昨晩、「書誌方程式を読み解く(予告)」を書いて寝た。
なぜ、寝たかというと、書誌方程式の書いてある文献を探して読んでみないと、ブログは書けないと思ったからだ。もう、数十年も前の記事だし、その後、そのような概念を言った人も皆無なので、馬場教授の論文を読み返してみるしかない。
我が家の中を探せば、学生時代の資料や本はいくつか見つかるかもしれないが、それも、物置の中を、全分探してのことだろう。
来週、大学図書館で探すしかあるまい。(ここは、大学図書館に勤めているので、便利)

このようなときに、電子図書館があれば、どんなに便利化と思う。
実は、電子図書館は、読んだ本、論文、新聞の蓄積場所なのである。

最近は、あまり見かけないような気がするが、昔のインテリのお父さんたちは、新聞を読んで、興味のあったものと切り抜いてスクラップブックしていた。私も図書館で働いているので、個人の蔵書の寄贈を処理することがあるが、、
そんな資料の中に、本に混じって、明治、大正時代のスクラップブックを見ることがある。
そのスクラップブックや、蓄積された蔵書こそが、電子図書館でなるべきである。(個人の電子図書館を前提に話を進めています。)

既に読んでしまったものを、あえて、新聞から切り抜いたり、図書をとっておく必要はないではないかという意見もあると思う。人間の記憶が非常に優れているものであれば、必要はないが、そうではないのが、現実である。
なぜ、スクラップブックを作ったり、読みえた図書をとっておかなければならないのか?
いろいろ確認したり、する場合に必要なのである。それも、数十年後に必要になるかもしれないのだ。

ここで、スキャンロボットがあって、図書を載せておくだけで、電子図書館ができると、どんなにいいかと思う。この自宅ある膨大な図書を捨てることができる(たぶん、半分ぐらいは捨てるかもしれない)

音楽の場合は、機械を使用して再生する手段が必要なので、音楽そのものを購入することは出来ない。
(まあ、楽譜を買うという方法もあるかもしれないが。)
そのため、最近の音楽は、とにかく、電子媒体自体がかならず、必要で、それがすべてある。

図書は、機械を使用して再生することが、必要ではない。図書自体が人間へインターフェース付き、メディアであるからである。
1つの図書を見た時に、人間に対して、これほどよいものはないが、100冊、1000冊、10000冊の保管や管理を考えると、とんでもないことになる。

この図書の量は、個人も、書店も、出版社も、図書館も手を焼いているのである。
途方にくれているのである。

紙から、電子というとんでもなく便利のものを手にいれた時代なのである。
そのメリット、個人にも、還元できる時代になってほしいですね。

個人が、数十年にわたり、10万冊管理できる電子図書館を。
きっと、はじめは、小学校の教科書や、自分のテストの答案、ハリーポッターやメイベルおばあちゃんの本などが入るのかもしれないが、それが、数十年にわたり、蓄積されるようなシステムがいいですね。
そんなことは、大作家などが、自分のために、数千万、数億のお金をかけて、書庫を作ることが可能な人たち(作家や学者)だけにゆるさた特権だったのだが、それが、一般でも可能になるかも知れない。

だから、電子書籍は、保存に優れていなければならない。
読み捨てや保存性のない電子書籍はありえない。
入るのかもしれないが、