高橋是清自伝 | 知財弁護士の本棚

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企業法務を専門とする弁護士です(登録30年目)。特に、知的財産法と国際取引法(英文契約書)を得意としています。

ルネス総合法律事務所 弁護士 木村耕太郎

 中公文庫の「高橋是清自伝」を読んでいる。


 高橋是清は大蔵大臣などの経歴で知られていると思うが、以前のブログでも書いたように(実はその記事を探し出せなくて困っている)、私にとっては、日本の工業所有権法をひとりで作り上げた人である。


 その人となりについては今まであまり知らなかったが、思ったことをズケズケ言うところなどは私に似ている。しかし13歳(数え歳)で既に大酒飲みとか、宿の予約もせずに行きあたりばったりで海外に行くところは、私とは全く似ていない。料理を作るのが好きなところは似ているか。


 学校の先生をやったり商売をやったり、いろいろするうちに明治14年28歳で文部省に任官、その年、できたばかりの農商務省に移り、そこで商標制度と特許制度の規則作成に従事した。


 明治17年、商標条例が成立し、同時にできた商標登録所の初代所長となる。31歳である。


 特許制度は、明治4年に発明専売略規則ができたが、審査する体制ができていなかったため、翌年に施行中止になった。


 実質的には、明治18年4月に発布、7月1日に施行された専売特許条例(自伝には「発明専売規則」とある)が、わが国初の特許法だろう。これを書いたのが高橋である。同年、高橋は専売特許所長兼務を命じられる。この時、32歳。


 以上の経歴から、高橋は現在も「初代特許庁長官」ということになっている。30代で長官なんて現在はおよそ考えられない。明治は若い。


 明治18年1月から、高橋は欧米視察の旅に出ている。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの特許庁や弁理士を歴訪し、各国の特許制度を調べた。


 高橋によると、やはりアメリカが最も進んでいたという。アメリカは、「特許庁」という役所を作り、そこに「審査官」を置き、出願を審査するというシステムを、世界で最初に作った国である(1830年代)。


 欧米視察の成果は、明治21年12月18日発布、翌年2月1日から施行の商標条例、特許条例、意匠条例に結びついた。意匠制度ができたのは、この時が初めてである。


 アメリカが最も進んでいると言った高橋が作った日本の特許制度は、当然のことながらアメリカの影響を強く受けていると思われる。


 日本の特許法はアメリカ法、フランス法、ドイツ法の影響を受けていると言われている。まだ私の研究が至らないのではっきりとはわからないが、最も強く影響を受けているのはアメリカ法なのではないか。現在もそうだし、明治の昔もそうだった。少なくともドイツ法じゃないよ、と思う。


 それにしても高橋は面白い人物である。なかなか、真似できるものではない。