課題の分離について


課題の分離自体はアドラーさんは書いてないそうです。共同の課題については書いてあるけど。

野田俊作先生が日本に持ってきた時に、日本人の感覚では分かりにくいから課題を分離した方が解りやすいって事で加えたそうです。

子どもの起こした不始末は親の私の責任です!ってのが日本人だから。

産まれたばかりの赤ちゃんは全部親の課題。
ミルクを飲むのか、オムツを変えるとか親に全責任があります。成長するにつれ、子どもに少しずつお返ししていくってイメージだそうです。
子どもが自分で責任を果たしていけるように勇気づけていく。

じゃあ「嫌われる勇気」みたいに大人が課題の分離をするのは

蘭子さんは「相手が自分を嫌いなのは相手の課題です」って言ってますね。日本人は人にどう思われるかを気にしすぎちゃうからそれがすごく辛いなら分けて考えると楽になります。

例えば会社の上司が自分に対してすごく横柄だとします。私がこんなんだから嫌われちゃうんだわ、上司に好かれない私は価値がないんだわっもう仕事いや、嫌われてるから仕事行きたくない。ではなくて、嫌うかどうかは相手が決める事だから私の価値には影響はない。

だけども
嫌われようとも
私はいつでも協力的に生きよう、社会の為に何が出来るか考えて行動しよう。と決心する。


これがないと

「嫌いなのは相手の課題よねー。ほっとこー。」だったらさ、そんな人だらけになったらさ、社会はどうなっちゃうんだろうって感じじゃないですか!

自分さえよければいい人が増えたら結果的にはすごく不自由になるんだよねー。

あなたはあなた、私は私だけど協力できる所は協力しましょ!の方が良い世界になる気がしませんか?

課題の分離はした人が共同体感覚がないとエライ冷たい事になる可能性があるなーと講座で感じた事でした。