曽野綾子の精神構造 | きなこのブログ

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曽野綾子氏に贈る詩「みんなちがってみんないい」
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-82f2.html

差別主義者の精神構造の中心には強い劣等意識がある。

他者を見る際に常に

優劣意識が支配する。

自分よりも他者が優れていると認識し、強い劣等意識を有するのである。

その激しい劣等意識の裏返しが他者への差別言動になって表れるのである。

ものごとの判断の基準に置かれるのは常に

優劣の尺度

である。

差別主義者の行動の特性は、

自分より優位にあると判断する者に対しては卑屈にひれ伏す。

自分より下位にあると判断する者に対しては尊大、横暴に振る舞う。

差別主義者の根本には常に強い劣等意識があることを見抜いておく必要がある。

曽野綾子氏が産経新聞に寄稿したコラムが批判にさらされている。

曽野氏の言説は典型的な差別主義者のものである。

日本が高齢社会に移行し、介護・医療のニーズが拡大する。

このニーズに対して、曽野氏は外国人労働者を消耗品、自分たちのニーズを満たすために利用しようとの姿勢しかない。

介護の仕事に従事する者の立場でものを見る視点、他者の立場でものを見る視点が存在しない。

要するに、自分の利益がすべてなのである。

介護の職務に従事する人々に対する敬意と尊重の視点が存在しない。

介護の仕事に従事する多くのプロフェッショナルがいる。

その技量に優れた人もいれば、技量が未熟な人もいる。

物書きも同じだ。

文章を書くことなら誰でもできる。

誰でもできるが、そのなかに熟達者と未熟な者が存在する。

物書きの曽野綾子氏に、物書きの仕事なら誰でもできる。

技量も力量も必要ないと言うなら、色をなして激怒するだろう。

強い者にはひれ伏し、弱い者には尊大に振る舞う者ほど、尊大に振る舞われたときに敏感に反応するものである。

差別をする者ほど、差別に敏感に反応するのである。

優劣の尺度でものを見る視点の反対にある視点は、平等の意識である。

自分には優れている点もあるが劣っている点もある。

他者も同じだ

良いところもあれば悪いところもある。

これが真理である。

ものごとには必ず陰と陽がある。

陰だけのものもなければ陽だけのものもない。

すべての存在に陽があり、陰がある。

それを含めれば、すべては似たようなものなのである。

ある面で秀でているということは、別の面で劣っているということの裏返しである。

そこまで考えると、どの存在にも全体としての優劣はない。

「みんなちがって、みんないい」

のである。

曽野綾子氏には、金子みすゞの次の詩を送っておきたい。

私と小鳥と鈴と

金子みすゞ

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。