憲法9条違反の実戦命令が下される | きなこのブログ

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新党憲法9条が存在していたら稲田防衛相に米艦防護命令を出させなかった
http://kenpo9.com/archives/1371
 
今日のNHKが朝っぱらからトップで繰り返し流し、きょうの各紙が一斉に一面トップで報じました。
 
それは、米軍の要請に基づき、きょう5月1日に実施される海上自衛隊による米海軍艦船の防護の事です。
 
これは我が国の防衛政策の一大転換点であり、分岐点です。
 
もちろん憲法9条違反です。
 
だからこそNHKも各紙も、これほど大きく報道しているのです。

 

 

こんな重要な政策決定が、いつ、どのような形で行われたのだろうか。
 
そう思って各紙を読み比べてみて唖然としました。
 
どの記事も、政府の正式な発表に基づいて記事にしたのではなく、政府関係者への取材で分かったと書いているのです。
 
そんな馬鹿な事があるだろうか。
 
そう思ってさらに読み進めてさらに唖然としました。
 
すでに、2015年に成立した安保法関連法案によって、防衛大臣の判断で実施命令を下す事が出来るというのです。
 
いいですか。
 
これは米艦防護の演習ではないのですよ。
 
米艦船が有事に関わった場合にその米艦を防護する実戦の命令なのですよ。
 
その命令が、こともあろうにあの稲田防衛相の判断で下されたというのです。
 
まさしく憲法9条違反がなし崩し的に行われたのです。
 
これはおそろしいことです。
 
おもえば安保法制が議論された時、この集団的自衛権の行使の憲法違反はさんざん指摘されたました。
 
いつ、どんな時に、どのように行われるのか、さんざん議論されました。
 
しかし、安倍政権のごまかしの答弁によって、何も明らかにされないまま、最後は強行成立させられてしまいました。
 
その後は、もはや政府に白紙委任状態です。
 
どの報道を見ても、今度の米艦防護の初の命令について、それが、あの安保法制の議論の中で懸念されていた事が現実になったと批判するものは皆無です。

 

 

こうして憲法9条は完全に骨抜きにされていくのです。
 
果たして連休明けの国会審議で、野党共闘はこの稲田防衛相の実施命令について、それが憲法違反だと追及するでしょうか。
 
おそらくそうはならないでしょう。
 
共謀罪や森友問題の追及に忙しくてそれどころではないでしょう。
 
そして、それさえも腰砕けに終わり、後は東京都議選一色の政局になるでしょう。
 
これがこの国の政治の現実です。
 
既存の護憲政党の限界です。
 
何としてでも新党憲法9条をこの国の政治の中につくらなければいけない。
 
たとえどんなに弱小の政党であっても、憲法9条こそ、他のいかなる国も持つに至っていない、人類の崇高な政治哲学、政治理念であって、それを国是とすることこそが、日本の政治の最も重要な使命である。
 
その事を、その事だけを、国会で大声で主張し続ける政党がこの国には必要です。
 
新党憲法9条がこの国の政治の中に存在していたら、憲法9条を愛する世論の願いを結集させて、米艦防護の実施命令など、稲田防衛相に決して許すことはなかったでしょう
 
(了)

 

 

 

 

今上天皇は国益最重視のリアリストなのだと思う
http://suinikki.blog.jp/archives/70376176.html
 
今回は『エコノミスト』誌に掲載された日本の右傾化に関する記事をご紹介します。
 
今年2月の森友学園・瑞穂の國記念小學院を巡るスキャンダルから、教育勅語の学校現場への導入の擁護までを今回の記事では網羅しています。
 
特徴的なことは、日本会議など歴史修正主義者や超国家主義者たちは今上天皇を尊崇しているが、彼らの尊崇に対して、今上天皇は期待に反した行動をしているという点を指摘しています。
 
