SST(ソーシャルスキルトレーニング) | キウイジュース

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幸せ者の日常…

特別支援教育研修
「普段の学級作りに生かせるSST」


校内研修会の報告(一部)です。


SSTとは、「ソーシャルスキルトレーニング」の略。もともとは精神科の患者に対する社会生活技能訓練(対人関係をうまくこなし社会的役割を果たし、たくましく生き抜いていけるようになるためのリハビリテーション)ですが、最近は学校などでも取り入れられるようになってきました。


「指導者として心がけること」(紹介されたものの一部)

・他者がどう感じているか、どう思っているかを伝える。
・失敗の指摘や、その行動をとめることにやっきになるより、どうしてほしいかを伝える。
・子どもに「つきあう力」をつけるだけでなく、自分が「子どもにつきあう力」をつける。
・SSTは、その人の行動を変えるためのものでなく、「気づいていない情報を提供する」ためのもの。


ソーシャルスキルが欠損・未熟であると思われる子どもたちを指導する場面での留意点や方法が具体的に示されましたが、それらはすべて私たち自身のソーシャルスキルを高めることにつながるものだと思いました。


特に、実際に子どもたちが授業を受けるように実践してみた「アサーショントレーニング」で示唆された内容(以下に示す)は、心に刻んで暮らしていきたいと思いました。


〈アサーショントレーニング〉
話し方には大きく分けて三種類あります。それぞれドラえもんの登場人物を例に挙げて説明してみましょう。
・非主張的(相手の言いなり、自分を大切にしない話し方)
 例:のび太「うん、わかったよ。やればいいんでしょう」
       →「ドラえもん、助けてよ。本当はぼく…」
・攻撃的(自分の思いだけを主張する、相手を大切にしない話し方)
 例:ジャイアン「そのマンガの本、おれに貸せ。貸さないとぶん殴るぞ」
アサーティブ(自分も相手も大切にした話し方)
 例:しずかちゃん「ごめんなさい。今日はピアノのおけいこがあるから遊べないの。明日なら大丈夫よ」


アサーティブな話し方とは、たとえば誘いを断るような場面で、
・相手の事情を落ち着いて尋ねる。
・自分の気持ちや理由を伝える。
・別の提案をする。
というような話し方です。


ただし、いつもしずかちゃんの話し方がいいとは限りません。相手の言うとおりにしたほうがよい場面もあるし、きっぱりと主張すべき場面もあります。また、怒りの気持ちは誰でも感じるもので、それを否定してしずかちゃんのようにふるまうのもちがいます。


どの言い方がいいかはその時その時で自分で選び取ります。自分で選ぶのですから、そのために上手くいかなかったことで相手をうらまないことが大切です。


説明を受けたあとで、グループで「頼んだり断ったりする練習」をしました。

・「気持ち」だけで断る。
 例① A「放課後遊ぼう」

     B「えー、やめとくわ」
     A「なんでよ、遊ぼうなぁ」

     B「いやや、やめとく」…
・「理由」だけで断る。
 例② A「放課後遊ぼう」

     B「塾あるし、遊べへん」
     A「えー、じゃ、塾終わったら遊ぼう」

     B「そのあと買い物行くし、無理」…
・自分も相手も大切にした話し方で断る
 例③ A「放課後遊ぼう」

     B「どこで遊ぶん?」
     A「新しく出来た、ピ○リ行こう」

     B「あー、いいなあ…行きたいんやけどなぁ…」
     A「どうしたん?行けへんの?」

     B「うーん…今日塾あるしなぁ…」
     A「終わってから行こうや」

     B「時間も遅くなるし、待ってもらうのも悪いしな…。また今度誘ってや」
     A「そうか…残念やなぁ…わかった」



以下、筆者感想


当たり前のことですが、実際にロールプレイングをしてみて、①、②では互いにケンカになるまで終わらないような感じでした。一方、③の例では、断っている方も断る方も気分が落ち着いていて、穏やかに決着がつきます。


たぶん、③のような「アサーティブ」な話し方は、多くの人が普段から自然にしていることです。それは、今までの育ちの中で、日常に数限りなくある「アサーショントレーニング」の場面に出会い、学びを重ねてきたからできることだと思います。逆に言えば、その積み重ねがうまくいかない何らかの事情(育ちの環境、脳の障害、生まれもっての性格など…)が生じたとき、ソーシャルスキルが欠損・未熟になってしまう可能性もごくあたりまえに感じることができます。


未熟か、成熟か、二つに分けられるものでもありません。自分自身を振り返ってみても、ソーシャルスキル(対人関係をうまくこなし社会的役割を果たし、たくましく生き抜いていく力)において、苦手とするところ、得意とするところには、やはり他の誰ともちがった自分だけの特性があるような気がします。


だから、自分を勝手に「成熟」側に置くのも間違っているし、「ふつう、簡単にできるやろ」と思うのも間違っている。


〈自分も含めて)一人ひとりの特性をよく理解しようと努め、自分自身がまず、いろいろな人と「付き合う力」を高めていきたいと思いました。相手を変えようとして、相手の今を否定するのでなく、自分の思いや気づきを伝えていく。そして、多くの人と理解し合って、学び合っていけたらすばらしい、と思います。