さよなら原発11.10九州沖縄集会(舞鶴公園)で、少しだけ話しました。超早口ですが・・

私が311後に見たこと、体験したことは「再エネは原発体制を補完する新利権構造」であることを認識すると理解できると思います。


原発ゼロ=再エネ推進」という構図。再エネにはすでに膨大な交付金がつき、それが電気料金の上昇につながっている。再エネが、結局は東電など電力会社を富ませるのです。


「自然エネルギー」業界が、一挙にブレークしたのは311以後。再エネ特措法で電力の固定価格買取制度が設けられ(一般市民の負担となった)たことから、業界がそちらに飛びついている原発の代替利権。


だもん、素人の私なんか、何の策もなく立ち向かったもんだから、あっさりフルボッコにされた。焼却炉メーカー=原発メーカー=再エネメーカー=武器メーカー 。何億・何兆って金が動くのですから、「信じられないこと」が起きるのは当たり前と、しっかり心構えと準備が必要でした。

反省と悔しさ、悲しみ、怒り、空しさ、でもまだ諦めたくない~という私のスピーチです。


動画→http://www.youtube.com/watch?v=NsfHqEls-yQ&feature=youtu.be


ブログ風の谷に紹介して頂きました。(より分かり易いデス )ありがとうございます。
http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/62bf455e7a04d34ee80580c5632d1112
 
 
文字おこし------------------------
 
この狭い日本に17か所54基の原発がありました。
そして原発事故があり、世界にある焼却場の3分の2にあたる1700基を持つ日本で放射性物質を含むゴミの焼却が今も全国で行われています。
 
また、全国の産廃施設では8000bq/kgまでの放射性物質を含む汚泥や焼却灰の焼成処理は震災後すぐから今も全国で行われており、人間にする仕打ちではない事を国民の意志として行っている事実に言葉もありません。
 
福島第一原発から30kmのいわき市に住んでいました。私の家は40kmぐらいありました。
 
いわき市は福島県の中でも比較的放射線量が低く、と言っても311以前の約2倍、毎時0.11マイクロシーベルトです。
 
但し、これは行政の発表した数値であって、何の意味もありません。実際に私が見た数字は色々、0.08~22μsv/hまでありました。今年の夏に帰省したときも0.2~1マイクロシーベルトありました。
 
では、私が公式発表では、放射線量の低いいわき市から自主避難を選んだ理由と、今思っていることを体験を基に話します。
 
私の職業はピアノの講師。大好きなピアノと生徒達に囲まれて充実した毎日でした。多くの人々がそうであるように、日々の生活や趣味に追われて、政治のこと、環境のこと、原発のことを真剣に考えること、興味もなかったです。311地震のあった日も、「原発」のことなんて考えるはずもなく、地震で原発が爆発するなんて・・・知りませんでした。
 
 
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では、事故の話をします。
 
311直後、長崎大学の山下俊一教授が100ミリシーベルトまで安全だと言いました。
 
年間100ミリシーベルト放射能を浴びても安全とテレビ、新聞、ラジオ、学校、講演会で行き渡ったころ、学校で0.5マイクロシーベルト、通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いました。
 
給食も最初、地産地消ということになり、教育委員会が給食を食べない自由を認めたのは、2学期になってからです。
 
ですから、100ミリ安全説を信じた人の子供たちは、地産地消をして、給食を食べていました。
 
外の放射線量は同じではありません。たった10cm違っても、2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。
 
市の職員、学校の教員は子どもを守りませんでした。私が直接知っている学校の先生は、校庭が様々な放射線量であり、それを報告し、子どもを守ろうとしたら注意され、退職しました。
 
現在も子どもと長野に自主避難しています。当時私のピアノ教室に通っていた病院の医師は家族を避難させ、自分は転勤願いを出し続けています。そんな教師や医師を複数知っています。
 
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3月11日の大地震の被害は、私の家は殆どありません。ただ、いわき市の水道が20日ほど、止まりましたので、地震の次の日から毎日給水車に2~3時間程、子どもと一緒に、普段の460倍の放射線量、毎時23マイクロシーベルトあるのを知らずに外で並んでしまいました。並んでいる時も、屋内退避の広報車もなく、私達は原発が爆発したことを知らず、被曝しました。テレビで原発爆発のニュースが流れましたが、安全だと言っていましたので、危険を知らず、ヨウ素剤も配られない中、放射性物質入りの水を飲み、その水で調理して食べました。
 
事故直後「水を飲まないように~」という指示も、ヨウ素剤も配られませんでした。
 
3月12日1回目の爆発。あとでいわき市の測定データを見ると、23マイクロシーベルト、普段の460倍あり、知らされなかったことにショックを受けました。
 
 
日本は今も安全と言っていますが、今現在私達母子3人とも、甲状腺に異常有りの血液検査の結果と、息子には、5mmののう胞があります。
報道をみると、甲状腺がんは生活習慣病になりました。また、国民病として、2人に1人はガンになるというパンフレットを福島の郡山市は子供たちに配布しています。たとえ癌になっても自己管理のせいといわれ、放射能の影響と国はいいません。
 
