611冊目 イギリス人の患者/マイケル・オンダーチェ | ヘタな読書も数撃ちゃ当る

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ある日突然ブンガクに目覚めた無学なオッサンが、古今東西、名作から駄作まで一心不乱に濫読し一丁前に書評を書き評価までしちゃっているブログです

「イギリス人の患者」マイケル・オンダーチェ著・・・★★★★★

第二次世界大戦末期のイタリアのある修道院を舞台に語られる、4つの破壊された人生の物語である。疲れ果てた看護婦ハナ、障害のある盗人カラヴァッジョ、用心深い土木工兵キップ。そして彼らの心を捕らえる、ひとりの謎に満ちたイギリス人の患者。修道院の2階に横たわる、やけどを負った名前もわからないその男の熱情と裏切りと救出の記憶が、稲妻のように物語を照らし出す。

 

表題を見て、あ~あれねっ、て分かった人は、相当な映画通でしょう。

しかし、原題を聞いたらそうでない人にも分かる人は多いんじゃないでしょうか。
その名は「The English Patient (イングリッシュ・ペイシェント)」
映画を全く見ない私でも知ってました。
 
著者は1943年スリランカに生まれ、イギリス→カナダに移住し、1967年に詩集を、70年に小説「ビリー・ザ・キッド全仕事」を出版。
71~83年、トロント大学で教鞭を執りながら詩・小説・映画・演劇など幅広い分野で才能を見せ、カナダを代表する作家となった。
本作は1992年、ブッカー賞を受賞、その後映画化され1996年に公開された。
 
読み始めてまず、センテンスが短い無骨な文体に面食らった。
一部抜粋すると
 
「――女は四日ごとに男の黒い体を洗う。まず、破壊された両足から。タオルを水に浸し、足首の真上にもっていって、ゆっくり絞る。男のつぶやく声に目を上げると、口元にかすかな笑みが見える。火傷は脛から上がいちばんひどく、それは紫色を通り越して・・・・・・骨。――」
 
ミステリアスな描写がこの文体で綴られ、この調子がまるごと一冊続いたら読みこなせるかな~、と正直不安になった。
これが10ページ程経って軟化したが、全編に亘りこの詩的文体で語られている。
過去にこんな本を読んだのは私の記憶に無い。
この文体が、ブッカー賞でも高く評価されたようだ。
 
時代は第二次世界大戦末期。
主な登場人物は4人。
砂漠に飛行機で墜落し全身火傷を負い、国籍も名前も分からない主人公である謎の男(イギリス人の患者と呼ばれた)。
その患者を看護するカナダ人看護婦ハナ。
ハナのおじさんで泥棒を稼業とする、カナダ軍の諜報部員カラヴァジョ。
英陸軍工兵で爆弾処理の若きスペシャリスト、インド人キップ。
 
戦火が迫り全員安全な場所に移り、誰もいなくなったイタリアの旧尼僧院サン・ジローラモ屋敷でハナは1人残りイギリス人の患者を看護する。
男は文学、美術、音楽、植物、武器に精通した老師のような男で、ハナはそんな男に惹かれ看護しながら本を朗読して、男に聞かせる日々を送る。
そこへ、拷問を受け両手親指を切断されたカラヴァジョが現れ3人で暮らし始める。
暫くして、キップがドイツ軍が残していった地雷除去の為、サン・ジローラモ屋敷を訪れ、屋敷の外でテントを張り毎日任務に当る。
 
イギリス人の患者を、ドイツ軍のスパイと疑い正体を暴こうとするカラヴァジョ。
若く、生真面目で誠実なキップに惹かれていくハナ。
祖国インドと、忠誠を誓うイギリスとの間で心が揺らぐキップ。
 
そして、イギリス人の患者は次第に記憶を取り戻し、明らかになる過去。。。
 
本作はいろんな物語を内包している。
戦争、恋愛、不倫、軍治技術、ミステリィ。。。
 
それぞれの回想が交錯するプロット。
詩的文体による情景描写と心理描写。
4人の人生と戦争の悲惨さを詩情的に綴り、何が正義なのかを読む者に訴える。
 
冒頭で触れた通り、本作は映画化され、アカデミー賞並びゴールデングローブ賞を獲得したそうだ。
しかし、どんなに忠実に本作を映像化できたとしても、本作の素晴らしさを伝える事は不可能だろう。
ストーリーを完璧に再現する事は可能だろう、が、本作の詩的文体が醸し出すこの世界は決して映像化は出来ないと思う。
 
勿論、映画は素晴らしい媒体ではあるが、文字でしか伝わらない世界を文学は持っている。
 
ウィキペディアによれば、この映画は「戦争で傷を負った男と、人妻との不倫を描いた」恋愛映画だと解説されている。
もし映画を見て、たいした感想も抱かなかった方が居たら、是非とも本書を読んでみて欲しい。
恋愛物と一括りにされるような作品では決してない。
まるで違う世界がそこにはある。
本書では不倫など些末な出来事である。
私は絶対にこの映画は見ない。
落胆するのが目に見えているから。
 
このブログも600冊を超えて有名作家はそれなりに読んできたつもりであったが、こんな素晴らしい作家に巡り合え、素晴らしい作品を発掘できた。
まさに邂逅だった。
 
この作品と、この作品を生み出したマイケル・オンダーチェに最大級の賛辞を捧げ、6年ぶり(再読を除く)、11冊目の★★★★★を贈りたい。
 
砂の数ほどある本の中からの宝探しは、まだまだ続きそうだ。。。
 
追記:
Amazonを見たら、ある方(英語教師のようだ)の書評に、原書と読み比べ本書の訳の素晴らしさを具体的に解説して頂き、称賛している。
私は原書など当然読めないが、何となく本書の訳の素晴らしさは伝わってきた。
カズオ・イシグロなど他の本でも、訳者の土屋政雄氏にはいつもお世話になっている。
数々の素晴らしい作品を、素晴らしい日本語で伝えてくれる土屋氏に対し、敬意を表し、この場を借りて心からの感謝を申し上げたい。