先月出させて頂いた、NHK総合『ゆうどきネットワーク』は…被災地でのリポートとなりました。
前日に岩手県久慈市に入りまして…翌日、早朝よりロケがスタート!
まずは今回駅弁を紹介させて頂く『うにめし』を作る、三陸リアス亭へ。
まずは、今回ガッツリお世話になる…リアス亭の女将さん・工藤クニエさんにご挨拶。
写真がクニエさん、ちょっと話しただけで…とても素敵な方なのが判る!
いつもの様に…『うにめし』を作る過程を見学。
まずは『うにめし』の“めし”の部分、“うに”や、うにエキス(飲ませて貰ったら超塩辛かった)を混ぜてご飯を炊く。
いやぁ、旨い駅弁は小分けにしても旨いもんなぁ…飯、可能やったら頂いちゃおっ。
ご飯が炊き上がるまで…リアルに待機。
その間、駅周辺をぶらり。
まずは…三陸鉄道の久慈駅の構内にある、リアス亭。
駅弁だけやなくて、立ち食いソバも出してらっしゃいます!
メッチャ旨そうやったケド…お腹は『うにめし』のスタンバイ優先にしとかなきゃ。
それにしても…
“名物駅弁”、その自信…のぼりから感じ取ったり。
振り返ると…
こんなイラストが一杯貼られている。
コチラ、三陸鉄道のキャラクターらしいんですが…ファンが復興の願いを込めて書いたイラストなんだそうで。
ちなみにこの後乗る電車にも、イラストは貼ってありました。
自分にやれる事で被災地を応援しよう!…そんな思いを感じ、胸が熱くなりました。
そのままお隣りにある、今度はJRの久慈駅の構内へ。
コチラにも立ち食いソバ屋さんがあって、そのメニューの下には…
…思ってるだけじゃ伝わらない、お互い字にして声に出して励ましあって行こう…そこにある精神的な闘い。
おっとそろそろ、『うにめし』の“めし”が炊けたみたい!
…旨そう!!!!
調理場を立ち込める、ほのかな“うに”の香り!
食べさせて頂きました。
旨いっ!!!!
この飯だけで握り飯にして持って帰りたい位!
この上に“うに”を載せるんでしょ?
もう、旨いのは判りきった話となった!
ここからは“良きサポーター”ご主人が登場、まずはお弁当箱に“うにめしの飯”を詰める。
そして“うに”を敷き詰める作業は…クニエさん。
見るとクニエさん、“うに”に包丁を入れている。
理由を伺うと、包丁を入れてるのは底を平面にして“うに”が転がらない様にしてるんですって。
技が細かい、繊細。
そして並べきったのが…コチラ。
うにがキッシリ♪
ご飯が見えないよ!
続く作業はご主人。
お漬け物を添えて…
パッケージ。
そして、店先に…
陳列、見事な連係プレーです!!
アカン、待ちきれへん!
いっただきまぁ~すっ!
うに、メッチャ旨い!!
あの、うに特有の嫌な臭みは勿論なく、海水で育まれた塩気とうに自身の旨味が絶妙なバランスをもって“うにの旨さ”となり、口の中に広がる!
そしてビックリしたのが…ご飯!
炊きたての時と味が全然違うねんっ!
味が締まるというか、ご飯に馴染むというか…とにかくメリハリがついてより旨くなった!!
そしてその“うに+うにエキスご飯”を一緒に食べた暁には…幸せすぎて昇天してまいそう!!
ご覧の通り、とにかくシンプル…それはすなわち、うにに絶対の自信がある事の裏返し!!
このうに…三陸海岸で獲れたモノなんですが、震災の影響により今は獲れなくて…ちょうどロケお邪魔した時点で、まもなく三陸産のうにがまもなく在庫がきれるといった状況でした。
その時クニエさんが仰ってた通りでしたら、今は北海道産のモノに切り替えてらっしゃる筈。
でもクニエさん曰く、味は変わらないとの事でした…しかし、早く三陸のうに漁が再開される事を祈らずにはいられません…。
さて、番組のロケはまだ序盤。
ここからは駅弁とは関係ない話になります。
クニエさんと共に三陸鉄道の路線を辿りながら…宮古駅を目指します。
久慈駅から2駅だけ三陸鉄道を利用。
なぜ2駅だけか?
