2011年・アメリカ
好きだ。
この映画、たまらなく好きである。
どうせCG映画だろうと、うっかり見逃すところであった。
観に行って、よかった。
この作品のCGには魂が入っている。
面白い映画は、オープニングから面白い。
幕が上がると、森の中を疾駆する猿の群れ。
俯瞰から眺めていたほんの僅かな時間でコレは当たりかもしれないと、シートで座り直した。
最初の猿が現れて、確信した。
この猿は、生きている。
どうしてこんなに生きているのかとずっと考えていたのだけれど、エンドロールで答えがわかった。
俳優が猿を演じている。
その上からCGが施されている。
その技術、モーションキャプチャーは今では常用されているけれども、動きの元となる俳優が名優であったらどうだろう?
今回の主人公、いや主類人猿公・シーザーを演じていたのは、アンディ・サーキスであった。
『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム、リメイクされた『キング・コング』、最近CMで度々目にして気になっていた『タンタンの冒険』の船長も、この人である。
その、底力。
ハリウッドという世界の分厚さが、恐ろしくなる。
こういう名優がいるのだ。
登場する猿たちは言葉を持たない。
その表情や動きが全てだ。
しかし言葉は画面から溢れ出してくる。
嬉しい、悲しい、淋しい、ダイレクトに伝わってくる。
アンディ・サーキスの峻烈な芝居、猿を演じた俳優やスタントマンたちの質の高さ、その上から施されたCGの巧さ。
これは一級品ではないか。
ストーリーには反故もなく、登場人物・登場類人猿の心情や、科学技術の成り立ち・過程にも無理がない。
CGだけではなく、物語の骨格が極めて頑丈なのだ。
大抜擢されたルパート・ワイアット監督を支えた脚本の二人は『ゆりかごを揺らす手』のコンビであった。
ああ、だからか、と思えた。
小道具やロケーションの使い方も、うまいのである。
人間役の俳優陣も好演していた。
中でも、ジョン・リスゴーは出色の出来栄え(大ベテランに対してエラそうですが恐縮です)ではないだろうか?どうですか?
老いと正常の間を行き来する父親を、希望と諦観を織り交ぜて演じていた。
あのくらいの年齢の父を持つ人ならば、胸に迫るものがあるのではないか?どうでしょうか?
エンドロールの頭に出てくるのは、主演のジェームズ・フランコの名前ではない。
猿を演じた俳優たちの名前である。
猿たちは泣かない。
涙はこぼれない。
けれど、泣いているのだとわかる。
芝居とは、そういうものなのかもしれません。
『猿の惑星:創世記』 RISE OF THE PLANET OF THE APES
スクリーン
本編ご覧になった方には↓このメイキングトレーラー、面白いと思います。
http://youtu.be/7n8XTBVGLD8
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