天地と生きる

テーマ:
神があると説く人は多い。

しかし、神とともに生きる人は少ない。

神を説くことより、神と生きる生活こそ尊い。

神とは何ぞや・・むずかしいことはわからない。

しかし、大自然の偉大な歩みの中に、神の姿を見るのである。

天体の整然たる運行、人間の身体の巧妙な組立て・・

白いご飯を食べて赤い血と肉ができる摂理・・

あまりにも多くの人間の力を超えた偉大なものが、

わたしたちを抱きしめてくれている。

この偉大なものの心にそって生きる。

ここに人生の出発点をおこう。私はこう考えていた。

(「常岡一郎一日一言」より一部修正)


日常を漠然と生きていると「神を感じる」ことは難しいかもしれません。

でも、神道とか、仏教とか、キリスト教とか宗教のことは知らなくても、

大自然や、自分の身体の仕組みのなかに、人間の力をはるかに超えた

大きな力があることを、誰でも感じることができるはずです。

この天地(神)の心にそって生きるとは、どんな生き方なのでしょうか?

それは、誰も見ていなくても、天地が側にいると思って一緒に行動することでしょう。

そして、天地からいただいている全てのものに、いつも感謝することでしょう。

そんなふうに生きている人は、天地から本当に好かれるに決まっています。

見えないところでそっと助けていただき、幸せな人生を送れることでしょう。
AD

心を大きく柔らかく

テーマ:
宇宙観に立てば
  地獄も極楽もない

 すべては心から
 来ているからである

 苦しむな
 悩むな

 大きな広い心で
 生きてゆくのだ

  (「坂村真民一日一言」より)

心は広くも狭くも硬くも柔らかくも、
自由自在に使えます。

苦しんだり、悩んだりしているとき
自分の心を外からながめてみると

硬く、小さーくなっていることに
気付くはずです。

心も身体も、もっと
ふわーっと、柔らかくしてみたらどうでしょう?

そんなことで悩むなんて、馬鹿馬鹿しくないですか?

もっと嬉しくて、楽しくて、ありがたいことが
たくさんあることに気付きませんか?

心の使い方ひとつで、人生が如何ようにでも変わりますよ。
AD

心のゆとり

テーマ:
自分の意見がいつでも正しいとはいえない。

相対立する意見の中に尊さを見出すゆとり、英知、

これが人間の世を拓く。

対立する相手を生かす、伸ばす、助ける、許す。

そこに自分の生きる道がある。

        (「常岡一郎一日一言」より)


誰かと意見が対立するなんて、日常的に起こることですね。

そんなとき、自分を正当化するために必死にがんばる人も多いと思います。

でも、少し大きな視点をもってそれぞれの意見を眺めれば、

よりよいアイデアなどが生まれてくるかもしれません。

例え明らかに自分が正しくても、相手をよりよく活かしてあげる道もあるでしょう。

根本的にどうしょうもない対立の場合は、とりあえずは、ほおっておくのも智慧ですね。

いずれにしても、自分の心にゆとりを持っておくことが、何よりも大切と言えるでしょう。
AD

本当の幸福

テーマ:

平安末期の歌人で有名な西行という方が、旅の途中伊勢の神宮にお参りした際に、

      なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる

と詠んだそうです。
 
 目には見えないけれど、何かがいつもそばで見守ってくれている。
 そう感じられるだけで、涙がこぼれるほどありがたい。


西行は、祖先が藤原鎌足という裕福な武士の家系に生まれ、若くして皇室の護衛兵となりました。
皇室の警護は、当時の武士にとってのエリートコースだったようです。

しかし西行は22歳の若さで妻子を捨てて出家しました。

その理由はよくわかりませんが、①友人の急死で人生の無常を悟った、②皇位継承をめぐる政争への失望
③皇室関係の女性との禁断の恋と失恋・・・などが言われているようです。


出家後は秘境の霊場として知られた吉野山や高野山で修行したようですが、
西行は長く煩悩に苦しんでおり、自分の弱さや煩悩を素直に認めながら修行を続け、
諸国の旅をしながら多くの歌を詠みました。


西行は、自分が長く煩悩の苦しみのなかにあったからこそ、
ふと、それでも自分が何かに見守られていることに気付いたときに、
涙がこぼれるほどの感謝の気持ちが湧き出てきたのでしょうね。


私たちはみんな、煩悩に苦しめられるだけでなく、

目には見えない何かに見守られています。

それに気付けたとき、大きな幸福感が得られることでしょう。

 

 

 

願い事が叶う人とは

テーマ:

(「いい言葉は人生を変える」より)

すべて逆なんです。

仏教のなかには,
「托鉢」という行があります。

お釈迦さまは、托鉢に向かう弟子たちに、
こう言ったんです。

「お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って
托鉢をしてきなさい」

普通、お布施をいただくんですから、
お金持ちのところに行くのが常識ですよね?

