彼らが主張する「創価学会員に多発する現証」について、もう少し掘り下げてみましょう。彼らは、現証として「ガンの多発」「大事故の多発」「突然死」「最愛の人を亡くす」「火事」などを挙げています。このような言葉を羅列して、彼らは何を言いたいのでしょうか?
まさか「信心すれば死なないんだ!」なんて馬鹿な事を言うわけないですよね。
要するに「病気」や「事故」、あるいは「死」というものを「不幸」と捉えている。もっと言えば恐れているのでしょうか?
信心で見た時の「幸」「不幸」とは、そんな表面的なものでないことは、皆さんご存知のとおりです。


「悪象の為に殺されては三悪に至らず」(P969富木殿御書)


「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」

(P1480妙心尼御前御返事)


これらの御文を読めばわかるとおり、事故や病気は「不幸」とは一切関係ありません。どのような境遇であれ、信心根本で学会とともに歩んでいくところに「不幸」という文字は消え去ります。恐れるべきは、以下の御文です。


「悪友の為に殺されては必ず三悪に至る」(P969富木殿御書)


「一切の病の中には五逆罪と一闡提(せんだい)と謗法をこそおもき病とは仏はいたませ給へ」(P1480妙心尼御前御返事)


破和合僧の大罪を犯した日顕に翻弄され、恥ずかしげも無くデマビラを配り歩いて「法」を下げ、日寛上人の御本尊を偽物だと誹謗する(誹謗正法)行為は、信心に無知な姿をさらけ出していると言えるでしょう。
一人でも多くの法華講員が大聖人仏法の本来の姿を学び、改心できることを祈るばかりです。