「虚偽の記事で名誉を傷つけられた」として、日蓮正宗(以下、宗門)が創価学会に損害賠償を求めていた、いわゆる「シアトル事件」裁判で、2002年(平成14年)131日、東京高等裁判所第10民事部(増井和男裁判長)の強い勧告を受けて、宗門側は訴えそのものを全面的に取り下げ、創価学会側がこれに同意する内容の和解が成立。「シアトル事件」裁判は丸8年を経て、「1審=宗門側の請求棄却」「2審=宗門側が訴え取り下げ」という形で、創価学会側の全面勝利で完全決着した。
発端
「シアトル事件」裁判とは、1963年(昭和38年)3月、初の海外出張御授戒先のアメリカ・シアトルで、法主阿部日顕(当時教学部長)が深夜、売春婦とトラブルを起こし警察沙汰になった事実を、1992年(平成4年)617日付の「創価新報」等が報じた。これに対して、宗門側(日蓮正宗と大石寺)が名誉毀損であるとして1993年(平成5年)12月、20億円という法外な損害賠償の支払いを求め創価学会等を訴えてきたものである。
経過
1審の東京地裁の審理では、事件の告発者であるヒロエ・クロウ夫人が3回にわたって出廷し、事件当夜の模様を克明に証言した。現場に立ち会った警察官スプリンクル氏も、これを裏付ける証言をし、もう一人の警察官メイリー氏も、同様の宣誓供述書を裁判所に提出した。

対して日顕は、裁判提起の前提としていた「その夜はホテルから一歩も出ていない」との当初の主張を、3年以上も経過した1995年(平成7年)9月、クロウ夫人の出廷直前になって突然、変更。「実は飲酒のために外出していた」と事件の根幹にかかわる主張を180度転換した。法廷でもいい加減で曖昧な言い訳供述に終始した。日顕が事件否定の根拠とした、当時の「手帳」なるものの事件当夜の記載についても、後日の記載であることが、複数の科学的鑑定で明確に立証されるなどした。こうして、東京地裁は2000年(平成12年)321日、判決文で「阿部の供述は信用することができない」など17カ所にわたって日顕のウソを指摘した。
判決
「阿部は、(中略)売春婦らと、右ヌード写真撮影ないし性行為の料金の支払について、トラブルになった」と明確に認定するなど、「創価新報」等の記事の真実性を認めて、創価学会側全面勝訴の判決を下した。
宗門側の訴え取り下げ
宗門側が控訴。東京高裁で控訴審の審理が行われてきたが、高裁は2001年(平成13年)7月から、宗門側に対し、訴えを取り下げるよう、強く勧告してきた。訴えの取り下げには、訴訟法上、相手方の同意が必要であることから、創価学会側に対しては、これに同意してほしいと勧告。「訴えの取り下げ」と「同意」という形で、和解の成立に至った。
記録は残る
「シアトル事件は捏造」などと自ら訴えた宗門が第1審で完全敗訴し、控訴した第2審の過程で全面的にその訴えを取り下げたという事実の中に、裁判上の決着は創価学会側の勝利で明白であるとの判断から裁判所の勧告に同意した。



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