老子は、「老子三宝」と言われる、三つの大事な宝(というか三つの戒め)を大切にしていたそうです。

我に三宝あり。持してこれを保つ。
 一に曰く慈。
 二に曰く倹。
 三に曰くあえて天下の先とならず。

 慈なり、故に能(よ)く勇。
 倹なり、故に能く広し。
 あえて天下の先とならず、故に能く器の長と成る。

 今慈をすてて且(かつ)勇に、
 倹を舎てて且広く、
 後(おく)るを舎てて先んぜば、死せん。

 それ慈は、もって戦えば則ち勝ち、
 もって守れば則ち固し、
 天まさにこれを救わんとし、慈を以てこれを衛(まも)る。
                        (老子・67章)

(意訳)
 自分には三つの大事にしている宝がある。
 第一に「慈愛の心」
 第二に「つつましさ」(足るを知る)
 第三に「俺が俺が」ではなく「どうぞお先に」の心

 慈愛があるからこそ、真の勇気が出る。 
 「つつましさ」があるから私欲がなく、心が広くなる。
 愚人俗人とくだらぬ競争をしないので、自然に人間の器が大きくなる。

 逆にもし、
 慈愛のない暴力、足るを知らない浪費、自分の出世のみを考えていると、
 いずれは肉体的・精神的に病的になって死に至るだろう。

 三つの宝、なかでも慈愛を持っていれば、人生の戦いに負けることはなく、
 天は、必ずや我を守ってくれる。

(以上)

 もしかすると、昔の日本人は、この老子の三宝を自然に守っていたのかもしれません。

 いつも、自分のことよりも他人のことを案じ、わずかな食べ物や着る物を倹約して使い、自分の出世よりも、会社や国家のことを考えた人が多かったように思います。

 残念ながら、今日、日本が混乱と閉塞の社会になってしまったのは、我々日本人自身が、慈を捨て、倹を捨て、俺が俺がと私利私欲に走ったからであり、こういう社会になると、なんとなく病的な人が増えてしまうのも、老子の言われるとおりだなと思います。
 
 老子が言われるこの「三宝」は、特に難しいものではなく、誰でも生活のなかで十分に大切に守っていけるものだと思います。


 難しい理論を勉強するよりも、このあたりから、自分を変えていくのが一番良いのではないかなと思います。