帰って早々、娘がひどい夏風邪で、のどの痛みと咳がすごくて、一日中寝られへんと訴えて来る。
その上、私は時差ぼけで寝られへんから、夜通し字幕入れをしてみたり
何やらワケの分らん日々を送ってる内に、
皆既日食がアメリカを横断すると、あちこちで騒がれてる日がいよいよやって来た。
何を隠そう、私の聖書預言への情熱に火がついたのは、
ユダヤの祭りとブラッドムーンが重なる、アレがきっかけやったから、
あんまりエラそうに言われへんねんけど
自分の反省も込めて、
ちょっと前の、アミールさんのメッセージは、すっごい納得した。
つまり、天にしるしが現われるというのは、聖書に適った事ではあるけど、
私達が注目し、述べ伝えるのは、そこではない。という事。
なぜなら、聖書にはこう書いてある。
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ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。
第一コリント1:22-23
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だから、私達は”しるし”に一喜一憂するべきではない。と。
ブラッドムーンの時に、1人で興奮して、色んな友達に伝えた時を考えても、
信じてない人にとっては、さっぱりワケわからんという反応やったし、
さらに、今回日本に帰って感じたのは、
結局、十字架の死とよみがえりを伝えん事には、
救いには至らんという事。
さらに、罪について語らんかったら、悔い改めには至らず。
でもって、悔い改めなくして、救いはないもんねぇ。
さらに言うたら、それを伝えても、
実際に救いに至ったのは、痴呆症の父親だけという・・・・
この間 誰かが引用してた言葉が
「信じる者にとっては、今の状況で十分根拠となってるけれど、
信じない者には、どんな状況をもってしても、十分でない。」
これはホンマに同感。
とにかく、十字架を伝え続ける事、
何よりも、諦めずに祈り続ける事やね。
・・・とりあえず、寝よう。
朝が来た
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ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
1しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
第一コリント1:23-24
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