その答は…その先より線路が寸断されていているから。
車で移動。
すぐ脇を走っている筈の線路が…ぐにゃりとひん曲がっている。
その線路は海水の塩分のせいか、赤く錆び付いている。
反対側に目をやると…瓦礫がうず高く積み上げられている。
その凄惨な光景に…とにかく愕然とさせられる。
しかし、内陸に入ると…緑の豊かな森が続き、(恐らくですが)震災の影響のない平穏な景色が続きます。
しかし、再び海岸沿いに戻りますと…断続的に言葉を失う光景が広がる。
途中、高台の展望台の様な所があり…少しの時間ロケ。
かなりの大きさの防波堤が完全に破壊されている。
破壊された片方は…ゴロンと転がっている…凄い大きさの石の塊…どんだけの力をもって破壊したのか……。
一番ショックだったのは、宮古市の田老地区。
ニュースでも度々取り上げられた地域です。
宮古市に入り…小本駅から三陸鉄道に乗車、宮古駅を目指す。
田老駅の手前にある長いトンネル。
クニエさんと話をしてると…徐々に目の前が明るくなり、トンネルを抜けたそこが田老駅。
言葉が出ない。
ぐしゃぐしゃになった車やガードレールが無造作に転がり、廃材がそこかしこに放り出されている。
しかし、その光景は一目見ただけで…かなり復旧作業が進んだ状況である事が判る。
もう、何も残ってない。
例えるなら…造成が進み、これから何か建物を建てるさら地の様。
しかし、その実情は全く違うのだ……。
あの3月11日の津波の直後を想像すると…もう、怖い、怖すぎる。
クニエさんは5年前位まで、三陸鉄道に乗って“うに弁当”を車内で販売されてたそうです。
その当時、田老駅で下車し…ご友人の方々とお茶を飲んだりお喋りしたりして、休憩したんだそうです。
津波の後、そんなご友人に電話をしたが…どなたも全く繋がらない。
数日後、手掛かりを探すべく車で田老地区に足を運んだそうです。
「手掛かりまで全部流されちゃった」
…もうね、涙が止まれへん…あまりにも酷すぎる。
駅を降りる。
ホームを降りる階段の2つの内1つは…土砂で塞がっている。
暗く、黒く、重い…土砂が訴え掛けて来る、沈黙の恐怖感。
田老駅の前には遊覧船のチケットを売る建物が有りました。
天井からステンレスの資材がぶら下がる。
田老駅はちょっとした高台にあり、上の方に植えられている椿は鮮やかな色の花を咲かせている。
しかしそのすぐ下は全て…茶褐色の枯木。
やはり津波による塩が原因の様だ。
想像してみて下さい…いきなり目の前に2メートルをはるかに越す海水の壁が現れ、自分目掛けて突進して来るんですよ。
予期せぬ大量の海水に飲み込まれる恐怖…想像しただけでも耐え難い。
1台のトラックが停まりました。
何と僕の事に気付いてくれた様です……有難い。
その青年は、大震災のせいで失業してしまったそうです。
でも凹んでる場合じゃないと、日々復旧作業に頑張ってるんだそうです!
「こっちはちっとも整わないっすよ!」
…と、明るく笑う!
「こんなんで負けてられないっスよ!!」
…明るく叫ぶ!
がっちり握手!!
俺がこの青年と同じ立場になったとしたら…こんなに前向きになれるやろか?
俺は間違いなく俺より年下のこの青年に、大事なモノを教えて貰った様な気がします!!
今まで三陸の海の幸・うにのお陰で生活して来たクニエさん。
今までクニエさんを支えて来た三陸の海が、今度はクニエさんを苦しめる事になるとは…。
でもクニエさんやって、一度は折れかけたケド、落ち込んでばっかいてもしょうがない!と…また『うにめし』を作る事を決心したのである!!
三陸魂、圧巻である!!
