IBMが行ったビジネスモデルの転換についての記事をご紹介。
日本の電機メーカーも見習いたい! IBMが挑んだビジネスモデルの創造的破壊
(2009/2/4、ダイヤモンド・オンライン)
記事からまとめてみた。
IBMが行ったのは、ハードウェア・メーカーから
ソフトウェアとサービス企業への転換である。
ハードウェア・メーカーは景気の影響を受けやすい。
実際、日本の電機メーカーは景気の影響を直に受けている。
ソフトウェアとサービスを提供する企業は、
長期的に収入を確保できるため、景気の影響を受けづらい。
以前のIBMのイメージは、コンピュータを販売する
ハードウェア・メーカーというイメージだった。
しかし、業績不振によって、サービス企業への転身を行なった。
■IBMがハードウェア・メーカーから
ソフトウェアとサービス企業への転換するために行なったこと
●2002年にプライスウォーターハウスクーパーズ(PwC)の
経営コンサルティング部門であるPwCコンサルティングを買収
●2002年ハードディスクドライブ (HDD) 事業部門を日立製作所に売却
●2004年にパソコン部門を中国のコンピュータ・メーカー、レノボ・グループに売却
サービス企業への転身を行い、成長してきたのが、
グローバル・サービス部門なのだそうだ。
グローバルサービス部門は2つの部門から成っている。
1. グローバル・ビジネス・サービス
コンサルティングやシステム・インテグレーション、
CRM(顧客関係管理)などのソフト提供、財務、人事業務の
アウトソーシングを請け負うIBMグローバル・ビジネス・サービス
2. グローバル・テクノロジー・サービス
サーバーやストレージなどのインフラを提供する
IBMグローバル・テクノロジー・サービス
この2つの部門で、IBMの総収入の約53%を占めており、
これにソフトウェア部門が約24%あるので、
ソフトウェアとサービスが売り上げの約80%を占めているそうだ。
また、IBMは、BRICs諸国に積極的に進出し、
総収入の約60%はアメリカ国外で稼いでいる(昨年度実績)そうだ。
アメリカ国内に頼らず、グローバルに展開し、
不況にも強い企業へと転換している。
沈んでいくばかりとみられていたIBMがビジネスモデルを変え、
成長企業へと生まれ変わった。
このことを成功させたのも、IBMのCEOである
サミュエル・パルミサーノの力、
特に信念の力によるところは大きいと考えられる。
IBMが変身したきっかけとなったのは、
サミュエル・パルミサーノが、
P&GのCEO、アラン・ラフリーとの会話だったそうだ。
ラフリーはその時、「10万人いるP&Gの社員で、
本当に必要なのはどのくらいだと思うか?」と
パルミサーノに問うたらしい。
答に窮するパルミサーノを驚かせたのは、
ラフリーの次の言葉だ。
「せいぜいその4分の1でしょう」。
この会話から、企業内のさまざまなビジネス・プロセスの
アウトソーシングに大きなビジネス・チャンスを
見出したパルミサーノは、その後社内の刷新に
大鉈をふるい始めたと言われる。
「IBMがサービス企業に転身?」。
業界は、パルミサーノの浮世離れした構想に
早々とバツ印を付ける人々で溢れかえった。
だが彼は、社内でビジネス・プロセスを専門とする
社員の数を2002年の3500人から、
2年後にはなんと5万人にまで増やした。
彼の信念は揺るがなかった。
この構想とその信念がなければ、
IBMは改革できていなかったであろう。
周りに様々なことを言われていただろうが、
企業内の様々なビジネス・プロセスのアウトソーシングを行うサービス事業
という彼の構想は間違っていなかったのである。
この転身を行うために、彼は様々なことを行っている。
■IBM サミュエル・パルミサーノCEOが行なったこと
●企業向けソフトウェアを開発する新興企業を買収
●金融業界やコンサルティング業界で経験を積んだ社員の引き抜き
●先端研究で知られるリサーチ部門はビジネス志向に方向転換させ、
たとえば現在、アメリカの郵便サービスのために郵便物の仕分けと
発送を最適化するアルゴリズムの開発などを手掛けている。
●現在でもIBMは、総社員数は増やしつつも、
毎年数1000人規模のレイオフを行っている。
*その時々のビジネスの需要に応じて、
敏捷に社内スキルを対応させるため。
これほど見事なビジネスモデルの転換はあまり聞いたことがない。
リーダーの持つ信念が企業を変えた1例として覚えておきたい。