今上天皇は太平洋戦争の激戦地を訪問し、慰霊を行ってきました。
 
また、歴史修正主義に反対している作家の半藤一利氏を招いて話をしているということも注目されます。
 
記事では、「今上天皇の行動は、彼らへの叱責となっている」と書かれています。
 
もっと言うと、歴史修正主義者や超国家主義者、右翼の中には、今上天皇はリベラルすぎると考えている人が多くいると聞きます。
 
今上天皇の行動への批判を隠さない人々もいます。
 
しかし、彼らが考えるような天皇中心制国家へ日本が回帰するということはないでしょう。
 
今上天皇は国際協調主義を昭和天皇から引き継ぎ、それに加えて、池田隼人内閣みたいですが、寛容と忍耐、低姿勢を受け入れていると思います。
 
それは、外国との摩擦は日本の国益にはならない、政治から超然としている立場の天皇として、政治の動きとは一種のバランスを取らねばならないと考えているのだろうと思われます。
 
その点で、今上天皇はリアリストなのだろうと私は考えます。
 
(貼りつけはじめ)
 
菩提樹:日本の超国家主義者たちの天皇に対する献身は報いられない
(Banyan  Japanese ultranationalists’ devotion to the emperor is unrequited)
 
旗を振りまわす過激主義者たちにとっての小さくない問題
 
2017年4月12日
『エコノミスト』誌
東京発
 
教育勅語(Imperial Rescript on Education)は明治天皇の名において1890年10月に出された。
 
教育勅語は315字の華麗な文字で書かれている。
 
教育勅語では臣民たちに対して、忠誠心と孝行心を涵養し、最終的には皇室の存続のために生命を捧げる準備をするように求めている。
 
教育勅語の認証を受けた謄本は全ての学校に設置された皇室を祀る小さな神社に納められた。
 
子供たちは教育勅語を暗唱しなければならなかった。
 
教育勅語は「国体」の概念の基本となる文書であった。
 
国体とは、神聖不可侵の天皇と臣民との間の国家を形成するための神秘的な紐帯を示す概念だ。
 
従って、教育勅語は日本人が天皇の名で出された命令を実行することを教え込まれる教化の道筋の起点となった。
 
また、この道筋は軍国主義、総力戦、そして最終的に完膚なきまでの敗戦へとつながった。
 
国体という言葉は、現在のドイツにおける「レーベンスラウム(生存圏)」と同じくらい、不協和音を生み出す言葉になっているのは間違いないところだ。
 
教育勅語は、敗戦から3年後の1948年に国会によって失効させられた。
 
安倍晋三内閣は4月初めに教育勅語の学校での利用を容認したことで何をしようとしたのだろうか?
 
菅義偉官房長官は、控えめに、日本政府は教育勅語を児童教育の「唯一の基盤」とすべきだと提案しないと述べ、教育勅語容認を批判する人々は厳格すぎるという印象を与えた。
 
また、菅官房長官は政府が教室で教育勅語を使うように促すことはないとなだめるように述べた。
 
教育勅語の取り扱いは教師たちの判断次第であるが、日本国憲法に反する取扱いはしてはならないと菅官房長官は述べた。
 
超国家主義の学校法人で幼稚園を経営する森友学園を巡る騒動が起きた後に、教育勅語の容認という動きが出た。
 
いくつかの映像には、幼稚園児たちが今上天皇と皇后の写真に最敬礼をしている姿、軍歌を歌っている姿、中国、韓国、ロシアと争いがある領土を守って欲しいと大人たち訴える姿、反中国、反韓国のスローガンを叫ぶ姿が残っている。
 