田老駅から宮古市街に。
次は宮古駅の上にある、三陸鉄道の本社。
久々の再会…昨年夏、大船渡市の恋し浜駅のロケ(2010年9月10日の木曽日記を参照下され)でお世話になった、広報の方々もいらっしゃって。
皆さんお元気そうで、本当に良かった…。
恋し浜を含む、南リアス線は…いまだ全線不通。
ただ、恋し浜駅は被害がなく、ホタテ漁でお世話になった方々もご無事との事。
当たり前の事が本当に有難く感じる。
三陸鉄道のロケの合間に…無理言って宮古市のある所に行かせて頂きました。
その場所とは…宮古市民会館、そしてその周辺(2010年8月8日の木曽日記)。
ロケ車に俺とクニエさんの2人…会館に近付く。
宮古市街では、家の中の泥を掻き出しているという光景を頻繁に目にする。
大震災から3ヶ月も経っているのに……。
車は海沿いの住宅街へ。
民家の1階は柱だけになっているモノが多く、赤いスプレーで“OK"と書かれている。
この“OK"とは“解体OK"の事らしい…数え切れない数の民家に殴り書きされている。
それがそのままで残されているという事……すなわち、そこまで手が回らないという事。
会館に到着。
1階はベニア板が張り巡らされ“立ち入り禁止"と書かれている。
周りは公演を知らせるポスターがぐちゃぐちゃに散乱している。
昨年の夏…U字工事の2人とアイスクリームを買いに行ったスーパーは…営業中でした!
さっきも書いたが営業中という当たり前がとても有難く感じる。
一方、会館の斜め前にあった(1人でお土産買いに行った)物産センターは…1階がやはり柱のみ、2階も津波のせいかぐちゃぐちゃ。
ほんの2~300mの違い…皮肉過ぎる。
懐かしさと悲しさと切なさと…そのままで残っていてくれた事に対する喜びや悲しさ………こんな複雑な気持ちになったのは、産まれて初めての事です。
宮古駅に戻り、締めのロケ。
ロケ自体は列車に乗る宮古市の高校生を見送り、謎掛けで終了。
クニエさん始め、ご主人や三陸鉄道の職員さん、宮古駅で声を掛けてくれたり手を振ってくれた高校生のみんな…皆さんから逆に元気や勇気、前向きさを貰いました。
復興は間違いなく叶う!!
いや、叶えなきゃいけないのです!!
その為に、我々は風化させる事なく…被災地にパワーを送り続けなきゃいけない。
険しい道のりやと思いますが、被災地以外に住む我々も長いスパンで応援し続けましょう!!
スタジオでは、その後も泣きっ放しで……情けなかったな、俺…。
前日に岩手県久慈市に入りまして…翌日、早朝よりロケがスタート!
まずは今回駅弁を紹介させて頂く『うにめし』を作る、三陸リアス亭へ。
まずは、今回ガッツリお世話になる…リアス亭の女将さん・工藤クニエさんにご挨拶。
写真がクニエさん、ちょっと話しただけで…とても素敵な方なのが判る!
いつもの様に…『うにめし』を作る過程を見学。
まずは『うにめし』の“めし”の部分、“うに”や、うにエキス(飲ませて貰ったら超塩辛かった)を混ぜてご飯を炊く。
いやぁ、旨い駅弁は小分けにしても旨いもんなぁ…飯、可能やったら頂いちゃおっ。
ご飯が炊き上がるまで…リアルに待機。
その間、駅周辺をぶらり。
まずは…三陸鉄道の久慈駅の構内にある、リアス亭。
駅弁だけやなくて、立ち食いソバも出してらっしゃいます!
メッチャ旨そうやったケド…お腹は『うにめし』のスタンバイ優先にしとかなきゃ。
それにしても…
“名物駅弁”、その自信…のぼりから感じ取ったり。
振り返ると…
こんなイラストが一杯貼られている。
コチラ、三陸鉄道のキャラクターらしいんですが…ファンが復興の願いを込めて書いたイラストなんだそうで。
ちなみにこの後乗る電車にも、イラストは貼ってありました。
自分にやれる事で被災地を応援しよう!…そんな思いを感じ、胸が熱くなりました。
そのままお隣りにある、今度はJRの久慈駅の構内へ。
コチラにも立ち食いソバ屋さんがあって、そのメニューの下には…
…思ってるだけじゃ伝わらない、お互い字にして声に出して励ましあって行こう…そこにある精神的な闘い。
おっとそろそろ、『うにめし』の“めし”が炊けたみたい!
…旨そう!!!!
調理場を立ち込める、ほのかな“うに”の香り!
食べさせて頂きました。
旨いっ!!!!
この飯だけで握り飯にして持って帰りたい位!
この上に“うに”を載せるんでしょ?
