大工になった理由 | 木又 誠次の大工日本一への道

大工になった理由

今日は大工になった理由を少し話したいと思います。



僕の実家は親父が工務店をしていまして、物心がついた時には


大工見習いのお兄ちゃん達と一緒に生活をしていました。


食事なども共にしていたので、自然と大工さんに囲まれた生活でした。


自分と一緒に遊んでくれるお兄ちゃん達が大工さんだったので、


小学校に上がる頃には「僕も大工さんになりたい」と言っていた様です。




小、中学校と通い、高校を選ぶ時は何の迷いもなく、


建築科のある高校を選んでました。


中学、高校では部活のサッカーに明け暮れる毎日でしたが、高校三年間は一度も


レギュラーにはなれずに応援団長と言うポジションを守っていました。


それでも辞めずに続けて、卒業する時に「俺はサッカーでは負けたけど、


俺の本業は建築や!せやから建築の世界に入ったら、誰にも負けへんぞ!」


と言う思いで、親に頼んで大阪工業技術専門学校という建築の専門学校に


二年間行かせてもらいました。




二十歳になったら世の中に出て働きたいと思っていたので、


二年間は気合を入れて建築に取り組みました。


(でも好きな授業と嫌いな授業で極端に成績に開きはありましたが・・・)


専門学校に通ってるうちに建築設計の魅力にもどんどん


引き込まれて行きました。


二年間を通じて、自分は何が好きで何が嫌いなのかをとことん考え、


「じっとしていても何も始まらん」という意気込みの中、


休みになるとバックパックを背負って色んな所を旅するようになり、


日本は京都を皮切りに、中国地方、九州地方、沖縄、八重山諸島郡、


タイ、インド、スリランカなど様々な場所を、若さを武器に野宿やヒッチハイクを


中心にまわりました。




そんな中で一つの事に気がつきました。


「俺は土臭いのが好きやなー」


建築を無機質と有機質に分けるとするなら、有機質。


木であったり、土であったり、草や水や空気など、そういうものに惹かれてると


言うことに気がつきました。


自分のルーツをたどると、父は大工、祖父は林業、曾祖父は石屋、曾曾祖父は


山の民で、その前はコマタ爺と言う人だったそうで、全て山の人間だったそうです。


恐らくもう少したどれば、猿に行き着いたのでしょうか、


やはり本能がそれを求めていたのでしょうか。




専門学校の卒業制作は構想期間二年と称して、自分の家を設計しました。


木造で一部平屋建て、一部二階建ての住宅でした。


1/20の模型も全て本物の材料を使い、材木は桧、壁は土佐漆喰、塗料は柿渋などで作り、


部屋の呼び名さえも全て部屋の使う目的に合わせた名前を付けていきました。


その結果、卒業設計最優秀賞と大阪府建築士会賞を貰いました。




それで勢いに乗った僕は「俺はこの家を建てるために大工になる!」と決意したのでした。