今日も、私達の反対運動の経緯を当時のメモから書いていきます。
私だけのメモではなく、当時一緒に頑張っていた方々、それぞれの視点からです。

公害防止協定締結の運動の経緯まとめましたーーーーーーーーーーーーー


北九州市での宮城県石巻からの瓦礫受け入れに対し、反対運動をそれぞれの
市民団体が関わっていた。

 私達は市に対し、情報開示請求などの手段で瓦礫受け入れに関する資料一切を請求したが、市は文書名を提示することもせず、私たちが見たいと請求した資料は、ほとんど出されることはなかった。

その中でわかったことは、市と清掃工場の地元住民との間で交わされなければならないはずの「公害防止協定」の不存在。

そこで、私たちはそこに一縷の望みを託し、地元住民を掘り起し、市に対して「公害防止協定締結」の運動を起こすために、署名活動を始めることにした。

経緯

・9月中旬 署名用紙各地区担当に配布
       署名活動、チラシ配布の実働部隊結成

9月20日頃 

北九州の環境団体@@さんに署名の件を打診。@@さんが松ヶ江自治会長へ直接相談。自治会長からそのような署名はできないと断られる。

10月7日頃 門司松ヶ江地区にチラシ配布開始

10月中旬 

日明、松ヶ江地区で署名活動開始。他の団体が日明で「瓦礫反対署名」開始。「協定書締結の署名」の協力を求めるも、趣旨が違うとのことで断られる


10月20日頃 

他団体で3清掃工場の近隣でそれぞれ内容の違う瓦礫反対署名を集める。


この時期3種類の署名が別々の団体で同じ地区の住民相手に同時進行



11月中旬 

北九州市の患者団体・環境団体に公害防止協定を市に要望しないか打診するが、できないと回答される。


12月下旬

門司の恒見地区の自治会長に会う。署名はしないが私たちが署名活動をするのは認める。



12月下旬頃 

日明地区の署名活動をしている方々から恒見地区の署名よりも、日明地区の署名にメンバー全員で集中するようにとの意見が出る。


1月初旬 

その都度、実働メンバーには何度も説明していたことであるが、メンバーから改めて公害防止協定の中身や今後のスケジュールが知りたいと意見が出る。後にミーティングをセッティングする。

1月中旬 

 瓦礫受け入れが3月で打ち切りになり、実働メンバーのMLを閉じる。 MLを閉じると発表した途端、mikoさんのところに連日、運動から離れたメンバーやmikoさんの批判・中傷してきたメンバーからメールや電話が入るようになる。

1月26日

ミーティングで日明地区の署名メンバーが、集めた署名を私たちに渡さず、シュレッダーにかけたと報告。

その間、他団体は市に対して公開質問状などを提出


他団体と私達のメーリングリストに重複している人が何人か存在。


私達の 公害防止協定のチラシまきや署名活動のために他団体のミーティングに会計が欠席したということで、他団体内部から活動への不満がちらほら出、それがmikoさん個人への不満、誹謗にいつのまにかすり替わっていく。


公害防止協定の件では、当初はチラシまきなど協力的な人たちがたくさんいたが、署名活動となった段階で人数が絞り込まれていた。私は実際動いていない人に、情報を流すことについては否定的な考えをもっていた。

振り返ってみると、「公害防止協定の署名」を集めているところで「瓦礫反対の署名」を集めたり(3件以上)これでもか・・というほど邪魔が入った。

住民の何人かに当たってみて、公害防止協定締結の可能性が薄いと思われる、日明地区に署名活動を集中させようとした人たちがいた。そして、その人たちが集めた日明地区の署名を本人がシュレッダーにかけるという信じられないことが起こった。

この事実から私達の運動には、公害防止協定の署名を邪魔する人たちが始めから入っていたのだと思う。

運動つぶしは、単に人間の嫉妬もあるだろうし、自分たちの勢力を拡大したいという人間の欲望もあるだろう。

しかし、もっと大きなものが動いて巧みに誤誘導していくということのほうが多いのだろうと思う。


 これほどまでに運動の邪魔をされるということはなかったので、
この何か月かで自分で経験したことは信じられないことばかり。


また、一番動いているmikoさんに対して批判など、電話メールが集中。
mikoさんの動きが止まるように工作される。

今、振り返ってみて、反省点をあげるとすると、到達点に至る道すじが自分の中で
明確でなかったこと。

あと、人の見極めがとても大事だと思っています。

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次は、NHKの放送で「ガレキ受け入れ反対」とインタビューに答えていた、門司区自治会の方々との話を当時のメモから。2つ。
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門司区恒見地区の住民から集めた署名を持って、

 「公害防止協定書が締結されていないから、締結しましょう!私達も全面的に応援します。」

と、いいましたが、自治会長さんは全く聞く耳もたず、帰れ!の一点張りでした。

 しかし、私達が署名を集める中でこの地区の自治会の中で少なからず、自治会長に対して批判的な人たちもいました。

あと、他の地区の自治会長さんは、口調は柔らかでしたが、連合会長のところに行ってくれ。と。


 その様子から、この辺の自治会長は市から相当抑えられていると思いました。
それが、金銭なのか他の形でなのかわかりませんが。

また他の人たちには見せらせない協定書があるとも聞きました。

文書公開しても出てきませんが、あると住民は言ってました。

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門司松ヶ江自治会長に会ったもう一人のメモ。

公害協定と言った途端、話はきかない、帰れと言われ、取り付く島もありませんでした。
その後署名を700人以上集め、その総意で話を持ってきている、正式に請願書を持ってお願いにきている、と粘ったのですが、全く話も聞きません。

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山本節子さんを小倉にお呼びした際、具体的に止まった方法を教えていただきました。


mikoは節子さんに教えていただいた事と、2人の報告・自分で聞いた自治会長の話が同じでしたので、自治会長の説得を諦め、企業や行政が事業を推し進めるときにやっている「自治会長の引き摺り下ろし」をやるべき時と判断しました。

今の自治会長は、住民を守る法、公害防止協定の締結に非協力的であることを書いたチラシ配布。

地元住民をターゲットにした勉強会、グループトークを何度も開くことだと考えました。

第2弾、第3弾のチラシと共に勉強会を開きながら、自分達と地元住民の知識の底上げ、住民の掘り起こし、理解を深めていく努力をこれからする~というときに、



運動が完全に止まってしまったのです。


山本節子さんを小倉にお呼びする以前から、私は市民運動未経験でしたが、旦那が行政職員でしたので、反対運動の成功は首長のリコールか、行政が住民を説得するやり方をそのまんまやれば止まると思っていました。だいたい町内会長が不在の反対運動なんて役所が相手にするわけがありません。

どうにかして、町内会を動かしたい私達。

それを阻止するメンバー達。

この方法で@@市はガレキが止まったといくら説明しても、否定するメンバー達。

私は当時リーダーではありませんでしたが、焼却炉の近くに住み、あの臭いを嗅ぐ度に、「どうにかして公害防止協定書を締結させて、ガレキ焼却を止めたい」と一心不乱に有効と思えることは全てやりました。


私達が経験したことは、きっと他の地域でもあった筈です。

本当は動いている時に、運動の経過を書きとめておくべきでしたが、殆ど一人で動き、人と会い、勉強会を開き、チラシを撒き、バイトをし、子育てしていて、メモを纏める時間がありませんでした。

私達の経験したこと・失敗を反面教師として、このブログを偶然読んだ「子どもたちに少しでも健康に過ごせる場所を守りたい」と思っている方の参考になればと思います。