白妙に見る一筋は手作りのそれかとまかう小野の滝つせ

 なかなか風雅な一首です。前にも引用したとおり、幕末の文久3年(1863年)2月、かの新撰組副長土方歳三(当時は浪士隊の一員)が中山道を上京する折に、木曽八景にちなんで詠んだ一連の和歌の中の1つです。武人をして「ひとすじの白布とも見紛う」と言わしめた滝とはいったいどんなものなのか、実際にこの目で確かめてみようと思い立ちました。

 盛夏とは思えない不順な天候が続くなか、一瞬だけ夏らしい日差しが戻った8月上旬のある日、出張にことよせて滝を間近に見ることにました。国道19号のすぐそばにあるので、容易く立ち寄れそうなものですが、いつも通過してばかりで、車窓から瞥見するのが精々でした。その日は初めから立ち寄るつもりでいたので、迷うことなく一路国道脇の駐車場へ。

木曽路名水探検隊のブログ-小野の滝(1) 木曽路名水探検隊のブログ-小野の滝(3)
 駐車場から一段下がったところに小さな祠と石灯籠があり、その脇から茂る松の奥に、目指す滝が姿を覗かせています。歩道を歩み進んで角度を変えて見ると、JR中央西線の鉄橋の奥に、小野の滝が偉容を現わしました。傍らには「木曽八景 小野の滝」と彫られた標柱と由緒書きを記した看板が据えられています。その説明にもあるとおり、幕末の天保年間に描かれた、浮世絵の大家歌川(安藤)広重と美人画で名を馳せた渓斎英泉の合作「木曽街道六十九次」の中の1枚、「木曽海道六拾九次之内 上ヶ枩」に小野の滝が登場します。
木曽路名水探検隊のブログ-小野の滝(4) 木曽路名水探検隊のブログ-小野の滝(5)

 浮世絵では、滝から流れ出る川に架かった橋の上から2人の旅人が滝を見遣っているという場面が描かれていますが、浮世絵特有のデフォルメされた表現になっています。滝は「白妙」どころか、まるで緞帳のように滔々と豊富な水量で流れ下り、橋の下の川にはざわざわといくつも波頭が立っています(浮世絵をご覧になりたい方はこちら)。実際の滝は、土方が「白妙」に喩えたように、一反の絹布を広げたと言った方が似つかわしく、むしろつつましやかに流れ落ちています。国道をくぐる川も、「小川」と言った方が相応しいかもしれません。

木曽路名水探検隊のブログ-小野の滝(6)
 径をたどって川原に下り、今度は正面から眺めてみます。流量こそさほどではないものの、岩に砕け滝壺に落ちてできた細かな水飛沫が辺りの空気を冷やし、冷気とともに吹き下りてくるのが感じられ、ここで涼をとったであろう古の旅人にひととき思いを馳せました。

 国道を頻繁に往来する自動車の音も遠ざかるかに思えたその瞬間、頭上から響き渡るかまびすしい轟音に、たちまち現実世界に引き戻されてしましまた。鉄橋を特急「しなの」が通過したのです。件の看板には、県歌「信濃の国」の作詞者である浅井洌がこの地を訪れて、

  ふきおろす松の嵐も音たえて あたりすずしき小野のたきつせ

と詠んだと書かれていますが、松の嵐の音は絶えても、列車の轟音は絶えないことに、少し恨めしい気持ちになりました。(aki)