しかし、お釈迦さまの思いは
別のところにありました。

貧しい人がなぜ貧しいのか。
それは、
自分のためにしかお金を使わないからであり

その人たちに
与える喜びを味わってもらう機会を生みだすのが、
托鉢の真の目的だったのです。

友人の絵本作家の 
のぶみさんが
こう教えてくれました。

「神社のご神体が鏡なのは、
なんでだと思いますか?
鏡は、『この世界はすべて逆なのだ』
ということを教えてくれているんです。
鏡に映すと、右と左が逆になるように。

神社では、
お願いをしにくる人の願いが
叶うんじゃなくて、

神様の願いを
聞きにきてくれる人の願いが
叶うんです。

逆なんです。

神社で売られている
お守りもそう。
お守りに守ってもらおう
と頼る人が守られるのではなく、
このお守りを守ろう守ろう、
大切にしよう
と思う人が守られる。

逆なんです。

神様の願いを
聞きにきてくれる人というのは、
自分の願いだけを言いに来る人
ではなく、
みんなの幸せを願いにくる人
です。

だから、のぶみさんは
神社ではこう祈っているそう。
「神様のお手伝いができますように。
日本が ちょっとでも良くなるように、
がんばりますから」

https://www.facebook.com/いい言葉は人生を変える-714008541947795/

如何ですか?

この世界が、ちょこっとでも良くなるように
がんばる人こそ、願い事がかなう人なのですね。

心と宇宙

テーマ:

どんなことがあっても、忘れてならないのは、

心というものは、万物を生み出す宇宙の無限の力を、

自分の中へ受け入れるパイプである、ということである。

パイプに穴が開いていたら、洩れてしまうだろ。

だから、そっぽを向いていたら何にもならないよ。

      (「中村天風一日一話」より)


もし、「自分の心が宇宙の無限の力につなるパイプなんだ!!」

と言われて納得ができたら、それだけで素晴らしい人生になると言えるでしょう。


この真理に出会える人と、最後まで知らずに死んでいく人がいます。

出会えたこと自体が幸せなことなんです。


普通は「へー・・そうなの?」と半信半疑からはじまるでしょう。

でも、マイナス思考や我欲などの自分の心(パイプ)についた汚れをきれいにしていくと、

なんとなく元気に、気分も良くなっていくものです。

実は、それは宇宙のエネルギーを受け入れやすくなったからなんです。


心の汚れを落として感謝などプラスの要素を入れて、無限の力をもっとたくさん受け入れていけば、

色々と助けていただけるようになります。大難が小難に、そして小難が無難になります。


これを昔から「お蔭様」と言っていますね。

心をプラスに、たくさんのお蔭様に感謝して生きたいものですね。

自分の業からの脱却

テーマ:

 

仏教では「身口意の三業」といって

①身体の悪しき行動(生きものの殺生など)
②口からでる悪しき言葉(悪口、嘘、マイナスの言葉など)
③意識にある悪しき考え(怒り、嫉妬、不安など)

という人間なら誰にでもある業(ごう)を正していく
という考え方があるそうです。

なかでも密教では、この三業から脱却するために

手に仏の象徴である
印を結び(身蜜)

口に仏の言葉である
真言を唱え(口蜜)

心を仏の境地に
置くこと(意蜜)

の「三密」によって仏さまと一体になる修行をするそうです。

「蜜」とは秘密・隠すという意味ではなく、
非常に高度な働きにシフトさせるといった意味のようで、

三業をそれぞれ密にシフトさせて、しかも
身・口・意を同時に「密」にした高度なチャネルをつくることで仏さまと一体となることができ、
不思議な能力が覚醒するとされているそうです。

我々は、密教修行者ではないので「印」とか「真言」の知識は無いかもしれませんが、
三密に近いことは、誰にでも簡単にできることだと思います。

「身密」→印を結べなくとも、リラックスした正しい姿勢にはなれます
     椅子に座っても正座でも座禅するような姿勢もよいと思います     
「口密」→真言は知らなくとも、感謝の言葉は口にできます
「意密」→仏の境地を知らなくとも、感謝に満ちた心にはなれます
     瞑想するように真っ白になるのもよいと思います

