いったい、国民は一生涯何冊の本を読むことが求められているのであろうか。
そして、一生涯、何冊の図書を保存することが求められているのだろうか。

音楽業界や映画業界が、不況だからといって、音楽を聴いたり、映画をみたりすることが求められるわけでもないのに、なぜか、図書には、そんな圧力が、そこはなとなく発生する。
その圧力の発生源は、出版社、書店、作家の立場から発生しているようにもみえる。

通常の単行本で、年間7万タイトルの本が出版しているのである。
いったい、なにを考えているのか?

再度、言おう。
図書をつくるシステムだけでは、どうしようもない。
図書を消滅させる技術が必要なのだ。
図書を消滅させる、それは、物理的に消滅させる技術 すなわち、デジタル化である。

3月は、退職の季節でもある。
大学を退職される教授たちは、大学を去るにあたり、研究室を明け渡さなければならない。
そうすると、大学図書館はそれなりの戦闘準備をしなければならない。

研究室にある、膨大な図書を下さるという先生が必ずいる。
だが、図書館も毎年膨大な数の図書を購入しているので、その多くは、研究室にある図書と重複している例が多い。すると、図書館にない図書はいただいていいが、重複の図書の処分が困る。

図書館の事情をよくわかっていて、事前に、必要なものがあれば、差し上げますという、先生もいる。
図書館にとっては、たいへんうれしい申し出である。
しかし、なかなか、先生の期待に添えるほど、頂くことができないのが、現実である。

中には、さっさと、箱詰めして送りつけてくる先生もいる。
しかし、それも、また、いただくことのできるのも、ほんの僅かでしかない。

そもそも、図書館には、もう、何十万冊という図書があり、その置き場も無限にあるわけはない。
多くの図書館が、もう、図書は満杯状態である。

たぶん、一億円分の図書を管理するための建物は、1億円かかるに違いない。(適当な理論です。)
10億円の図書は、10億円の建物が、50億円の図書には、50億円の建物が、100億円には、
100億円の建物が必要になる。
図書館で、購入する図書の平均単価は、一般的な図書の価格よりかなり高めになる。それは、学術書を購入することが多くなるからである、和書でも平均5000円、洋書では10000円以上の価格帯になる。
さて、最近新築された図書館の建設コストと、収容蔵書量を調べてみて、図書の和洋のバランスを勘案して、冊数と価格をかけてみるといい。

おそらく、ほぼ一致するはずである。(実は計算例はまだ、ひとつもない。適当きわまる理論であるが、
たぶん、そのくらいだろう。誰か、ご自分の図書館の例で検証してみてください?)

もしかすると、建設コストが数倍高いという例もあるかも知れませんね。
ただ、単純に、蔵書量と建設コストは比例関係にあるというには、間違いありませんね。
もしかすると、国からの補助金(公立図書館の場合は)冊数に対してのコスト計算もあるかもしれませんね。

さて、家庭の中で、小学生で購入したハリーポッターは、何歳まで、保存するのが適当なのでしょうか。
一人当たり、家庭の中で、図書が何冊あるのが、適当を考えているのでしょうか?

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大学の中でも、図書は、図書館で、図書を購入するほか、教授が研究費や個人のお金で購入したり、職員や学生が図書を購入していて、一つのコミュニティーのなかでは、重複する図書が充満している。

大学の中にも、書店があり、図書を販売して、利益を得ているのである。

しかし、図書は、その存在場所を主張し、何年も何十年も、存在するのである。
しかも、その図書を購入した人が、亡くなっても、その存在を主張する、稀有なものである。

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とても、よい本があって、読ませたいのなら、新聞に印刷して読ませればよいかもしれない。
そうすれば、読んだあと、資源回収にだせるから。

しかし、もし、その本が、読者になんらかの感銘、感動を与えてしまったら、多くの人が
その新聞を捨てずにとっておくという現象が起きてしまうだろうなぁ。

本とは、そうゆう力のあるものなのである。
人間の分身のような力があるものである。
だから、りっぱにつくる必要がある。
しかし、それゆえの問題もあるのかもしれない。
一冊の図書が人生を変える力ももつのである。