木曽路名水探検隊のブログ-小野の滝


 2月10日に「かぶと観音」を掲載して以来となります。読者の皆さん、お変わりありませんか。2月の後半以降業務に追われ、ブログを顧みる暇とてない日々でしたが、ブログの様子はいつも気にはかかっていました。新年度の探検隊はまだ正式には発足していませんが、勝手に活動を始めさせていただきます。(どうも色々と思惑が絡み合い、なかなか発足できないようです。)



 とはいうものの、実地の探検活動にはまだ出ていないので、本稿は昨年度の持ちネタで、お決まりの「外題学問」ですが…。



 小野の滝と浮世絵の大家歌川広重との関係については、昨年9月に拙稿 で触れましたが、実はこの滝、広重と並び称される浮世絵師葛飾北斎も題材として取り上げています。彼の作品集「諸国瀧廻り」の「木曽海道小野ノ瀑布 」がそれです。



 「諸国瀧廻り」は天保4年(1833)から翌5年にかけて発表された錦絵で、北斎はこのとき御年74歳。創作意欲は衰えるところを知らず、「冨嶽三十六景」で霊峰富士と海や川などとの掛け合わせの妙を存分に発揮した彼が、次に選んだ題材が「滝」でした。



 作品集では、小野の滝のほかに「下野黒髪山 きりふりの滝」「相州 大山ろうべんの滝」「東都葵ヶ岡の滝」「東海道坂ノ下 清流くわんおん」「美濃ノ国 養老の滝」「木曽路ノ奥 阿弥陀ヶ滝」「和州吉野義経 馬洗滝」。信仰の対象となっている滝を選んだとされています。それにしても、伝説で名高い「養老の滝」と肩を並べるとは、この滝、タダモノではありませんね。



 ご覧になってお分かりのように、木曽からはもう1つ、「阿弥陀ヶ滝」が選ばれています。阿弥陀ヶ滝は、岐阜県郡上市白鳥町にある滝で、「日本の滝百選」にも選ばれている名瀑。木曽がいかに水の豊かな地かが窺えます。



 それはさておき、北斎の「小野ノ瀑布」。広重が横長の構図で描いたのに対して、北斎は縦長に構図を取り、滝の落差をダイナミックに描き出しています。人の配置や崖の上の祠(?)、滝のほとりの石置き屋根の民家など描かれている対象物はとても似通っていますが、構図の取り方でずいぶん違った印象を受けます。



 北斎は、このシリーズに中国・北宋時代の山水画の構図を採り入れたものとか。北宋時代の山水画は、巨大な自然と微小な人物とをの対比させた作風が特徴だそうですが、なるほど、人物が大きく描かれている広重の作品とは異なり、滝や岩肌の大きさに比べると人物は小さく描かれています。



 海や湖、川に滝と、北斎の作品には水を題材にしたものが多く見られますが、その描出に重用されたのが「プルシアンブルー」と呼ばれる顔料。フェロシアン化第二鉄を主成分とする人工顔料で、18世紀初めのドイツで発見されました。幕末に日本に輸入され、北斎や「木曽街道六十九次」の作者渓斎英泉らによって多用されたとのこと。鮮やかな明るい藍色が特徴で、北斎はこれに伝統的な藍を混ぜ合わせて水や空の微妙な色合いを表現したのだそうです。



 幕末の浮世絵界の2人の巨匠によって描かれた小野の滝。そういう目で見るとまた一味違った滝の姿が見えてくるかもしれません。(aki


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