あの東日本大震災から今日で一年。


今日はあの日を振り返るべき日。

新宿の会社にいた14時46分。
長く強い揺れが続いた。
上司の指示で外に避難したが、
見上げたら高層ビルはぐらぐらしていて
囲まれたあたし達は、これ以上の地震が来たら最悪はどこに逃げても助からないだろうと一瞬思った。


何が起こったか分からないまま
歩いて帰宅。

青梅街道をたくさんの人が家に向かって歩いていた。

まったくタクシーはつかまらず、
携帯もつながらない。

家族の安否確認をしたい人で公衆電話に見たことのない長い行列ができてた。

外を歩く人は非常用リュックを背負い、ヘルメットをつけていた。
異様な都心の風景。

家に着き、落ちたものでぐちゃぐちゃになってた玄関を越え

テレビをつけて情報収集しようとした。

悲惨な光景が次々に目に飛び込んできた。

変わり果てた東北の各地。
あちこちが燃えてる映像。
津波に飲み込まれた街。

死者は100人

200人


…いや、500人くらいになるかもしれない。



そう報道されていたが
その後もどんどん、
死者、行方不明者の人数が増え続け


涙が止まらなかった。
恐かった。


テレビの向こうの東北の方々は

みんな泣いてた。叫んでた。
大切な人を探してた。震えてた。
祈ってた。


テレビにかじりつくことしかできない自分が情けなかった。

都心でも余震が続き、緊急地震速報がテレビから携帯から、ひっきりなしに鳴っていた。

夜もその音が止まらず恐くて眠れなかった。


何度も何度も同じCMばかり流れ
どこのチャンネルをつけても悲しいことばかりが伝えられた日々。

それから間もなく、原発の問題から大規模停電が騒がれ、
ガソリンスタンドには車が群がりどこも渋滞。

スーパーもコンビニもからっぽで
その状態がしばらく続いた。

トイレットペーパーもティッシュも売ってないし、水道水も放射能の影響で飲まないほうがいいという情報が流れたからミネラルウォーターもどこに行っても売り切れ。


買い占め禁止、買い占め禁止…


言われなくても普通わかるでしょ。なんでみんな大変な時って分かってて自分中心な人がこんなにいるんだよ…
結局自分がよければそれでいいのかよ、
って悲しい気持ちになったのを覚えてる。



東北が大変なことになってるのに。

自然の力は大きく恐ろしいもの。
それを思い知らされた。
人間の無力さを痛感させられた。




…人間はたしかに小さい。



小さいけど、、



あったかい。


みんな何かしたい気持ちが一緒だった。だから、全国のみんなが東北のためにできることからやっていた。


あの時の気持ちを忘れちゃいけない。
これからも…これからこそ、自分にできることをやるべき。
風化させちゃいけない。

乗り越えなきゃいけない。
過去は変えられないけど、未来は変えられる。


だから少しずつだけど募金も続ける。


震災で奪われた沢山の命と、
大切な人や大切な物を失い心に傷を負った方々のことを思い返し、

今日という日を強く胸に焼き付けていこう。 

2年後も3年後も、
あの日のことを絶対に忘れない。


1日でも早く、東北が完全復興することを祈ります。


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