日本では、森友学園のこうした教育がスキャンダルとなった。
 
それは、安倍昭恵首相夫人が森友学園に関与していたからだ。
 
昭恵夫人は森友学園が建設中だった小学校の名誉校長になることに同意していた。
 
昭恵夫人は2月末に名誉校長を辞任した。
 
2月になって、森友学園が地方政府からかなり値引きされた値段で土地を取得したということが発覚した後に彼女は辞任した。
 
このスキャンダルは継続して調査されている。
 
歴史家の半藤一利氏は1930年代前半に生まれた。
 
彼は今でも教育勅語を暗唱することができる。
 
彼は、「教育勅語には良い部分もありますよ。誰が親孝行、兄弟仲良く、友人と親しくするといったことに反対しますか?」と語る。
 
しかし、教育勅語には、「良き臣民は天皇のために死ぬ覚悟をしなければならない」とも書かれている。
 
これは、アメリカによる占領下の1947年に制定された自由主義的な憲法と真っ向から対立する。
 
日本国憲法は天皇の神聖を否定し、国家のシンボルであるとだけ述べている。
 
主権は国民にあるとされた。
 
半藤氏は教育勅語の復活に動きながら天皇が政治的権力を持つように戻すということを述べない人々を軽蔑している。
 
日本の右翼と超国家主義者たちは呉越同舟である。
 
東京中心部の街頭で、ごろつきのような人々が旗をふりまわし、軍歌を大音量でかけながら走る「サウンドトラック」を、汗をかきながら運転している。
 
東京の靖国神社は、日本の戦争での戦死者たちを祀っている。
 
靖国神社では、空想に浸っている人々は特攻隊のパイロットたちの制服を着てふんぞり返って歩き回っている。
 
色々な場所で、自分の考えに凝り固まった独学の「歴史家たち」は、日本に対する誤解と嘘を全てが真実ではないことを「証明している」紙がつまっているみすぼらしい穴の中に閉じこもっている。
 
歴史修正主義者たちはぐらついたセットが置かれているケーブルテレビのスタジオの中で怒鳴り散らしている。
 
彼らに共通しているのは、天皇のこれまで途切れたことのない家系に対する尊崇である。
 
しかし、天皇は太陽の女神の子孫であると信じるには柔軟な思考が必要である。
 
超国家主義者たちが歴史修正主義に陥りやすい理由はここにあるのかもしれない。
 
彼らは、第二次世界大戦中の日本が民間人の大量虐殺や女性に売春を強要したというような犯罪を起こしたことを否定している。
 
こうした動きの中には機会主義者もいるが、多くの人々はその通りだと確信している。
 
半藤氏は次のように語る。
 
「日本に住む私たちは、起きてはならないことは、実際にも起きなかったのだと考えてしまう習慣があります」。
 
2人の過激な歴史修正主義者が安倍内閣に入る。
 
防衛大臣の稲田朋美と総務大臣の高市早苗だ。
 
歴史修正主義者の団体である日本会議は、平和憲法の書き換えと天皇がより中心的な役割を回復することに邁進している。
 
日本会議は38000人の会費を払う会員を擁している。
 
会員の中には安倍内閣の閣僚になっている人物たちもおり、安倍内閣の4分の3は日本会議の会員だ。
 
歴史修正主義者と超国家主義者に共通しているもう1つの特徴は、戦争に対する罪悪感と戦時中の近隣諸国に対する侵略への謝罪が現在の日本を去勢しているという信念を持っているという点だ。
 
日本会議会長の田久保忠衛は、学校における「道徳教育」の推進と教科書における先の戦争に関する輝かしい解釈を掲載することの目標は、国家の強制的な斉唱にさえ反対する左翼教師たちによる70年に渡る「洗脳」の「振り子を矯正する」ことにあると述べている。
 
超国家主義者たちは目標をある程度達成している。
 
菅官房長官自身は過激主義者ではない。
 
菅官房長官による教育勅語の用語はご機嫌取りのようだものだ。
 
しかし、超国家主義者たちは深刻な問題に直面している。
 
彼らが尊崇している83歳になる今上天皇は、父親の昭和天皇が容認し、消極的だが促進した戦争の悲劇を反省してきた。
 
今上天皇は天皇としての時間の多くを戦場となった場所の訪問と日本側だけでなく、全ての戦没者の慰霊に費やしてきた。
 
菊の花の紋章はうめき声をあげている。
 
今上天皇の行動はナショナリストたちへの叱責となっている。
 
日本会議の指導者たちは、今上天皇が半藤氏を招いて会話をしていることを知り、慌てふためいている。
 
彼らに今上天皇と親しく会話をする機会を与えられたことはない。
 
現在、天皇は日本国民に対して退位を許してくれるように求めている。
 
その理由として高齢のために責務を果たすことが困難になっていることを挙げている。
 
この天皇の行為もまたナショナリストたちを刺激している。
 
それは、退位が2000年にも及ぶ不可侵の伝統を壊してしまうことになると考えられるからだ。
 
日本の著名なリベラル派の知識人船橋洋一は次のように語る。
 
「今上天皇は大変に人気があり、尊敬を集めています。今上天皇に勝てる人はいないのです」。
 
超国家主義者たちは自分たちが無敵ではないということを心の底では分かっている。
 
(貼りつけ終わり)
 
(終わり)

 

 

 

 

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