手術覚書 その2、術後 | 百合の庵◆◆糖尿病患者の子宮体癌体験記、うさぎさん飼育&フィギュアスケート雑記

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ポジティブ子宮体がん体験記。出来たもんは悔やんでも仕方ない。どうせなら検査も含め興味津々で体験してこよう、という主旨のblog。女性のみなさん!不正出血あったらすぐ婦人科で体癌細胞診いってください!5月からロップイヤーうさぎを飼育はじめました。

・・・さん、終わりましたよ、おわりましたーよー!


なんか聞こえた。


ゆっくり、、、と目が覚めるもんだが 反して パチッ。


(ギャーーーーーーーく、苦しい息できない、ぎぶ、ギブギブだって><声でねえ ぎぶ!)


ばちっと意識覚醒しましたよ。

丁度喉の送管とってるところですたの。

起きてスグ窒息の危機にぷちパニック。

頭のなかで右腕バンバン(もう点滴とれてた)したきもするが

実際は指バンバンだったのかもしれない。



インパクトのある目覚めでした。



「もう、終わったよ、頑張ったね、ナデナデ」

「ふあー」

とか、感動に浸る場面とか皆目ゼロ。 しょんぼりだ、非常にションボリだ!

初戦ドラマはドラマか・・・



あまりにインパクトがあったので 速攻醒めた意識。

ベットうつりますよー、、、、と男の看護師さんが下の布?だかクッションだかを掴み


よいしょっと、ドコン


ベットにうつされたのも覚えてる。重くてごめんね、まじでごめんね(T^T)


そのままベットのままガラガラガラー 手術室の扉あいて、倉庫の扉あいてー

あ、今エレベーターまちー


あ、エレベーターのったな、ウィー・・・



うっ、、、、、きぼちわるぃいいいいい

(エレベーター酔い)

降りたらすぐなおった。


部屋にもどれるのかな~っておもったら

やっぱ隔離部屋(ナースステーション続きの2個室部屋のひとつ)にガラガラ・・・


やだーそっちやだーーーーーーーーーーーーーーー


という心の声もむなしく隔離部屋、通称拷問部屋へ(患者談)


狭くて天井低くて(これはベットが高いからという理由があとからわかった)

締め切られた窓はあるが窓の先は壁という



まるで閉所恐怖症患者には拷問のような部屋!!!!



麻酔が醒めてから痛みがまったくない

吐き気も(エレベーター酔い以外は)ない

ただあるのは



あついーーーーーあついーーーーあーづーーーいーーー


普通醒めたら寒くなるってきいてたのに ヒタスラ暑い。

貸切の個室なので 看護師さんくるたび、


一度さげてー 2度さげてー あついー


布団もタオルケットにかわった。それでも暑いみたいで

(;´д`)アセがドバーッ


そして、酸素マスク、おまいだ!!


この術後の夜はずっと酸素マスクと格闘。

とにかく酸素マスクすると息がうまくできなくて苦しい!


看護師さんが去ったあと、 はずした。


深呼吸。ああ、・・・・空気うめええ・・・・


マッタリしてたら 横からすごい音量の警告音が!!!!

看護師さんが駆け込んできた



「あ・・・・・」


酸素マスクはずしてるのがばれた。そしてまた付けられた・・・

・・・・マスクなしだと 自発呼吸してるつもりだが全然自発呼吸できて

ないらしく指先までの酸素を図る機器からの警告があのでかい機械に

繋がって・・・・あと酸素マスクがはずれた警告もあって・・・



まるで「救急病棟24時」の患者急変 のSEみたいになってた。


それからは 


今何時~ 

酸素マスクいつはずれるのー 

あついー温度下げてー



これしかいってない。

汗かきすぎて術衣着替えるときも 左右へひょいひょいっとベットの柵つかんで

体を起こせるし・・・(無痛)

部屋ついて暫くして ガスでるし・・・・


えっ、もうガスでたの?


はい・・・なんかでちゃいました・・・

その後も弱弱しいガスがだんだん活発になってきて・・・


この部屋臭くないかしら、、、、と心配になったほどです。

(匂いはなかったらしい)


とうとう「ザンネンながらまだ日付かわってないのよ・・・」といわれる始末。

血中酸素濃度が思わしくないらしく、本人は息苦しくないのに(酸素マスクはずしたとき)

酸素マスクはずしたら 血中濃度が低いのでダメ、とのこと。

あと、執刀医のS先生から明日の10時頃だったかな、までとっちゃだめ!

