自殺に至るいじめ | 蜜柑草子~真実を探求する日記~

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常識と非常識、既知と未知。
それらを折り合わせながら、"真実"を探求する日記です。
更新頻度は気まぐれ。みかんが美味しい。
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昨日書いたことにちょっと付け加えようと思う。
今(戦後)の日本のいじめの特徴について。
大津市の事件に限らない一般的な話。

まず、なぜいじめは起こるのか?
これには色々説明が考えられるでしょう。
社会心理学の立場からすると、自己評価維持機能によるものだ、と言うのかな。
いじめることで、自分が相手よりも強いことを確認し、何かしら優れているということを示したいのだ。(下方比較)
とかなんとか。
まあとにかく、いじめは古今東西を問わずして存在する。どこにでもある。

但し、今の日本で起きているいじめはちょっと違う。ここ重要。
何が違うのかというと、いじめの現場でも「空気」が支配すること。
「キモい」とか「ウザい」とか、いじめる対象に対する「空気」が生まれる。
こういう「空気」ができてしまうと、手に負えない。
「空気」は目に見えないし、触ることもできない。
だから、当然相手にやり返すこともできない。
他の場合のように、いじめる主体が存在するわけではない。
もしそうならば、主体であるいじめっ子をやっつけるか、子分になってお終い。
いじめられっ子は自殺までしない。
今の日本では、いじめが原因で自殺する人は1人や2人の話ではない。

さらに恐ろしいことがある。
まず「空気」は簡単にその向きを変えるということ。
いつ自分がいじめられるかが分からないから恐ろしい。
もし、その「空気」に乗らないと、自分がいじめられることになる。
誰もが、スケープゴートにされうる。だから、その「空気」に乗る。
それだから、いじめが悪いことだと分かっていても、それを目の前で見ていても助けることができない。
水を差せない。
その上、階級闘争の意味を帯びた受験戦争の影響が拍車をかける。
同世代の人間や友人は、敵として教え込まれているので、ますます助けようとしない。
敵は少ない方が良いに決まってるから。
これが、スクール・カーストなるものを作り上げている一因。
そしてアノミーなので、その集団に規範は無く、何でもやりたい放題。
口に蜂を突っ込もうが、自殺を強要しようが何でもあり。
恐らく、殺人でさえも何てことはない。そこに良心は存在しないから。

戦後、教育現場を放置した結果、行き着くところまで来てしまった。
家に帰れば母親からも父親からもしつこく勉強勉強と言われ、
小学生ですら夜の9時過ぎまで塾で必死に受験勉強。
権威なき父の命令である故、これはただの奴隷労働であるにも関わらず。
そして、友人との大切な連帯は失われ、同世代の人は皆、敵だと思い込んでいく。
義務だと思い込んでいるため学校に行くが、いついじめられるか分からない恐怖にとらわれたまま。
自虐史観を教え込まれたため(今はわずかに変わり始めているけれど)、国家に連帯を求めることもできない。
「誰も自分のことを分かってくれない」「打ち解けて話せる友人はいない」「もう自殺したい」「楽にさせてよ。死にたいの」という悲痛な声が聞こえてくるではないか。

処方箋はいくつかあるだろうけど、とにかくアノミーを何とかすることと受験戦争を終わらせることが肝要。
学校で体罰をOKにしてもいいし(体罰は権威を作るからアノミーが治る)、大学入試をもっと簡単にしてもいい。
そのためには、やるべきことがたくさんある。


最後に、僕がここでこうして何かを書いたり、誰かに進言したとしても、すぐに状況が変わるわけではない。
しかし、いじめられている子は、1分1秒でも早くその状態を抜け出したいと思っている。
じゃあ、その子はどうすべきか?
やり返せるかどうか。やり返せそうなら相手を殴る。不意打ちでも何でもいいから殴る。
背後に回って羽交い締めにしてもいい。
それが怖ければ、学校に行かない。もしくは転校する。
あなたが今の学校に行かなくてはいけない、という決まりは無いし、行きたい学校に行けばいい。
親に何て話して良いのか分からなければ、このブログでも、他のブログでもいいから黙って見せる。
PCの画面を開いてもいいし、スマホの画面を開いてもいい。
それで、転校したい、と一言言えばいい。紙に書いてもいい。
わざわざ無理して今の学校に行くことなんかないって。


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