小室哲也、僕はもう自分らしさについて考えているだけ。 | 三茶農園/きむらさとる

三茶農園/きむらさとる

 気付きの共有。コミュニケーション、演出表現について、まちづくり。渋谷とか静岡。

以下、ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね) さんからの抜粋引用です。

メディアの変容の前に、社会の変容がある説。
社会の変容が、個人メディアとソーシャルメディアによるものだ、と考えるのは間違っています。
今のメディアの様相は、その変容した社会が求めたものとしての時代に表れたものにすぎない。
人々(の価値観)が成長~成熟すると、インフラが追いついてきて、(音楽や広告)表現が変化し、メディアは変化する。社会は相当成熟している。
社会の成熟に、音楽や広告が対応できなかったということなのかもしれません。音楽や広告は、人がつくるわけですから、原理的には、人々の変化より少し遅れます。表現には制作というタイムラグがありますし、表現はかなり強い文化の拘束がありますから、変化には相当の痛みが伴います。
【成熟】 物事をなすのにもっとも適した時期のこと。
裏を返せば頂点。そこから先はない。
SPA! 2010年 8月3日号「エッジな人々」の小室哲也のインタビューから。
小室さんは、こう言っています。今は一度ゼロに戻って作ってるって言うことです。それは、音楽に戻るということだろうと思います。であるならば、広告の話にあてはめると、広告に戻るということなんだろうと思うんですね。
「あえて狙わないほうがいい」という時代
これまでの表現(広告のあり方)はピークを過ぎた。いわゆる、飽きられた。

小室 あえて狙わないほうがいいと思いますよ。以前は、プロの作曲家なら、“狙い過ぎ”の曲ってすぐわかったんです。「サビはCMのタイアップ用で、絶対あとからAメロとBメロつけたな」とか。それが今は“一億総ジャーナリスト状態”で、一般の人もそういうことに気づいている。何かに似ているとか、何にインスパイアされたとか、「そんな細かいところまでわかるの!?」って驚かされます。だからごまかせない。当然ですけどね。'90年代までは一般の人が“通”になっているとは感じなかった。みんなが驚いてくれる、喜んでくれるカードを'80年代に僕はいっぱいためてたんです。

ーーーー今、そういうストックは?

小室 ない‥‥っていうと、何もないのかよ!ってなっちゃいますけど(笑)、今は一度ゼロに戻って作ってるっていうことです。僕はもう自分らしさについて考えているだけ。聴いてくれる人がジャーナリスティックに総評してくれればいいなと。ブログやツイッターでも‥‥‥

SPA! 2010年 8月3日号「エッジな人々」より引用

音楽と広告という分野の違いはあれど、時代認識としてはまったく同じ感覚。
「自分と価値観が近い!」とおもう人が多いと思う。いればいるほど、社会が変容したということ。

以上、価値観の共有として。

引用元の原文は長文ですけど 、ぜひ一読。