今、新米を食べるということは、石油を食べることなのだ。
稲を刈った後、雨続きで、
掛けた稲が濡れそぼっている。
空が写るほど水がたまっている。
水分と高い気温で、
切り株からヒコバエが勢いよく育っている。
このまま高い気温が続けば、穂を出し米が実るだろう。
朝の散歩の時、77歳の男性と立ち話をしたが、こんな気象は覚えがないそうだ。
昔は、お米はすべて天日乾燥だったので、
本来なら、今頃新米を食べられるはずはないのだ。
現在、99.9%がコンバインでの刈り取りになり、
灯油を焚いて熱風乾燥させるため、
刈り取って、2,3日もすれば新米が食べられる。
言い換えれば、
「石油が無いと、お米が食べられない世の中になっているのだ」
「新米新米!」と、はしゃぐ口が、
「温暖化を食い止めよう!」と叫ぶ。
季節外れの朝顔も咲き乱れている。
これを警告と見るか、能天気に「美しい」と見るか。
経済経済と、声高に叫び、
自然を破壊し続けるうちに、
着実に、人間が滅びる方向に舵が切られている。
便利快適を求めて、破滅の道を選ぶか、
少々不便でも持続可能な暮らしを選ぶか、
可愛い子どもや孫たちが、
無邪気な目で、私たちを見つめている。
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