田野岡大和君 | 生真面目さんのブログ

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 北海道七飯町の山中で行方不明になっていた田野岡大和君(7歳)が6日ぶりに無事保護救出された。陸上自衛隊駒ケ岳演習場にある宿泊施設内にいるところを隊員によって発見された。「大和君か」の質問に元気よく「うん」とうなづいたという。与えられたおにぎり2個を勢いよく食べたという。まさに快挙である。それ以上にこの大和君の強靭な精神力に日本のみならず、世界中の人々が驚嘆しているだろう。7歳のこともが6日間も飲まず食わずでしかも夜は真っ暗な中どうして一人で生き延びられたか驚くばかりである。自衛隊の宿舎があり一ヶ所鍵のない扉があって中に入れたこと、中にはマットレスがあったこと、そして水道の蛇口から水が得られたことが幸運だったようだ。

 大和君の行動に対してとっさに浮かんだのはあの太平洋ひとりぼっちで日本から米国にヨットで横断した堀江謙一さんだった。誰にも頼らずひたすら自己との戦いであの広い太平洋を横断した。その強い精神力は余人をよせつけない。またアポロ13号のあの3人の宇宙飛行士である。大和君はそんな人と同じかもしれない。

 日本では学校での教育方針がある。まんまるの人間形成の要請である。すべての学科に平均点以上を求めるもので平均点の取れなかった学科は補修とか補講といって時間外に先生が教えるものだ。人間得てもあれば不得手もあるのが当たり前で嫌な学科も当然あるのが当たり前であって不得手の学科を無理やりお教え込まれるのは苦痛である。反対に好きな学科は夢中になれる。所謂すきこそものの上手なのである。これが没個性辛抱教育といわれ戦後学校の教育方針としてなされ日本の経済成長に大きく寄与した。まんまる人間形成は企業にとっては都合がよかった。まんまる人間でないと協調性が失われる。まんまる人間でない人を個性があるといわれた。この個性を”くせのあるひと”と言われ皆から一目おかれた。またスポーツなどでは”我流”などいわれた蔑まされた。家元とか流派といわれ今でもこれを尊重する。これは昔の伝統である室町時代の日本の基本的な文化だがとにかく個性は白い目で見られがちである。

 さて、大和君はどうだろうか。個性いっぱいの持ち主として誕生したようだ。大和君のご両親は今後の教育で大きな課題を持たれたのではあるまいか。7歳にして親のしつけに対して真っ向から戦いを挑んだ気配がある。普通ならば親に助けを求めるはずだが、反対に森の中にしかも相当な距離を歩いている。こういう人間をこれからはその長所を伸ばしてゆく教育が必要である。宇宙飛行士とか冒険家の要請に大和君のような人材をどんどん育てなくてはならない。大和君のこれからのまっとうな成長が楽しみである。周囲はそれの応援が大切である。