映画としての一考察。
マイケル・ジャクソンは類いまれである。
神からギフトを贈られた数少ない人間である。
この作品を観ると、それがよくわかる。
歌、リズム、ダンス、演技、表情、すべてが人前に立つことを強いているような才能の輝きがある。
スター、などという言葉では呼ぶことができない。
彼は自らが生み出した、マイケル・ジャクソンというジャンルの中で生きていた。
そして生きながらにして伝説になった、光にも、暗闇にも。
昔むかし、若い頃に体験したキャプテンEOでは、歌やダンスで世界が変わる訳がないと思っていた。
いま、いい大人になってから劇場に座ってみたら、ああ、こういうことでしか世界は変わらないのかもしれないと思えた。
子どもを集めてネバーランドで暮らしているなんてヤバすぎる・・・と興味本位に見ていたが、これほどの金の成る木に群がる人間は相当な数だっただろう。
子ども以外に信じられる対象は見つけられなかったのだろうなと、納得させられてしまった。
近年は、エキセントリックなニュースばかりが流れてきた。
神の寵愛は一人の少年には重すぎて、枷となった。
受け止める側は、神ではなく人間だったのだろう。
ただ我々にとって、マイケル・ジャクソンという、人類史上、極めて稀有な才能と共に同時代を生きられたことは、この上ない幸運だった。
そう思いませんか?
上映前に流されるメイキング・ビデオが面白い。
何より、ジョージ・ルーカス監督のジャバ・ザ・ハット状態のアゴが無い!
フランシス・コッポラ監督も黒々としている。顔の周りが黒々。
二人とも若い。
ディズニーが開発した3D技術に、ワクワクしながら制作している過程がなんとも楽しげ。
暗黒の女王役が、アダムス・ファミリーでお馴染みのアンジェリカ・ヒューストンだったと、今回知った。
天井から吊るされている女王の美しさは特筆もの。
3Dが進化している現在、あらためてこの作品を観ると、なんだか色々とギコチない。
けれど、3Dとは何かを披露するべく、スタッフが知恵を集結させて当時の技術をフル活用している背景が浮かんで嬉しくなる。
ウィル・ヴィントン・プロダクションが担当したクレイアニメや、着ぐるみを使っているあたりも、なんとも愛着を呼ぶのである。
象のフーターなどは可愛くて仕方がない。
あれは、CGでは醸し出されない愛らしさだろう。
惜しむらくは、ディズニーランドでしか観賞できないという点である。
客引きのアトラクションであって、他でも見られたら本末転倒なのですけれど、3D作品を全国の劇場で観ることのできる今、千葉に出かけられない人にも観てもらいたいものだと思ったり。
追悼の期間限定上映が撤廃されて、レギュラーアトラクションに戻ったのはウレシイお知らせ。
観客の年齢層が高い気もしたが、お子さんにこそゼヒ観てもらいたいです。
ふと、疑問。
ペプシのCM撮影での火傷アクシデントがなかったら、マイケル・ジャクソンの人生は変わっていたのでしょうか?
もうそれは、神しか知らない、たとえ話かもしれませんけれど。
1986年/アメリカ
『キャプテンEO』 Captain EO
ディズニーランド3D