ロームシアター京都、ベートーヴェン作曲歌劇《フィデリオ》の感想 2016年1月11日 |   kinuzabuの日々・・・

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京都会館が建て替わってできたロームシアター京都のオープニング公演ベートーヴェン作曲歌劇《フィデリオ》の公演に行ってきた。

ロームシアター京都のメインホールの感想は別に書くけど、なんか狭い。席も、通路も、ホワイエも。せっかく作りなおしたんだから、もっと空間を取ればよかったのに。


さて、《フィデリオ》、セミステージ形式とやらで、開演前から幕が開いていて、舞台が見えた。

装置は、舞台を横断する通路が一本と、舞台左右から上り坂になり舞台背面でクロスする通路があり、坂の上はつながって橋のようになっていた。一方、オーケストラピットは黒い空間で、階段で舞台とつながっていた。舞台背後の幕にカメラの画像が映し出されていた。

オーケストラピットの中には、開演前から、掃除をしている人が一人、赤い服を着て床に転がっている人が一人いた。管弦楽は、舞台上に、通路や坂を避けて配置され、合唱は坂道の下に陣取った。

第一幕、管弦楽が始まる前に、左右舞台そでに赤い服を着た人が現れて、PAでセリフをしゃべりだした。あるいはヒステリックに、あるいはおどろおどろしく。最初から不快。

セリフのあとに始まった音楽は、大変立派なものだったが、音はすっきりせず、少しもやもやした感じ。もっと期待していたが。。。

マルツェリーネとヤキーノのやり取りは軽妙で楽しめた。特に石橋さんの軽やかな声にときめいた。

レオノーレの木下さんは、英雄タイプで雰囲気はこの役にぴったりなんだが、細部が安定しない印象。この細部に引きずられて、私は彼女の歌に乗っていけなかった。

ロッコの久保さんは手堅いが、ピツァロの小森さんはちょっと不安定か。

演出は、オーケストラピットから赤い服の人が出てきて、舞台の坂道と橋を通って、オーケストラピットに戻るという繰り返し。背景にはオーケストラピットで歩き回る赤い人の映像が投影されてた。

それはいいんだけど、ところどころ出てくるセリフの場面はすべて左右舞台そでの2人がPAで話し、この声が不快でたまらなかった。1幕最後もセリフで終わり。「休憩、25分」もせりふ。折角の音楽が不快な声で断絶された。



休憩後の第二幕は、指揮者は奏者と共に出てきて、すぐに音楽。背景は牢獄に変わっていた。

最初のフロレスタンの叫びは凄まじいものだった。まさしく地底の奥から響く重く苦しい叫び。この声を聴けただけでも満足したかもしれない。
小原さんの重いテノールは高貴な声ですばらしかった。

オケも第一幕とは変わってエッジの立った明快で激しい音を出していた。下野さんの指揮も、見ているとびしっときまって、すがすがしい。

そして『レオノーレ序曲第三番』。この管弦楽曲がこの公演を最高に盛り上げた。渾身、躍動、緊張、雄大、歓喜、爆発、爆発、爆発!どこまでも美しく、果てしなく激しい。そんな音楽を全身に浴びて、放心状態になった。

そして、舞台が明るくなり、オーケストラピットから合唱団がひとりづつ現れ、坂道を登りながらときどき振り返っては手を振った。この場面で、ひとすじのさわやかな風が心の中を通って行った気がした。この演出で唯一よかった瞬間だった。

そして管弦楽と合唱で盛り上がって、見事に締めた。すばらしい!最高!ブラボーはもうちょっと待ってほしかったけどね。


最後は背景を映した幕が下がり、ホールの舞台全体が見えた。舞台も狭いな。



今回の公演は、管弦楽と合唱の力で最高の体験になった。指揮の下野さんの力が極めて大きいと思った。フロレスタンの小原さんの名前も覚えておこう。彼のワーグナーを是非とも聴いてみたい。これでレオノーレがもっと決めてくれたらさらによかったんだけど。

演出については、初め、この最高の音楽を邪魔したPAのセリフに怒りを覚えたけど、これもそう仕向けてフロレスタン解放以前の異常な状態を表していたのかもしれない。でも不快だったな。


とまあ、いろいろ不満もあったけれど、新しいホールのオープニングを飾るにふさわしい公演だったと思う。これからもよろしく頼むよ。ロームシアター京都さん!