明るい未来へ弟子として生きる

いつの間にか高齢者になった普通の創価学会員です。数々の功徳を受け、最近、仏法哲学の勉強も始めました。恩返しと後世のために私の体験談、仏法の歴史、哲学などを綴っていきたいと思っています。


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干支併記の大聖人御真筆御文 3

 

 

前記事の続きです。

後世の偽書と疑われている御文も含めて提示します。



「弘安元年戊寅卯月 日」(華果成就御書901頁)57歳御作

「弘安元年戊寅正月一日」(御義口伝巻上751頁)

「弘安元年戊寅正月一日」(御義口伝巻下803頁)

「弘安元年戊寅四月廿三日」(太田左衛門尉御返事1017頁)

「弘安元年戊寅七月三日」(妙法尼御前御返事1403頁)

「弘安元年戊寅八月十一日」(弥源太入道御消息1230頁)

「弘安元年戊寅九月六日」(妙法比丘尼御返事1418頁)

「弘安元年戊寅九月十五日」(四条金吾殿御返事1182頁)

「弘安元年戊寅十月 日」(四条金吾殿御返事1184頁)

「弘安元年戊寅後十月二十二日」(四条金吾殿御返事1186頁)

「弘安二年己卯二月二日」(日眼女造立釈迦仏供養事1188頁)58歳御作
「弘安二年己卯三月二十六日」(松野殿後家尼御前御返事1393頁)58歳御作

「弘安二年己卯三月二十六日」(松野殿後家尼御前御返事1393頁)

「弘安二年己卯四月二十日」(上野殿御返事1558頁)
「弘安二年己卯五月二日」(新池殿御消息1438頁)

「弘安二年己卯六月二十日」(松野殿女房御返事1394頁)

「弘安二年己卯十月 日」(三世諸仏総勘文教相廃立575頁)
「弘安二年己卯十一月卅日」(中興入道御消息1335頁)
「弘安二年己卯十二月三日」(右衛門太夫殿御返事1102頁)

「弘安三年庚辰正月十一日」(上野殿御返事1562頁)59歳御作

「弘安三年太歳庚辰十二月 日」(諫暁八幡抄589頁)59歳御作

「弘安四年太歳辛巳六月十六日」(小蒙古御書1284頁)60歳御作

「弘安五年壬午九月 日」(身延相承書1600頁)61歳御作

「弘安五年太歳壬午十月十一日」(本因妙抄877頁)

「弘安五年壬午十月十三日」(池上相承書1600頁)

↑「」内の当該文章 と後部の()内は、御書名と創価学会版御書全集での当該文章の記載頁


と、大聖人は、御書(遺文)に記載されています。

当然、重要法門書であっても最初から筆録年月日を記載していない御書(遺文)もありますが、大聖人が重要法門書と考えられた遺文(御書)の筆録年月日には、ご丁寧に「干支」も併記されています。
それだけ、大聖人が日付を記載するにあたって「干支」を重要視されて、併記されたものと思われるのです。
然しながら、「本門戒壇の大御本尊」と称される「楠板本尊」には、「御図顕年月日」と思われる年月日が記載されていますが、此の御本尊だけが大聖人が重要視された干支が記載されていないのです。
しかも、この「干支」が記載されていない年月日表示が、「図顕年月日」に該当するのか、本門戒壇の願主と称する弥四郎国重に授与された特別な年月日に相当するのか、私達には「楠板本尊」の詳細な御相貌が把握できていない為に、巷間伝聞されている資料では、判断できないのです。
此の意味でも、宗門の認可に依る「本門戒壇の大御本尊と称する楠板本尊」の詳細な座配図の公開が必要なのです。

結局、この様に大聖人にとっては重要であるべき「干支併記」の無い年月日記載だけの「本門戒壇の大御本尊と称する楠板本尊」は、大聖人御真筆とは考えられず、後世に模作された模作者未定の「ニセ戒壇本尊」と推考せざるを得ないのです。
他に、「楠板本尊」が「ニセ戒壇本尊」であると疑う証拠はあるのですが、この「干支併記無し」も有力な証拠の一つなのです。

 

 

 

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