2011年3月/福島原発事故 ブログランキングへ
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当時の反対運動のメモより。
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大雑把に私の目に映ったものを書いておきます。

私は、放射能瓦礫が北九州に来ると聞いたとき、市民運動初心者でしたので、いわき市で、色々教えてもらったY.Cさんに、沖縄でガレキを止めた方を紹介してもらいました。

当時の私は、請願書や、陳情書の区別もつかないし、

 公害協定とか、自治会長とか、

 市長に直接話せる国会議員に当たってみるとか、教えていただいても、チンプンカンプンでしたので、地元北九州の運動家と、ガレキ反対のHPを持つコドモノミライ主宰白水弘美さんに、沖縄の方の電話番号を教えて、後はお願いしてしまいました。(電話はしなかったみたいですが・・・)
 

とりあえず、自分にも理解できる事ということで、チラシを作り、署名を集めようと思い、実行しました。その中で、避難者である前主宰河内里恵さんの提案で「ひなん者お話会」を始めました。



 一方、コドモノミライの主宰は、北九州市民に反発されるからと言ってましたので、あまり乗り気でなかったように感じました。私に1日も早く、北九州市から出た方が良いと、会う度に移住を勧めました。



簡単に次の移住なんて無理。高校生もいるし、中退させることになる。


また、私は背水の陣の避難でしたので、次に移動する資金も無く北九州市から出ることはできないから、何とか放射能瓦礫を止めたい、何でもやりたい、子どもを守りたいと主宰に言いました。

とにかく、主宰は、「これ以上やったら殺される」だの、「過激なことはするな」という方でしたし、市に抗議に行っても、公開質問状に対する回答の説明会の後も、反省会も今後どうするかの、具体的な話し合いはありませんでした。
 

で、主宰に今後の運動を相談すると、私(主宰)が窓口だし、議員全員回って説得しているから、あなたは署名以外やらなくていい。と言われました。


結局、主宰に言ったら反対されるので、沖縄で何が有効で止まったのかはわかりませんが、沖縄でやった事の中に止まる要素がある筈だと言ってたことを思い出し、片っ端からやってみました。


 議員と話して、驚きましたが、誰一人として、福島の放射線量の実態を知る人がいない。議員全員が放射能汚染廃棄物を燃やしても安全だ、内部被爆はないと言ってる。
 

結局、全議員から否定され、請願を出すことが出来ませんでした。

ここに「絆」はありませんでした。



議員ろくなモンじゃありません。

 

次に、自治会長と話したくて、でもどこに自治会長がいるのか、どこに自治会長の名簿があるのかわからない私は 反原発のおじさんたちや、主宰に、相談したら、自治会長には、当たっているから、任せてと・・・あなたはやらなくていいとやっぱり言われてしまいました。



わたしは、思いつく全てをやり尽くし、やっとコンタクトのとれた自治会長と話しましたが、



「うるさい!帰れ!刺すぞ!」と言われ

ここにも、「絆」はありませんでした。



地域のボスは見張りです。

 

そして試験焼却後、コドモノミライの主宰は、運動から、消えました。

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コドモノミライの主宰が消える頃、代わって出てきたのは、

後に「ひなん者お話会」の会の名称を変える提案をしたS弁護士と現ひまわりプロジェクト主宰村上聡子です。

チラシとお話会がメインだった「ひなん者お話会」がイベントを次々にやる会へと変わっていきました


 イベント屋のように、イベントを立ち上げ、その合間にお話会をするので、私達が、家に帰るのは深夜になり、毎日ヘトヘトで、何も考えず、会の組むイベントをこなしていく日々が続きました。

そして、ある日、

青木から、大きなイベントを持ち込まれました。ガレキも止まっていないのに、100万位の会場費で200万円位のお金を集めるイベントです。協賛集め、チラシ作り、会場費、人集め、全て北九チームの負担です。


それまで忙しさで考えることのできなかった私でしたが、会場費が100万近くになるような、身の丈に合わないビックイベントを青木から提案され、我にかえりました。


オカシイ・・・・・・・・変だぞ・・・・・・・・・何故、ガレキも止まってないのに、今こんな大きなイベントやるんだ?・・・・・


第一、ガレキが燃やされてるかも知れない北九州に放射能汚染から逃げた人たちが集まるわけが無い。私だって外に出ない。このままやったら、これは大赤字になる。と、一応地元福島で小さなコンサートを何回か企画してきた私の本能が「このイベントはNO!」と赤信号を出しました。


身も心も疲れ果てた時、沖縄の人に久しぶりに連絡をとり、話をしたら、

それは、やらされている~と言われました。

もう無理かもね~

ダメもとで、全部自分でやるしかない~と言われました。

それまで、「漁協と松が江地区は、私(主宰)が窓口だから、すべて私を通して」と言われていたが、このままでは、ガレキは止まりそうも無い。


当時の「ひなん者お話会」HPでは、「漁協と松が江校区が反対している」と記載されていたし、主宰やメーリングリストにあがってきた内容や主宰に直接質問した回答では、「反対してる」ということでしたので、


