「贖罪」イアン・マキューアン著・・・★★★★★
1935年夏、13歳の少女ブライオニー・タリスは休暇で帰省してくる兄とその友人を自作の劇で迎えるべく、奮闘努力を続けていた。娘の姿を微笑ましく見守る母、一定の距離を取ろうとする姉セシーリア、使用人の息子で姉の幼なじみのロビー・ターナー、そして両親の破局が原因でタリス家にやってきた従姉弟―15歳のローラ、9歳の双子ジャクスンとピエロ―らを巻き込みながら、準備は着々と進んでいるかに見えた。だが練習のさなか、窓辺からふと外を見やったブライオニーの目に飛び込んできたのは、白い裸身を晒す姉と、傍らに立つひとりの男の姿だった…。いくつかの誤解、取り返しのつかぬ事件、戦争と欺瞞。無垢な少女が狂わせてしまった生が、現代に至る無情な時間の流れの果てに、切なくももどかしい結末を呼ぶ。ブッカー賞最終候補。全米批評家協会賞受賞。
素晴らしいの一言。ヘ(゚∀゚*)ノ
久しぶりに出た(9ヶ月ぶり)10冊目の五つ星。
もし、21世紀の名作が選出されるのであれば、本作は必ずや上位に推薦されるのではないだろうか。
しかし、あと90年も先の話なんで、私には分らないんですが。。。┐( ̄ヘ ̄)┌
著者は1948年生まれのイギリス人作家で本書は2001年に刊行された。
著書は世界的に権威のあるイギリスのブッカー賞に度々ノミネートされ、前作「アムステルダム」で同賞を受賞。
しかし、訳者があとがきでも触れているが「アムステルダム」よりも本作の方が受賞に相応しいようである。
本作の素晴らしさは第一にその文章にある。
思考、心理、物事についての文章表現百科事典とでも言っていいような、緻密且つ独創的な文章の連なり。
本作は3部構成になっているのだが、特にその文体は第1部に顕著で、主人公の邸宅で開かれるパーティーの一夜で起きた騒動をアイロニーとコミカルさを持って描かれている。
例えば主人公のブライオニーが従兄弟たちとうまくいかず、家を飛び出し拗ねている場面の一文。
「依怙地な思いがこみあげてきたブライオニーは、急角度の草土手を橋まで上がり、私道に立つと、何か意味のあることが起きるまでここでじっとしていようと決心した。こうした形でブライオニーは実存に戦いを挑んだのだ──自分はここを動くまい、ディナーができても、母親に呼ばれたとしても。橋の上でひたすら物静かに頑固に待ちつづけ、何らかの出来事が、自分が考え出した幻想ではなく本物の出来事が、この挑戦に応えて自分の存在の無意味さを吹き払ってくれるまで決して動くまい。」
1人の少女が拗ねている状況を、これ程独創的で饒舌に表現できる作家などそうそう居るとは思えない。
小山太一による訳も大きいかもしれないが、本作はこんな文章がてんこ盛りなのである。
小説を書こうと思ったらこの本はいいテキストになるような気がする。
相当数のページをこの一日の出来事に費やされ、この文体にも少々バテ気味になるのだが、第2部に入ると物語とこの文体はガラリと転換する。
第2部は戦争に巻き込まれた主人公と家族たちのその後を、簡潔で乾いた文体で描いていく。
平和な時代に起きたほんの些細な事件が、不幸な時代を跨いでより家族の距離を遠ざけ、和解のチャンスを逃し、主人公は贖罪の重しを背負いながら生きる。
この物語の展開も読者の興味をさらに惹きつけるのであるが、最後の最後に読者を煙に巻き、驚かすような仕掛けが待っている。
そして、エピローグでは小説家が贖罪することについて、マキューアン自身の声が綴られている。
世の中にはまだまだ私の知らない、優れた作家、作品が山ほどあるようだ。
これからも、宝探しは続く。。。(´∀`)
そういえば、同じブッカー賞受賞者のカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」 が映画化され3月に公開されるそうだ。
果たして、あの淡々として怖く切なく悲しい世界がどう映像化されたかが気になるが、予告 を見ると中々良さそうである。
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