私は、事故直後、子供たちのホールボディカウンターをすぐにうけようとしました。しかし、どこに問い合わせても受けられませんでした。
 
では、甲状腺の血液検査を、と思い、電話しましたが、いわき市内一斉に「甲状腺の検査はしない」と、言われました。
どこで被曝した証拠を残せるかと福島県に聞きましたが、「ない」と回答されました。
 
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私の主人はいわき市の職員です。何かあったら、1番に連絡があるはずだと主人は言ってました。でも結果は原発の爆発も知らされず、母子ともに外で被曝をしました。
また、私の主人(市職員)は放射能の知識は0ですが、国から与えられた文書を丸暗記し市民の放射能についての不安の声に「安全です」と回答する電話対応に追われていました。
 
「安全かどうか、わからないんだから、そんなこと言って良心痛まないの?」と聞きましたが、「大丈夫と思わないとやっていけない。」と言ってました。そのうち、夫婦の絆は消えました。
 
事故から7か月後、いわき市発表の放射線量は0.12μシーベルトでした。でも、市役所から借りたガイガーカウンターで測ると、その時0.24、~22.14μシーベルトという様々な数字を見ました。また、有志で土壌検査や剪定した木の測定値はkgあたり20000bq以上ありました。
 
国や行政は私たちを守らないと、主人の役所での言動と放射能の測定数字を見てそう感じました。
 
 
また、市役所に水道水の中に含まれるストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を見たいと文書請求すると、「市民が混乱する」という理由で詳細なデーターを出さず、ヨードとセシウムNDの文書を出されました。
 
 
 
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私が避難を考え始まったのは、放射能を怖がるというよりは、行政、学校、議員、弁護士の対応と自分の目でみた測定値と家族におこった体の異変です。
 
毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの。これらは、原発事故後に家族、友人に実際おきたからだの変化です。
放射能の影響は癌だけではないと知ったのも後になってからです。
 
国の発表と事実はちがう。国は明らかに法律違反を市民に強要しているのに、行政職員は国の言いなりにしか動きません。
文書公開制度すら、嘘にならない嘘で市民を騙し、時間をかせぎます。
 
学校は子どもを守らない。放射能に気をつける父兄を許さない。放射能をなるべくさけようと、お弁当にすると、
他のクラスメートからいじめられ、暴力をうけても、いじめた児童父兄を指導せず、放射能を怖がらないように私が指導をうけました。
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私が、直接避難を決意したのは、娘の登校拒否です。
 
放射能を予防することを周りの空気が許しませんでした。
 
私は、それでも、両親と離れたくなかったので、いわきで暮らせる方法をたくさん探しました。
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年老いた両親と離れるのは辛い、一緒に避難をしようと説得しましたが、今更ふるさとから離れられない。と言われ、
 
夫は安全論。夫の母には、「立場をわきまえなさい」と自分は娘と孫と岩手にいるのに、私達母子は避難することを許してもらえませんでした。
 
結局、家族、行政と格闘しながら、悩み、私の両親から子どもを1番に考えなさいと言われて、夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、北九州に避難しました。
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311からあっという間に2年が経ち、福島から人を避難させるのではなく、放射能を「絆」で拡散させることを国民に選ばせました「福島に住み続けたい」と福島県民に言わせて、福島は安全、福島を除染して福島復興という空気を最初は福島県の中から、続いてガレキ処理をきっかけに全国でつくられてしまいました。また、放射能に不安を抱いていた人々に対しては、保証をしないことで、病気になっても泣き寝入り、死んでも仕方ない、逃げても生活ができないという空気が生まれました。こんな苦悩を知らない方々、環境省の前で話す私たちに向けられた環境省職員の冷ややかな視線。人々の頭の中に、福島の現実、こういう親子の存在すら関心が無いようです。
 
福島に人を閉じ込めるエートス活動成功です。保養も、食べて応援も、除染も私個人はエートス活動だと感じています。
 
なぜなら、事実と向き合えば、答えは一つなのに、保証もせず、事実もリスクも伝えない状況で、選ばせ、放射性物質を永遠に焼却し、リサイクルさせることを国民に選ばせてしまいました。
 
生活排水は高濃度の下水汚泥になり、汚泥や除染した土は焼却され、セメントなどに変わり、すべて自分に帰って来ますが、この現実と向き合うことはありません。
 
 
そんな中、放射能が低いはずの、安全なはずのいわき市に住む私の友人の甥が先日、白血病と診断されました。
 
元気だった従兄弟が突然死した次の日、友人も突然、死にました。311前は知り合いがこんなに死ぬことはなかったのですが・・
 
何でも放射能のせいとは言いません。ただチェルノブイリの教訓があります。
 
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環境省は、焼却炉の排ガスを測定するということで、国民を説得しました。「濃度」で安全とされるモノを「量」で表したら、1立法メートルあたり3.1トン~18トンの放射性物質の入った灰じんが大気中に放出されています。排ガス濃度は煙突の数で調節できることも、教えていただきました。
 
また、排ガスの測定法が原子力発電所での測定法と違うことも教えていただきました。実験したら、今の方法ではセシウムが測定できないようです。知らないという事は恐ろしいことです。
 
