千葉科学大学図書館 坪井昭訓氏 から、中央公論の巻号に関するメールが
Daitoken のメーリングリストに流された。「[dtk:03149] 「中央公論」の巻号について」
(そこには、黒澤のブログ記事も紹介されているのだが)

図書館員が、出版する雑誌について、いろいろ意見を言う側ではないが、
雑誌を永久保存して管理し、雑誌記事を見つけ出すという業務を
永久に担っている図書館という立場からすれば、明らかな
混乱が発生することは目に見えている。

雑誌の号の識別は、図書館システムの基本的な機能で、巻号年などで
構成されている。その基本中の基本に、変更が発生したが、
中央公論のホームページや雑誌には、特に、その変更した理由や
経緯は紹介されていない(ようだ。単に見つけられないということかもしれないが)

きっと、この129年、129巻問題は、10年後、20年後まで、いや、100年後までに
混乱を引き起こす種になりそうだ。

この2014年の129年が、2015年の130巻になるのなら、あまり、問題にならないが、
129年、129巻と同じ数字が使われてしまったのだ、問題なのだ。

中央公論は、商業雑誌に属しており、学術雑誌ではないのだが、130年の歴史を
もち、日本を代表する雑誌が、このような混乱と暴挙に出たのは、大問題であろう。

もし、NatureやScience といった世界的に著名な雑誌が、巻号を有為的に
変更したとすれば、世界中から、非難を浴びただろう。

しかし、幸いなるかな 中央公論は、学術誌でもないし、だれも、中央公論を
取っておく人もいないし、ましてや、過去の記事など、見たいという
人もないと、思っているのかもしれないが、この混乱をどうすべきなのだろうか?

10年後、20年後、中央公論の2014年、2015年の記事を探す人は、大混乱を
してしまうかもしれない。
まあ、学術雑誌でもないから、あまり、気にも留めないのかもしれないが、
130年の伝統を誇る雑誌の責任というものが、無いようにも思える。

理由は、2016年まで、明かさないつもりなのだろうか?