なので泣く泣く・・・


外す、ずらす、機械が悲鳴をあげるまえにもどす、外す、ずらす・・・看護師さんに

きっちりつけられる・・・ずらす・・・


これをしているうちに 妥協案が!


鼻からのにしましょうか・・・・


粘り勝ちである。

鼻からの酸素マスクで なんとか 92キープできてるようなので

そのまま鼻酸素マスクで。鼻の穴に2つ短い筒があってそこから酸素でる。

ああ、、、、楽・・・・・・・・・・・


それでも眠れず、最後には眠剤を点滴に入れてもらって就寝である。


翌日も朝から暇。痛みがないからまた手におえない。

腹筋で起きれるんだな・・・


コップハブラシおかれたので ガシガシとハミガキ。

銀のサラに吐き出してああ、気持ちいいね。

酸素マスクでカピカピ唇になるのよね。

すっかりうるおい唇になったあと 看護しさんが


なんかのむ?水でいいかな?と水をコップにいれて持ってきてくれた。

え?もう飲んでイイの?おきっぱだけど・・・

快調にガスを噴いてたわらしはすぐに水を飲むお許しが。

少しづつのんでね~~


ベットもずっと54度くらいまで起こされぼーーーーーーーっと。

血栓予防の 足のきゅーーーーっと圧縮されるような機械も

弾性ストッキングも朝のうちに外される。



・・・・暇、というより、あっ、その扉とカーテンしめないでえええええええ

マスク抗争のあとは おきたらおきたで、閉所恐怖症でうるさい患者であった。


ごめんね・・・・


10時ごろかな?時間わからない。S先生が来た。

酸素マスクはずしてもらい、また指クリップ。


「あがらないか・・・・」

ベットを起こしていたのにあまりあがりが良くなってないらしい。

また鼻マスクつけられる。

んがー・・・・

深呼吸してね、といわれてもそう何度もずっとできるもんじゃない。

またぼーーーーーっと暇に耐えるしかない。

周りの看護師さんの様子とか観察するしかなかった。

早く病室もどれないかな~・・・・

歩きたいな~・・・・



なかなか、歩きますか?って指示こない。やっぱ酸素濃度がアカンのかな・・・体は元気で走れそうなくらい。

ぼーーーーーーーーーっと昼までしてたけど

歩きましょうか?という声かからず。



えっ、すぐ歩きましょうか、ってくるんでないの?・・・次の日からしつこく歩け歩け運動が来るって

きいたのに・・・



結局2時か3時頃、看護師さんが

「病室にもどりましょうか~~」


拷問部屋を脱出し、ベットで横になったまま

元の病室の窓際にガラガラガラーーーーー



みんながおかえり!!!っていってくれて。

あまりにも寝てないのでうつらうつら。寝ては起きて寝ては起きて。

暇すぎたけど 窓の外がオープンで、しかも

カーテンフルオープンにしてもらったので(術後はみんなビッシリとしめられているのが恐怖だった。

私はねるときも半分あけてねます)みんなの声や顔をみながらうつらうつら。

寝不足たまってます。あと痛みも吐き気も頭痛もなにもなし。


ねむい~暑い~くらいだけかな。

結局夕方になってやっと 血中酸素濃度がマスク外しても許容範囲になったのか

歩かせてもらえた。腹筋で起き、すくっと立ってスタスタ・・・

びびられた。皆に。でもすぐにベットに戻れた。何度も歩け歩け運動くるってきいてたのに 結局この1回のみで術後次の日が終わりました。

次の日には昼すぎにやっと歩かせてもらえ、すぐに導尿管もとってもらえた。
これでトイレ自力でいける。もう衣類として役には立ってない術衣から祝パジャマ!
T字帯もおさらば。おかえりなさい、でかぱんつ(≧▽≦)これで身軽になりました!

なんだか無痛だったので調子のってた。 ここまでは


わらしすごくね?!


とおもっていたが大きな間違いだった、ということが次の日で分かったのである。



次の日、私は 生まれたての小鹿になっていた。

立てないおきれない・・・ヨタヨタ・・・


段々悪くなるヒトはじめてみたとかいわれた。なんのことはない。



硬膜外麻酔がききすぎていたのだ!!!(一度も自分でプシュっとしてないのに

すごい量が送り込まれて3日目で切れた)


ということでそこからヨタヨタ生活になる百合でした。

相変わらず先生も看護師さんも 


「息できてる? 深呼吸してる?」


相当酷かったのかなあ・・・会うと毎回言われていました。