今も全国で行われている放射性物質の焼却も体の弱い順に被害が出ます。放射性物質と重金属などの複合焼却の危険性は海外に文献はあっても、日本にはありません。
 
私は、北九州に来て、放射性物質の焼却以前に、焼却炉がとても危険であるという事実を知りました。北九州に来て初めて喘息になりました。
 
 
ところで、北九州市や福岡市では、清掃工場や企業は、住民との間に公害防止協定書を締結していません。他の県には公害防止協定書が存在します。協定書がない場合、被害にあった方が証明しなければならず、何かあったとき、実際は泣き寝入りになります。協定書があると、協定書に定めが無いときは協議する・が原則になり、協定違反をしたら契約違反で提訴できます。
 
行政職員は法律違反ができません。嘘にならない嘘を使って住民が許可してくれるのを待っているのです。ですから、私たちは一人一人が法律を勉強して断固としてNOと言える住民を増やせば良いのだと思います。
 
行政が真っ先に説得に行く公害施設近くの住民に事実をしらせ、対話し、行政が地区の代表(ボス)に「お一人様、説得会」をするように、その地区の住民一人一人に、「お一人様、勉強会」を私たちがそれぞれしていくことが、原発をなくし、遅いかも知れませんが、福島の本当の復興が始まります。ごみ焼却の危険性を知って初めて選ぶべきことがわかってきます。
 
パソコンで調べることが出来る人、文書公開請求をする人、テレビ、新聞からしか情報を得ない人々との情報格差を、国はきちんと計算しています。
 
国や行政が住民を守ってくれる、報道は事実を知らせてくれるというのは幻想でした。
 
 
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原発事故がおこると、国は事実を隠し、地方の行政職員は知識がないので国の言いなりになり、勿論、全てではありませんが、政治家や様々な宗教、NPO、色んな団体が一致団結して、無知な国民を誘導し、それを、企業や国がバックアップしているのでしょうか・・
 
福島のある団体は、ホームページでは、放射能の危険性や避難についての情報が載ってますが、会員ページの中では、「放射能安全教育」が行われていました。また、瓦礫反対運動の中で、私たちが集めていた「公害防止協定書締結を求める署名」だけが運動仲間に無断でシュレッダーにかけられました。また、「反対してる」と聞いていた団体や自治会長からの「反対声明文」は市役所に文書公開しましたが、明確に反対ではなかったので、もう一度はっきりと、「反対声明」を出して欲しいと頼みましたが、出してくれませんでした。
 
どうゆうことなのでしょうか・・反対運動の中で、止めようとすればするほど、私だけが恫喝され、陥れられてしまいました。
 
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今は311後日本全国で急性症状の出ない放射性物質の焼却処理実験がもう2年も行われてしまった事実を冷静に受け止めています。
 
更に、先日爆発した鮫川村の実験焼却炉で形だけの報告のあと、全国で放射性物質を使ったバイオマス発電、放射性物質の焼却炉建設が始まることでしょう。福島では建設されてしまいました。危険性に気づいている人はとても少ないです。
 
 
 
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今後も、これまでと同じようにメディアは国民を教育する報道をし続けることでしょう。
 
私達が、自分で考え、自分で動くことはこれからもないからです。
 
今、海外へ逃げるといっても、汚染はなくなりません。ここ九州に放射能が追いかけて来たように、人々の意識が変わらない限り、海外もまた同じです。北九州市の環境ビジネス・・日本人を騙してきた手法を使って、東南アジアの人たちも騙していくのでしょうか~
 
311前に見えていた、子ども達の未来が見せかけの自由、見せかけの平和、だったのでした。
 
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最後に、「原発事故を経験した今でも、私たちが選んだのは生活スタイルを変えずに電気を使い、廃棄物を排出し続ける道でした。原発がなくなっても、人々の生活スタイルや考え方が変わらなかったら、原発が別の何かになるだけです。例えば、太陽光パネルを今CMで押してます。20年で寿命がきたあとは、廃棄物になります。その処理はどうするのでしょうか・・・人が住む場所で処理をするのです。原発も人が住む場所にあります。私たちはエネルギーをどうするかではなく、生活を見直し、考え方を変え、生き方に真剣に向き合う勇気を持てたらと思います。本当は、福島に、おうちに帰りたいです。お父さん、お母さん、友人たちに会いたいです。でも、この国は放射能を拡散し、多くの人々がそれを受け入れ、放射能を受け入れた福島復興に動いています。私には全く理解できません。」
 
私は、分断を恐れないで、事実と向き合える方々との事実の共有を今本当に望んでいます。もう、殆ど諦めて、体も、心もぼろぼろですが、もう少しだけ未来に、人間に期待したいです。
 
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この集会に集まった方々、一人一人が、無関心な方々(情報格差による~)に「押しかけ、御一人様、勉強会」をするようになったら・・日本が変わるきっかけぐらい作れるかも知れません。もう少しだけ私も頑張りたいと思います。
 
 尚、記事の方は、時間の関係で端折った文章を付け足しています。
 
 
 
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