もう、旨いのは判りきった話となった!
ここからは“良きサポーター”ご主人が登場、まずはお弁当箱に“うにめしの飯”を詰める。
そして“うに”を敷き詰める作業は…クニエさん。
見るとクニエさん、“うに”に包丁を入れている。
理由を伺うと、包丁を入れてるのは底を平面にして“うに”が転がらない様にしてるんですって。
技が細かい、繊細。
そして並べきったのが…コチラ。
うにがキッシリ♪
ご飯が見えないよ!
続く作業はご主人。
お漬け物を添えて…
パッケージ。
そして、店先に…
陳列、見事な連係プレーです!!
アカン、待ちきれへん!
いっただきまぁ~すっ!
うに、メッチャ旨い!!
あの、うに特有の嫌な臭みは勿論なく、海水で育まれた塩気とうに自身の旨味が絶妙なバランスをもって“うにの旨さ”となり、口の中に広がる!
そしてビックリしたのが…ご飯!
炊きたての時と味が全然違うねんっ!
味が締まるというか、ご飯に馴染むというか…とにかくメリハリがついてより旨くなった!!
そしてその“うに+うにエキスご飯”を一緒に食べた暁には…幸せすぎて昇天してまいそう!!
ご覧の通り、とにかくシンプル…それはすなわち、うにに絶対の自信がある事の裏返し!!
このうに…三陸海岸で獲れたモノなんですが、震災の影響により今は獲れなくて…ちょうどロケお邪魔した時点で、まもなく三陸産のうにがまもなく在庫がきれるといった状況でした。
その時クニエさんが仰ってた通りでしたら、今は北海道産のモノに切り替えてらっしゃる筈。
でもクニエさん曰く、味は変わらないとの事でした…しかし、早く三陸のうに漁が再開される事を祈らずにはいられません…。
さて、番組のロケはまだ序盤。
ここからは駅弁とは関係ない話になります。
クニエさんと共に三陸鉄道の路線を辿りながら…宮古駅を目指します。
久慈駅から2駅だけ三陸鉄道を利用。
なぜ2駅だけか?
その答は…その先より線路が寸断されていているから。
車で移動。
すぐ脇を走っている筈の線路が…ぐにゃりとひん曲がっている。
その線路は海水の塩分のせいか、赤く錆び付いている。
反対側に目をやると…瓦礫がうず高く積み上げられている。
その凄惨な光景に…とにかく愕然とさせられる。
しかし、内陸に入ると…緑の豊かな森が続き、(恐らくですが)震災の影響のない平穏な景色が続きます。
しかし、再び海岸沿いに戻りますと…断続的に言葉を失う光景が広がる。
途中、高台の展望台の様な所があり…少しの時間ロケ。
かなりの大きさの防波堤が完全に破壊されている。
破壊された片方は…ゴロンと転がっている…凄い大きさの石の塊…どんだけの力をもって破壊したのか……。
一番ショックだったのは、宮古市の田老地区。
ニュースでも度々取り上げられた地域です。
宮古市に入り…小本駅から三陸鉄道に乗車、宮古駅を目指す。
田老駅の手前にある長いトンネル。
クニエさんと話をしてると…徐々に目の前が明るくなり、トンネルを抜けたそこが田老駅。
言葉が出ない。
ぐしゃぐしゃになった車やガードレールが無造作に転がり、廃材がそこかしこに放り出されている。
しかし、その光景は一目見ただけで…かなり復旧作業が進んだ状況である事が判る。
もう、何も残ってない。
例えるなら…造成が進み、これから何か建物を建てるさら地の様。
しかし、その実情は全く違うのだ……。
あの3月11日の津波の直後を想像すると…もう、怖い、怖すぎる。
クニエさんは5年前位まで、三陸鉄道に乗って“うに弁当”を車内で販売されてたそうです。
その当時、田老駅で下車し…ご友人の方々とお茶を飲んだりお喋りしたりして、休憩したんだそうです。
津波の後、そんなご友人に電話をしたが…どなたも全く繋がらない。
数日後、手掛かりを探すべく車で田老地区に足を運んだそうです。
「手掛かりまで全部流されちゃった」
…もうね、涙が止まれへん…あまりにも酷すぎる。
駅を降りる。
ホームを降りる階段の2つの内1つは…土砂で塞がっている。
暗く、黒く、重い…土砂が訴え掛けて来る、沈黙の恐怖感。
田老駅の前には遊覧船のチケットを売る建物が有りました。
天井からステンレスの資材がぶら下がる。
田老駅はちょっとした高台にあり、上の方に植えられている椿は鮮やかな色の花を咲かせている。
しかしそのすぐ下は全て…茶褐色の枯木。
やはり津波による塩が原因の様だ。
想像してみて下さい…いきなり目の前に2メートルをはるかに越す海水の壁が現れ、自分目掛けて突進して来るんですよ。
予期せぬ大量の海水に飲み込まれる恐怖…想像しただけでも耐え難い。
1台のトラックが停まりました。
何と僕の事に気付いてくれた様です……有難い。
その青年は、大震災のせいで失業してしまったそうです。
でも凹んでる場合じゃないと、日々復旧作業に頑張ってるんだそうです!
