10月18日 読売新聞朝刊に、著作権に関する記事がのっていた。

この記事の最大の盲点は、著作物の供給をどのように著作者は保障するのか。
著作者でなくても、社会が、その供給をどのように保障するのか。
その制度の確立なくして、著作権問題は、需要と供給の問題が解決しないまま、
ジタバタしつづけるしかない。その解決策の提示がどこにもないことである。
ある面、無責任制度のまま、放置されているところに問題はある。

著作物は、保護され、その権利が守られるというのは、当然のことである。

著作権問題の最大の問題は、著作物が、著作は、一方的に、(ある面、無秩序に、かって気ままに)
作成され、市場に、ちゅうと半端な形で供給され、そのまま放置されたまま、著作権の権利のみが
のこっていて、だれもコントロールできないということころにある。

実は、著作権期限が満了して、作品が自由に使えるということが、問題ではない。
そんなことはどうでもよい と、私は思うのである。

文芸作品、学術書をとわず、雑誌もとわず、見たい、読みたいというときに、絶版です、品切れです、
在庫がありません の一言で、供給できない体制に問題があるのではないか。

十分な供給も出来ずに、著作権という言葉のみで、なんら対策がとれないということろにある。
再販しないのなら、なんらかの供給の道と決めておかないのか ということである。

実は、この著作権問題で、商売している人がいる。それは、悪いことでもないし、みんなの利便性にとって
不可欠である。
たとえば、複写機メーカーである。たとえば、宅配業者である。
たとえば、交通業者である。(わざわざ、遠くの図書館まで、出かけていくのである。)

この時、書籍自体の価格より、より、高価の代価を支払っているのものある。
それを、著者権者に還元する方法も、現代なら、いろいろ可能だろう。

その意味では、著者権団体が、著作の供給保障をしたっていいではないか。
電子記録することができるのだから、いろいろな方法があるだろう。
電子図書館を作ったりやAmazon、Googleを使う方法もあるだろう。
J-MARCデータの全件をしらべて、著作権関係を明確するデータベースをつくる必要もあるだろう。
(そんな無謀な仕事ができないと思うかもしれない。しかし、それをやるのが、著作権管理する仕事だろう。)

そうやって、出版したものの責任として、著作物の供給保障をしてほしいのである。


権利を放棄してほしいとは少しもおもわない。
むしろ、もっと、ちゃんと管理して、商売してもらいたい。

現在は、あまりにも、ずぼらすぎる状態を放置しないでほしい。

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今。Google が ブック検索サービスの準備を進めている。
スキャンは、アメリカでやるという。
そして、そのスキャンした図書は返却しないという。

その内、アメリカの Google に、世界最大の和書の電子図書館の完成と同時に現物和書図書館が
完成する日も近いかもしれない。
その図書館は、もしかすると、番号が振られた段ボール箱の山という図書倉庫かもしれない。
それでも、いま、膨大の数の和書がスキャンのための、太平洋を渡っているのである。
それは、一方通行の旅である。