毎日これらを同時に行う時間を少しでも持つことです。
簡単に言えば、毎日心を静めて感謝の時間を持つ、ともいえるでしょう。

自分なりの、自分版の「三密」なので、
いきなり仏さまと一体となったり、突然不思議な能力が出てくることはないでしょう。

でも、自分の「身体」と「言葉」と「心」の三つを同時に正しく変えていくことで、
今まで気が付かなった大切なことに気付けるようになり、
今までとは違った人生がはじまるはずです。

自分らしい「三密」を習慣にできれば、新しい人生が拓けてくると思います。

人生は苦しみか喜びか

テーマ:

あなた方は、
悩んだり、憎んだり、怖れたり、悲しんでいるとき、
気持ちがいいですか?

その嫌な気持ちをなぜ自分の心にさせるんだ。

もっと喜ばしてやれ、いつも楽しく考えさせてやれ。
それが心に対するあなた方の義務なんだ。

暗い方から、嫌な方から人生をみれば、
世の中に明るさなんか何もないわ。

暗かったら窓を開けろ。光がさしてくる。 
       (「中村天風一日一話」より)

人生とは苦しみなのか、喜びなのか・・・?

それは、どちらもあり得ます。
自分の心が選択しているものだから。

もし人生を選択できるなら、明るいほうがよいですよね。
ならば、もっと心を楽しく、喜ばせましょう。

時々「嫌な仕事さぼって、ずっと寝ていたら嬉しいです」
という人がいます。

これは「楽をしてる」だけで、逃げています。
たしかに、一瞬は楽になりますが、心に明るさが出てきません。

逃げながら、心を楽しく喜ばせるのはとても難しいのです。

仕事でも子育てでも、逃げないで苦労を喜んでする覚悟さえすれば、
見えてくるものがまったく違ってきます。

あとは、嫌だったことや後悔は十分に反省したら完全に忘れること・・・
すべてリセットして、今この瞬間に全力で生きることです。

今この瞬間の心を喜びに満ち溢れさせてあげれば、
喜びが喜びを連れてきてくれて、
その先の人生も喜びの人生になりますよ。

幸せの根元とは

テーマ:

「徳」とは解く、溶く、ほどく、ほどこす、

 自分を放すことです。

 その結果、人がよろこぶ、感謝する。
 
 一見して損することともいえます。

 それが幸せの根元だと思います。

    (「常岡一郎一日一言」より)


多くの人は、幸せになるための根元は、

素敵な優しい人に出会って、何でも気付いて相手がしてくれて、

楽な生活を送ることだと考えているかもしれません。

しかし、現実は・・最初は優しいと思ったはずの人も変わってしまい・・・

不満と不安でいっぱいの生活になっている人も多いでしょう。


常岡先生は、幸せになる根元は「自分の中にある」と教えておられます。

相手や周りの人がどうこうは、幸せになるかどうかの根元ではないということです。


自分の中に徳があるかどうかは・・・自分を放して、ほおっておいて、

一見損することでも、誰かのために何のこだわりもなく自然にできる人になれるかどうか・・


自分から与えられる徳のある人には、たとえ今は厳しい暗い闇のなかにいたとしても、

いつか自然に明るい幸せの波がやってくるということだと思います。

 

幸せの根元は、自分のなかの徳にある・・・

 

ただし、それを信じて今現在の心が明るくないと幸せはやってこないですけどね・・・ここ重要です。

 

 

良い縁を結ぶためには

テーマ:

縁を結ぶ道は、出す、空ける、
ことから始まる。

いくらお金をもっていても、
出さない人には物は買えない、
車にも乗れない。

つかむ、握る、出さない。
これは縁切れの構えである。

(「常岡一郎一日一言」より)


何か良いことがないかなーっと思って、
ただ待っているだけの人には、良い縁はやってきません。

何故なら、
何かを出して、良い縁が入ってこれる「スペース」を空けていないから。

善いことをすれば、何か良いことがやってくるのは、
たくさん善いことをすると、何かが出て、そこに「スペース」ができてくるのです。
(ある意味、良い縁がやってくる準備です)


誰かのために一生懸命汗をかく、
世の中のためになるようにお金を使う、
道端のゴミを拾う・・・すべて何かを出しています。

そのとき、なにかプラスの気持ち、プラスの良い波動を発しているはずです。

そのとき出ている良い波動と反応し、そこにスペースをみつけて、
良い縁がやってくるのでしょう。

自分、自分・・・はもうやめて、良い汗でもなんでも出していきましょう。