広告は、余暇時間の奪い合い | 三茶農園/きむらさとる

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昔から言われていることだが、広告は、やっぱ余暇時間の奪い合いだよね、を改めて。


電車に乗ったとき何をしているのかといえば、ケータイ、読書、DS、仮眠、中刷り見上げてる人、などなど。彼らが上記のことに時間を費しているのは、他にすることがないから。他に楽しい事があれば、たぶんそちらに気が行く。


山手線に乗ってみると、気がつく。トレインチャンネルを見ている人が、意外に多い。 当然、本や新聞を読んだり、ケータイいじくってる人もいるが、何もせずにいる状態が続く電車のなかで、クイズ等の娯楽番組、ニュースや天気予報、商品やサービス情報(広告)が、繰り返しかつ映像で伝えられていては、注目しないわけにはいかない。


家庭のテレビ、渋谷スクランブル交差点の街頭ビジョンなんかも、時間の長短こそあるが、することがなく、その他に興味をそそるものがなかったら、見る。


時間の使い方は暇つぶしだったとしても、自らの意思や方向性で情報取得する場合は、この限りではない。見知ったことをもっと詳しく知りたいとか、次はどの動画を見よう、なんていう自らのクリックがないと決まらないインターネットはね。


マス主導で失われた個の姿を、サイト解析などのインターネットマーケティングテクノロジーを活用し、きめ細かいサービス形態で取り戻していくというセミナー に出たが、メディアだテクノロジーだ云々もあるけど、山手線の映像広告(デジタルサイネージ)が成功している理由は、映像だからでも、ネットワーク化されているからでもないと思った。


余暇時間をしっかり刈り取っているからだよね。