「こっちはちっとも整わないっすよ!」
…と、明るく笑う!
「こんなんで負けてられないっスよ!!」
…明るく叫ぶ!
がっちり握手!!
俺がこの青年と同じ立場になったとしたら…こんなに前向きになれるやろか?
俺は間違いなく俺より年下のこの青年に、大事なモノを教えて貰った様な気がします!!
今まで三陸の海の幸・うにのお陰で生活して来たクニエさん。
今までクニエさんを支えて来た三陸の海が、今度はクニエさんを苦しめる事になるとは…。
でもクニエさんやって、一度は折れかけたケド、落ち込んでばっかいてもしょうがない!と…また『うにめし』を作る事を決心したのである!!
三陸魂、圧巻である!!
田老駅から宮古市街に。
次は宮古駅の上にある、三陸鉄道の本社。
久々の再会…昨年夏、大船渡市の恋し浜駅のロケ(2010年9月10日の木曽日記を参照下され)でお世話になった、広報の方々もいらっしゃって。
皆さんお元気そうで、本当に良かった…。
恋し浜を含む、南リアス線は…いまだ全線不通。
ただ、恋し浜駅は被害がなく、ホタテ漁でお世話になった方々もご無事との事。
当たり前の事が本当に有難く感じる。
三陸鉄道のロケの合間に…無理言って宮古市のある所に行かせて頂きました。
その場所とは…宮古市民会館、そしてその周辺(2010年8月8日の木曽日記)。
ロケ車に俺とクニエさんの2人…会館に近付く。
宮古市街では、家の中の泥を掻き出しているという光景を頻繁に目にする。
大震災から3ヶ月も経っているのに……。
車は海沿いの住宅街へ。
民家の1階は柱だけになっているモノが多く、赤いスプレーで“OK"と書かれている。
この“OK"とは“解体OK"の事らしい…数え切れない数の民家に殴り書きされている。
それがそのままで残されているという事……すなわち、そこまで手が回らないという事。
会館に到着。
1階はベニア板が張り巡らされ“立ち入り禁止"と書かれている。
周りは公演を知らせるポスターがぐちゃぐちゃに散乱している。
昨年の夏…U字工事の2人とアイスクリームを買いに行ったスーパーは…営業中でした!
さっきも書いたが営業中という当たり前がとても有難く感じる。
一方、会館の斜め前にあった(1人でお土産買いに行った)物産センターは…1階がやはり柱のみ、2階も津波のせいかぐちゃぐちゃ。
ほんの2~300mの違い…皮肉過ぎる。
懐かしさと悲しさと切なさと…そのままで残っていてくれた事に対する喜びや悲しさ………こんな複雑な気持ちになったのは、産まれて初めての事です。
宮古駅に戻り、締めのロケ。
ロケ自体は列車に乗る宮古市の高校生を見送り、謎掛けで終了。
クニエさん始め、ご主人や三陸鉄道の職員さん、宮古駅で声を掛けてくれたり手を振ってくれた高校生のみんな…皆さんから逆に元気や勇気、前向きさを貰いました。
復興は間違いなく叶う!!
いや、叶えなきゃいけないのです!!
その為に、我々は風化させる事なく…被災地にパワーを送り続けなきゃいけない。
険しい道のりやと思いますが、被災地以外に住む我々も長いスパンで応援し続けましょう!!
スタジオでは、その後も泣きっ放しで……情けなかったな、俺…。