図書館に長く勤めるものにとって、最大の問題は、いろいろなことを図書館の立場からしか考えられなくなっている点である。(オリンピックのとき、日本人選手のみ応援しているのに似ているかも知れない。)

OPAC(図書館のコンピュータ検索目録のこと)は、本当に使いやすいのかと問われれば、かつてのカード目録た、ロッキード社のダイアログをみてきた人間にとって、こんなに便利なものはない。まるで、図書館の究極のツールに見えてくる。
1990年代、前半から半ばまで、インターネット上で検索できる無料のデータベースといえば、図書館のOPACしかなかった。(telnet による検索しか出来なったが。)
それは、とても、画期的であった。
しかし、インターネット上には、さまざまなコンテンツ、技術が登場してして、図書館のOPACは、インターネット上もっとも、地味なデータベースになってしまった。

さて、岡本氏の講演を聞く機会を得た。多くのインスピレーションを得ることの出来るものであった。
(この講演は、小規模な特定の人にされたものです。以下の内容は、講演とは、直接関係ありません。
講演から得たインスピレーションの覚書です。ここで、使われている言葉、用語も講演とは関係ありません。)

インスピレーションから得た問いは、

OPACは、利用者に親切か?

目録カードの方が親切なこともある。
OPACで検索させてから、検索結果 100件、1000件の中から、求める情報を得るために
利用者に、膨大な労力を強いているようにも見える。
改めて、もっと、人にやさしいOPACをどのように登場させる方法を考える必要がありそうである。
ここでも、図書の所蔵量は、いろいろ考える必要がある。
5万冊、50万冊、100万冊の図書館にとって、利用者にできるだけ適正な情報を提供する方法も
必要である。

OPACを構築情報理論の旧式さ (理論の無さ)

OPACによって検索されたデータは、すべて等価なのか。
OPACの利用者がある集団、組織に属している場合、図書館の資料は、すべて等価というわけではない。
かつての情報理論は、論理和、論理積などによる利用者が、情報を特定する(ロッキード社のダイアログ方式)の域をでていない。もしくは、そこに固着している。
しかし、Googleなどに代表される検索エンジンは、利用者が求める情報を先頭に配置する。
なぜ、そのようなOPACが登場しないのか。
現在、検索方式も、1ボックス式検索は、一見Googleにも似ているが、その検索結果の対応は
どうも、あまり、パッとしない。
しかも、図書館のデータは、書名、著者名、出版社などの意味づけられたデータを持っているにも関わらず、それが生かされて風にも見えない。
それそれの要素の重み付けも必要だろう。
検索結果の書名一覧という手法も、検討すべきことだ。


検索結果なしに対する対応
OPACが検索結果0件を出して、実は、そのまま放置している。
OPACはなんらかのアクションを指示すべきである。
岡本氏の提案からすれば、近隣提携図書館の検索に導く。NIIや国会図書館の検索に導くといったものが考えられる。
検索ミスの可能性もあるので、似たような検索、あいまい検索で検索結果をフォローすることも考えられる。
検索入力時、ガイドする方法もある。
書名や著者名、出版社などの情報を事前にもっているのだから、入力時に事前のガイドをする方法も簡単に実現できることであろう。
もしくは、蔵書以外の参照用データベースを持っている場合は、そちらの検索結果を出してみるということも
必要だろう。

図書館データに何を含めるべきか。
図書館のデータには、目録データ以外を含めることはできないのか。

要約
利用者が求めるデータにアクセスできるOPACであること。(利用者にやさしいOPACを)
そのためのたくさんの工夫の余地がある。
それを、工夫する理論の確立を!