「漁協と松が江の住民に直接私の福島での経験を聞いてもらい、ひなん者お話会を開いてもらえるように、交渉してこよう」と再三主宰に言ってたことを実現させたいと思い立ちました。



会に相談したら、止められるので(私を通してと)誰にも内緒で、漁協に電話し、面会し、NHKのTVで「ガレキ受け入れ反対」と言っていた、松が江校区自治連合会長と会って話して来ました。
 

話してみたら、彼らは反対ではなく、


 「石巻を助けてあげなきゃいけん」「ガレキは受け入れや」

あれ?聞いてたことと違う・・・・なんとガレキ受け入れ派でした。

セメント会社OBの松が江自治連合会長は、どこが反対だったの????という位、放射能に対する知識はゼロでしたし、何故反対とNHKのTVで言ったのか分からなかった・・・最後に捨て台詞を福島の避難者である私に、「福島は原発受け入れたんだから仕方ない、自業自得よ」~と言われてしまいました。



私は、帰り道、子ども達の顔を思い出し、「お父さんも、友達も、ピアノも全部捨てさせたのに、こうなちゃった・・・・守りきることが出来なかった」と大泣きしました。
 


私は反対だと思っていた、漁協と松が江自治連合会長が反対ではないことをメーリングリスト上でみんなに知らせ、主宰者への批判ではなく、自分達も動かないとガレキは止まらないと訴えました。

しばらくの沈黙・・・・・

 
 結局、会から、私のアプローチは違う(交渉の仕方が)

「漁協は反対してます」というメッセージが上がって来ました。


「漁協も連合会長も受け入れてやりな~と言ってるのに、どこが反対なんだろう?」私は、この時、初めてこの会に疑問を持ちました。

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もう一つメモから~奇妙な取材

毎日新聞の宍戸記者に2時間以上の取材を申し込まれました。

私は、少しは本当の事が記事になるならと、取材を受けましたが、私の体験話は、30分程で、

2時間以上、宍戸記者から、

>市長はは被爆二世だから、長崎が放射能で差別された事を悔しく思っている。
>石巻ガレキを反対するのは、石巻の差別になるから、受け入れることで、差別がなくなると思っている。

>今回のガレキは危なくない

>ヤクザは関係ない

>福島出られただけ良かったと思え

>反対しても無駄だよ 

>もう諦めて、反対運動をやめ、普通に過ごすように、

私は記者から、こう説得されました。


結局、この新聞に私が2時間以上取材を受けた記事は載りませんでした。

あの時個人情報を話した~録音されたものはどうなったんだろう・・・新聞記者が本当に怖いと思いました。

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さて、がれき焼却問題の根底にあるのが、原発ムラならぬ「焼却炉ムラと政治との癒着」
であることはほとんどネット内で常識です。このネットの常識さえ、私達の反対運動は地元の方々に伝える事に失敗しました。


  ↓以下、日本の焼却炉問題について調べたら、いくらでもこの手の情報は出てきます。

「世界のゴミ焼却炉の約70%以上が日本にあるという。約1700基が日本にある。アメリカでさえ、約150基。ドイツなどは、50基程度しかない(人口は8300万人)」

現代の日本人のライフスタイルは、食べ物も含めて、恐ろしいくらい大量のゴミを発生させている。

環境問題を考えれば、ゴミ発生量の削減・再利用・焼却ゼロを目指すべきだ。

しかし、実際は安易に焼却してしまう方向にどの自治体も向かっている。

ゴミ焼却炉建設も、政治家と役人と企業の利権と腐敗の温床。

ゴミによる環境破壊が問題になったら、まずゴミの量を減らすことを考えるのが普通だ。しかし、日本の行政が行っている政策は、ゴミの量は減らさずに、全国に1700基以上もあるゴミ焼却炉を、より強力なものへ交換してる。

火力が強いものに交換する目的は、ダイオキシンを発生させないためということもあるが、その裏にある事情は、ゴミ焼却炉メーカーと自治体の癒着。


焼却炉はPM排出源であることや、バグフィルターはPM排出装置であるを多くの人は知らないし、行政は知らせない。


ちょっと調べて、自分で行動すればこのブログに書いてあることは容易に知ることが出来るのだが、私達が自分では動かないことを国は知っているので、数人の災害タレント・友達要員を入れておくだけで、面白いように反対運動は破壊される。



これだけ複数のメモを纏めても、私が見たこと、経験したことは被害者意識とか、分断したのはそっちとか、見解の相違とか、仲間割れということにされるだろう。



これからもこの国が変わることは難しい。