店なのだ。
 大雪のときは、雪の持ってゆき場がない。五十メートル離れた道路中央の空き地まで、橇で捨てにゆくのも面倒だ。えい、と、踏み固めて終わりにする。歩道がうちのところだけ高くなる。事務室の窓から歩く人の足だけが見えるということになる。
 
 前に住んでいたところは駐車場の雪片付けは自分たちでやらなければならない。それを知っている人は借りるときはできるだけ道路に近いところを借りる。車を雪の中から出すのも一仕事になる。いまは、妹夫婦で所有しているマンションで暮らしているが、そこは駐車場はヒーターを入れていて雪は解けてないから楽だった。
 問題はたまに帰る自分の家だ。玄関まで階段を十数段登るような家だから、道路から玄関までの除雪をしなければならない。それから、車を置くスペースも広いから捨て場はいくらでもあるが、それも女房の車と二台分を空けなければならない。
 夜中にブルドーザーが、道路の雪を両脇に寄せてゆくのが、朝、山になっている。それを毎朝スコップでまた寄せる仕事は朝から大汗ものだ。店と別宅、本宅と雪片付けは本当のところやりたくない。スボラ決め込んで冬眠したい。
 だから、雪のない南の常夏の島で老後は暮らしたいという発想が出るのだ。
 各市町村も毎年税金を捨てるような無駄な除排雪費用がかかるだけでなく、個人でも暖房費と除雪の費用がかかっている。雪はまた経済活動を抑制する。今年のような高い灯油代の負担は家計にずしりと響く。
 雪国は万年不景気と言われるのはそのためもある。